[jeconet:771] book review
書評書名:「共生」とは何か
著者:松田裕之現代書館。
 評者:粕谷英一(九大・理・生物)
 本書は、純然たる生物学の本ではない。おもな内容は、人間社会についての著者の意見であり、21世紀は「共生の世紀」となると説くものだ。古い言い方をすれば文明批評であり、あとがきに哲学の本とあるのもあたっている。そういった内容の本は他にもあるだろう。だが、本書は2つの点で特徴的である。1つは、生態学的な題材が多く使われていることである。もう1つは共生の内容である。著者のいう共生とは、生物の場合であれば、自然選択による進化の結果、異なった種の個体が共存したりともに適応度が高い状態に落ち着くことである(p.21など)。この点は、生態学を離れて一般に共生といわれるときとは、かなり印象がちがう。著者のいう共生とは、全体の利益がまっとうされる結果ではなく、個々の利益がまっとうされる結果である。この点を著者は(正当にも)繰り返して強調しており、共生と搾取や競争が同一のプロセスである自然選択の別の結果であること(p.5など)や、説明原理の標語として利己的遺伝子を用いること(p.36ー38など)がはっきりと述べられている。そして、この共生という概念を人間社会に適用する場合でも、個人主義と自由競争が基本になることを強調している。 本書の構成は、生態学のとくに種間関係に関する議論と上記の共生概念の人間社会への適用が入り交じって現れるというものである。章によってはどちらかの比重が高いところもある。また、ガイア仮説や持続可能な漁業といった題材はまとまって扱われ、ガイア仮説は上記の共生概念との観点から批判され、漁業については国有化が1つの有効な選択肢としてとりあげられている。種間関係と群集の進化の読みやすい説明がかなりのウェイトを占めているとはいえ、著者のメッセージの中心は共生概念の人間への適用にあるから、たとえば、佐倉の一連の著作(「現代思想としての環境問題」中央公論など)が扱ったような生態学は一般社会とどうつきあっていくかという問題を期待して本書を読むと、外したと思う可能性が高いだろう。
 わたしは、進化生態学の戦略的なモデルを本書で扱っているような人間のふるまいに適用するのにはきわめて懐疑的である。戦略的なモデルの基本的な前提が、人間の活動(本書で扱われているような)に関して成り立っているかどうかは明らかでないと考えるからである。ある対象について成り立つモデルが別の対象についても適用できるかどうかには、表面的な類似では不十分で、著者の表現を借りれば『何か新しい現象を説明する際には常に原点に戻り、因果論的に考え直す必要がある』(p.40)。著者が進化生態学の戦略的なモデルが人間のふるまいが相手でもそのまま成り立つと考えているとは思えないが(p.29)、目的関数をちがえれば成り立つと考えているのかどうか、またその実証的な根拠はなにか、となると、著者がどう考えているのか本書からは十分にはわからなかった。この基本的なポイントにおいて本書は説得的ではないと思う。あるいは、ある経済学者が言うには『日本人・・・(中略)・・・は、物質的幸福を極端に重視するという意味で高度の唯物主義者』(森嶋通夫「学校・学歴・人生」岩波書店、p.127)だそうなので、適応度にかえてお金を目的関数にとれば、この場合に関しては十分なのかもしれないが。 進化生態学の戦略的なモデルでは、目的関数はたとえば適応度というかっこうで一元的なものである。しかし、著者もふれているように(p.29-30)、本書で扱われている人間のふるまいについては、個人によってなにをよしをするか(価値観)は異なる。これは進化生態学で選択のかかり方が異なるというのともだいぶちがったものであろう。こういうケースにも、著者が援用した生物に関するモデルの結果が有効かどうかは疑問である.
 本書では、共生がある種の理想的な状態であることが繰り返し述べられている。しかし、生物とくに異種間の関係と人間−人間の関係の類似が比喩的に示される以外には、人間のあいだの関係が(生物の場合に述べられているように)必然的にそういう共生的なものに至る過程や理由は示されていないように思う。もし、自然選択になぞらえられるような過程によってある安定的な状態に至りその状態が著者の言う共生だと考えないならば、理想的な状態を共生に限る必要はないだろう。
 かりに共生が望ましい状態であるとしても、その状態に到達する方法が示されないならば、本書で扱われているような人間社会のできごとに関しては弱い議論だろう。本書はその共生状態へ至る処方箋を欠いている。これは進化生態学のモデルが適用できるかどうかという分析があまり見られないことと無関係ではないだろう。著者は、自由競争と個人主義、調停者としての政府を強調するが、どうやってその自由競争や調停者としての政府が実現されるのか、そのルートが問題になるのは当然である。わたしは、独占的な巨大な資本の存在が充分に視野に入っていないのではないかと思う。たとえばウォルフレンの「日本権力構造の謎」(早川書房)のような現状分析は本書には欠けている。それがあったなら著者はどう書いたのかを、本書でみられないのは残念だ。
 これに関連してもう1つ気になるのは、さまざまな社会問題は共生のもとでどう解決されるのかという見通しがあまりはっきりしないことである。これはとくに政府のすることをめぐってそうである。 宝珠山元防衛施設庁長官の発言など沖縄での米軍基地問題にも言及している(p.5)が、米軍基地が現在の状況のまま続くことが共生のもとでののぞましい状況でないことは読み取れるとはいえ、どのような状態に至るのが真の共生だと著者が考えるのかあまりはっきりとはしていない。近く税率が5%になる消費税や阪神大震災の個人財産への補償が”私有財産制度の原則”というものにより断られていることなど(これは単なる例である)の問題が、共生のもとではどう解決されるのかも論じてあると、わかりやすかったと思う。
 ”協調の強制ではなく個人主義”、”西洋合理主義の強調”などわたしでさえ共感できる部分もあったが、全体としてはあまりポジティブでないコメントになった。これは、上述の論点についてわたしが説得されなかったことを示すものに過ぎない。本書のメッセ−ジは明快で1文が短いこともあって読みやすい。また、自然選択の結果、種間関係がどのような状態に落ち着くかに関するコンパクトでわかりやすい説明もある。
 最後に気になった2点について述べておく。本書で引用される生物の話題は種間の関係についてのものが目につく。たとえば結婚(p.83)も扱われているのだが、交尾相手の選好性の理論などは適用されていない。著者はこういった理論は人間のふるまいには適していないと考えているのかもしれない。 なお、ウリミバエの不妊虫放飼法による根絶について、『不妊雄は有効でなくなったが』(p.93)というのは言い過ぎだと思う。不妊虫放飼を行っていた沖縄本島の野生個体群に変化が起こっていたことを示す証拠はあり、わたしも変化が生じていたと考えている。現にわたし自身、不妊虫放飼をされていなかった石垣島個体群とのあいだの形態的ちがいや弱い交尾後隔離を報告している(Zool.Sci.12:485)。しかし、変化自体についてもその原因が不妊虫放飼なのかどうかについても議論がある。そして、根絶前の沖縄本島個体群の変化のため、不妊オスの効果がなくなっていたという証拠はないと思う。
 jeconet向きでない方面にはあまり入り込まないように書評をしたつもりである。本をいただいたうえ書評を待たせてしまった(その間に、毎日などの新聞に紹介記事が出ている)松田氏にはお礼とおわびを申し上げる。