愛知万博に係わる環境影響評価準備書の諸問題:オオタカをめぐる説明責任、順応性、反証可能性

松田裕之

東京大学海洋研究所

〒164-8639 東京都中野区南台1-15-1

matsuda@ori.u-tokyo.ac.jp

Accountability, adaptability and falsifiability in the Environmental Impact Assessment for World Exposition 2005

Hiroyuki Matsuda

Ocean Research Institute, The University of Tokyo

1-15-1, Minamidai, Nakano-ku, Tokyo, 164-8639

 

要旨:愛知万博の環境評価は、今年から施行される環境影響評価法の先例となった。ところが、その準備書公表直後に準備書に書かれていないオオタカが営巣し、準備書の是非だけでなく、会場計画そのものの是非も問われつつある。たった一つがいのオオタカによって評価ががらりと変わる環境影響評価とは、いったい何なのか。もともと準備書自身にどんな不備があったのか。今後の環境評価に不可欠の要素である説明責任、順応性、反証可能性をめぐる準備書の問題点を探る。

 

    1. 準備書の是非は、オオタカ次第で良いのか
    2. 2005年に愛知県瀬戸市で催される予定の日本国際博覧会(愛知万博)の環境影響評価準備書が、1999年2月に公表された。この環境評価は、今年6月に施行される環境影響評価法の趣旨を先取りして実施した点で、今後の日本の環境行政を占う先例として注目されている。ところが、準備書の公表から2ヶ月経った4月末、日本野鳥の会愛知県支部が、会場予定地である海上の森の「心臓部」で、今年新たにオオタカが営巣していると発表した。海上の森にオオタカの営巣中心地があることは、準備書には全く書かれていなかった。1998年の長野五輪では、オオタカの営巣地であったことを理由に競技会場が変わっている。

       これで、海上の森にオオタカが営巣できる場所があることが実証された。しかし、今年営巣したのは、偶発的な事件かもしれない。今年オオタカがどこに営巣するかにより、環境評価の成否ががらりと変わるのは釈然としない。他の場所に営巣していたら、あの準備書でも問題なかったのだろうか。オオタカという問題点が浮き彫りになった今こそ、準備書の問題点を洗い出しておくべきである。

       一言で言えば、オオタカがでてはじめて計画を変えたのが良くない。はじめから、分散開催を含めた、より環境にやさしい計画を練るべきだったのである(鷲谷1998)。

       

    3. 海上の森は、オオタカの営巣適地であった(順応性)
    4. 準備書によれば、会場予定地である海上の森の周辺には、絶滅危惧種第II(Vulnerable)であるオオタカが2つがい生息している。オオタカが会場内に生息していれば、その営巣地と営巣期の行動圏(高利用域)は事業計画の見直しを含めた保全対象となる。しかし、準備書発表時点では、オオタカの巣は会場内にはなかった。

       ただし数年前に営巣した古巣があった(準備書597頁、及び準備書資料編208頁)。環境庁自然保護局野生生物課編(1996)「猛禽類保護の進め方(特にイヌワシ、クマタカ、オオタカについて)」76頁によれば、古巣の周りは営巣中の巣と同様に営巣中心域と定義されている。にもかかわらず、準備書631頁では、会場内に営巣中心域はないと記されていた。会場内の古巣の周りを営巣中心域と見なしていれば、準備書におけるオオタカの重要性も、実際に営巣した場合の準備書への批判も、かなり違っていたことだろう。

       準備書631頁には、オオタカの営巣場所が年により変わる可能性が指摘され、会場内に営巣した場合にはその周り半径50mの営巣中心域を保全対象とすることが明記されていた。これは、順応性(adaptability)、すなわち生態系の今後の状態変化に応じて保全措置を見直すことを予め明らかにしていたことになる。生態系は放っておいても定常状態には落ち着かず、常に変化している。残念ながら、1997年の環境庁告示第87号(環境影響評価のやり方を定めた「基本的事項」)には、この非定常性という概念はない(松田1998)。しかし、将来の状態変化に備えた順応性は、今後の環境評価と生態系管理に欠かせない(鷲谷・松田1998)。もし、会場の心臓部に営巣した場合、準備書通りに保全措置を講じて、はたして事業が滞りなく進められるのかがよくわからない。順応性は保全措置だけではなく、会場計画全体として備えていないと整合性を欠くことになる。

       今回の万博計画の検討は、環境影響評価と並行して作業を進め、その作業経過および経過を計画に適切に反映させることとしている(万博の実施計画書3頁)。これは順応性の現れとも取れる。しかし、暫定案を詳しく定めてその影響を調べ、その結果を見て暫定案を改めるという真の順応性とは異なり、会場計画を詳しく定めず、環境評価を待ってから詳しい計画を作ろうとしている。これを準備書(11頁や536頁など)では、「熟度」と言い表している。

       けれども、暫定的にせよ詳しい計画がわからないと影響はわからない。たとえば、今回の万博では、自然と人間の共生をうたい文句にして、森林体感地区と呼ばれる散策路が計画されている。海上の森540haには、現在、繁忙期には1日千人ほどが散策に訪れる。それよりずっと狭い森林体感地区に1日2万人が訪れるという試算もあるが、詳しい計画が決まっていないという理由で、踏み荒らしによる影響などは全く予測されていない。これでは正確な評価ができない。

       真の順応性を備えるには、たとえば、予め複数の会場計画を用意しておけば、オオタカ営巣のような不確実性にも備えることができるし、会場計画の妥当性を相対評価する上でも有効である。万博のように2005年開催と期限が限られた事業の場合、予め複数案を用意する方が、危険性を制御(risk control)する上で有利だった。しかし、複数案を同時に考慮することは、準備書では残念ながら一部の不適切な比較(松田1999、準備書11)を除いて果たせなかった。

       

    5. 準備書の結論はオオタカ次第だった(反証可能性)
    6. このように、営巣地が変わることを予期しながら、事業がオオタカ自身に及ぼす影響(準備書635頁)が回避できることとした点や、オオタカの餌環境を支える生態系に及ぼす影響が比較的小さいとした点(757頁)に至るまで、オオタカの巣が会場内にないことを理由にしていた。これは、反証可能性(falsifiability)、つまりどんな事態が起こったら準備書が間違いだったかを予め断っておくという潔さの現れかもしれない。どんな事態が生まれても間違いとは言えないような環境評価は、今後は望ましくない。反証可能性は今後の環境評価に欠かせない。反証可能性を示そうとした努力はよかったが、その中身は的外れであった。営巣場所が変わることを予期していたのだから、会場内に営巣したら180度結論が変わるような論理は、初めから矛盾していた。実際、少なくとも生態系への影響については、オオタカの営巣場所が会場の内か外かは、本来、無関係である。

       さらに、準備書191頁では猛禽類の現在の営巣地だけでなく、営巣可能地に及ぼす事業の影響を予測すると述べている。しかし、オオタカについては営巣可能地がどこにあるかすら何も述べていない。つまり、準備書自身が定めた調査・予測項目を満たしていなかった。

       はたして、オオタカは準備書公表の2ヶ月後に会場内に巣を作った。良くも悪くも、準備書自身が示した反証可能性が現実のものとなった。当然のこととは言え、準備書はその次の手続きである評価書を著すときに書き直されることになり、万博の事業計画も大幅に変わることになった。

       もう一つ印象的だったのは、環境影響評価中に愛知県がおこなったボーリング調査である。万博の事業計画には跡地を住宅として利用する事業と、道路を通す事業が同じ場所で並行して進められている。この計画された道路に沿って、100箇所以上のボーリング調査が1998年秋から翌年1月にかけておこなわれた。環境庁の基本的事項の第二の五の(1)のカによれば、環境評価中に調査が環境に与える影響は必要最小限にとどめることとされている。一方、別の環境庁の通達(「環境影響評価法の施行について」)によれば、この調査はアセス中の制限事項の対象外である。この調査が、はたして時期的に適正なものであったかは疑わしい。ボーリング調査開始後に、より環境に配慮して進めるよう、環境庁が通知を出した。

       手続き上はともかく、実際に環境にどんな影響があったのか。ボーリングをおこなうために多くの場所で植物が伐採されたが、土地造成とは異なり、恒久的な自生地消失ではない。貴重植物に与える影響は、それほど大きなものではなかっただろう。けれども、営巣前とはいえ、オオタカの営巣場所を左右する恐れがあるという批判が自然保護団体から寄せられていた。すでに営巣した場所の近くではないので、本当に必要な調査なら仕方がないかもしれないが、不可欠な調査でなければ、当然その影響を避けるべきである。

       人為的な影響を防ぐための常として、詳しい営巣場所は明らかにされていない。実際に海上の森に営巣したのだから、影響はなかったともいえるが、危険性というのは確率事象であり、飲酒運転と事故の関係と同じく、大丈夫だったという結果だけでは是非は判断できない。また、ボーリング調査場所と営巣場所が異なると仮定しても、この調査がなければ予定された道路のど真ん中に巣を作ったかもしれない。会場の外で営巣しているオオタカからそう遠くないところでは、今でも道路工事が進められているという。このような調査はおこなうべきではない。

       

    7. 営巣場所より、つがいの数が問題(説明責任)

実は、会場内のオオタカは営巣場所を変えたのではなく、今まで周りにいた2つがいとは別に、新たなつがいが巣を作った。会場周辺に3つがいが生息できるだけの豊かな自然があることは、準備書では全く示されていない。はたして3つがいが無事に生きていけるだけの餌があるかどうかは吟味すべきことだが、これは準備書に記された不確実性の範囲を超えた事態が起きたのである。

 6月末に、このオオタカは巣を捨てた。その理由はまだわからないが、餌が足りなかったせいではなさそうである。3つがいが生きていける環境であり、また会場内に営巣中心域があるという認識に変わりはない。したがって、引き続き会場計画の見直しが進められている。これは万博が示したよい見識の一つである。

 我々は、完全な情報、正しい自然の理解や無限の労力や費用をもとに環境評価を進めているわけではない。それらすべてに限界がある。したがって、予測の不確実性を越えた事態が起こること自体は、完全に避けることはできない。むしろ、順応性と反証可能性を明記したこと自体は、その内容はさておき、たいへんよいことである。さらに、過ちを率直に認めて環境評価と会場計画を見直す説明責任が必要である。説明責任(accountability)とは、限られた知見によって判断したことに誤りがあるとわかった時点で、見解を改めることである。今回の会場計画の見直しは、説明責任を実行していることになる。

 その際、反省すべき点を間違えると、オオタカが巣を捨てた時点で見直しを辞めるような過ちを重ねてしまっただろう。今回、営巣場所を変え得ること自体は準備書で予測されていた。真に反省すべきは、会場内に営巣したことよりも、3つがいが生きていけることを予期しなかったことである。

 従来の環境評価は、とかく環境全体を守るのではなく、貴重種に直接手を下さなければよいとか、貴重種がいるかどうかだけで結果を変えるような浅はかな評価になりがちだった。これを「現物主義」(spot-oriented assessment)と呼ぶことにする。会場内に巣があるかどうかで評価した今回の準備書も、この現物主義に少なからず冒されていた。しかし、それではいけない。今後の環境評価では、現物主義を改め、環境と生態系そのものの息吹(生態系過程ecosystem processes)に与える影響を予測し、守る努力が必要である。これを「過程主義」(process-oriented assessment)と呼ぶことにする。今回のオオタカ問題をきっかけに、評価書を著す時点で、現物主義から過程主義に改められるよう望んでいる。

 まだまだ生態系に及ぼす影響を予測し、評価する手法は不完全である。せめて、説明責任、順応性、反証可能性を備えた環境影響評価が定着することを期待する。

 

引用文献

松田裕之(1998)愛知万博が突きつけた環境影響評価法の諸問題.科学 68(8)632-636.

松田裕之(1999)万博の環境影響評価と今後の環境政策の動向.日本の科学者34:320-324.

鷲谷いづみ(1998) 保全生態学からみた望ましいアセス・望ましい万博 科学68:446-449.

鷲谷いづみ・松田裕之(1998)生態系管理および環境影響評価に関する保全生態学からの提言(案)。応用生態工学 1:51-62.