保全生物資源学へ

=シンポジウム討論の概要=

松田裕之(東大海洋研)

まつだひろゆき

 

 生物資源の利用と保全の両立は水産資源にとどまらず、あらゆる生物資源に共通の課題である。さまざまな分野、立場の方からの提言を踏まえて、利用と保全の両立の必要性を浮き彫りにする。

 

リスク評価と不確実性

 本号の松宮論文(プログラムは図1を参照)でも説明されたように、1997年12月11日と12日にかけて東京大学海洋研究所で催されたシンポジウム「21世紀水産資源科学への挑戦」は、2日目の午後を総合討論にあて、活発な議論を交えた。本稿は司会を担当した私がその討論を踏まえて今後水産資源科学が目指すべき道をまとめたものである。当日の議論のすべてを紹介できず、また紹介した内容についても私の主張したい文脈に沿った形でのみ紹介したため、その文責がすべて私にあることを初めにお断りする。

 生物資源を管理する上で常につきまとう問題は、個体数、死亡率、繁殖率、生息域など、生物のごく基本的なことさえ分からないままに管理しなくてはいけないということである。分からないからと言って手をこまねいてはいられない。関根雅彦氏が講演の中で指摘されたように、実証されていないことを予見し、将来の事態に備えることが大切である。

 けれども、これは資源管理だけの問題ではない。益永茂樹氏の講演で説明されたように、過去の人類がさらされなかった食品添加物や化学物質の危険性も、原子力発電所などの事故も同じことである。risk(危険)は今世紀末を象徴する用語の一つであり、それは裏を返せば不確実性(uncertainty)が引き起こす危険性でもある。

 危険なものをすべて排除できるなら、話はたやすい。それが出来ないところにリスク評価の悩みがある。益永氏の講演「人の健康と生物の絶滅のリスク評価」では、環境中に放出される化学毒物が引き起こす発ガン性について触れ、どんなに濃度を低くしてもそれなりに発症者がでる、つまり閾値がないことが発ガン物質の特徴だと指摘した。[]

 しかし、発ガン物質を出来る限り制限した結果、発ガン性はないが他の病気を引き起こす代替物質を認めてしまうと、結果的に多くの人の健康を損ねてしまうことがある。一つの害悪を強調するあまり、別の諸悪を見逃してしまう過ちは避けなくてはいけない。そこで、益永氏は発ガン物質も他の有害物質も、人の健康をどれだけ損ね、人の寿命をどれだけ縮めるか(損失余命)によって有害さを比べるという考え方(健康リスク)を紹介した。

 たとえば、日常的な喫煙者は肺ガンにかかる可能性が非喫煙者に比べて高く、数年寿命が縮まると言われる。そこから逆算すると、煙草を1本吸うことの損失余命は数分間と試算される。[]食品添加物や化学毒物の場合、日常的に摂取し続けた人の10万人に1人がガンにかかるとすれば、規制の対象になる。このときの損失余命は1時間程度に当たる。

 ある化学物質の使用を認めるかどうかは、その物質がもたらす健康の危険の大きさだけでは決められない。たとえば交通事故による損失余命は食品添加物の損失余命よりはるかに高い。[]にもかかわらず自動車が社会に認められて添加物が禁止されるのは、車が社会に与える便益が添加物よりはるかに高いからである。したがって、便益と危険を同時に評価する必要がある。

 化学毒物は人間だけをむしばむのではない。他の生物にも及んでいる。富山実氏が紹介した「環境ホルモン」と呼ばれるPCBや有機スズなどの化学物質は生物の生殖力を阻害すると言われている。このことは、吉村仁氏が紹介した『奪われし未来』[]という本に詳しく説明されている(残念ながら、訳本には多数の誤訳が指摘されている[])。生物への影響は、個体の生死でなく、種の絶滅確率によって評価する。漁業の乱獲や混獲も、多くの海産生物を絶滅に追いやって生態リスクを高めている。

 生態リスクを評価する場合の問題点は、人間の寿命がどの人もそう違いがないと仮定できるのに対し、生物の絶滅までの待ち時間は自然状態でも種間によって大きく異なる点である。マグロとクジラの絶滅確率の増加分をどのような尺度で比べればよいのだろうか。また、生態リスクの場合も危険性だけでは政策は決められず、便益との兼ね合いを見るべきである。

 白木原国雄氏は不確実な情報のもとで適正な漁業管理を行う手段として、feedback管理方策[]を挙げた。これは資源量が増加傾向にあるときには漁獲努力を高め、減少傾向にあるときには努力を控えるという方策で、絶対資源量や再生産関係がわからなくても、適正水準に誘導できる方策である。

 漁業で実際にfeedback管理が実行された例は少ないが、本シンポジウム直前に北海道が発表したエゾシカ保護管理計画はfeecback管理の実例である。[]

 

責任ある漁業

 「責任ある漁業」は、環境問題や生物多様性の問題と漁業の両立を考える際に欠かせない概念である。有元貴文氏は4つの問題、「選択漁獲=混獲防止の目標設定」「現行漁具についてのリスク評価の可能性」「漁業技術系と資源系の研究者の相互乗り入れ」「温暖化防止対策の方法論が水産に適用されるか」を問いかけた。

 漁業の乱獲問題を解決するには、未成魚を保護することと混獲を減らすことが重要である。それには選択性の高い漁法の開発が欠かせない。未成魚の保護や混獲率を減らせば持続可能な漁獲量がどの程度増えるかを算出するのは資源研究者の仕事だが、それを可能にする漁具が出来なければ絵に描いた餅である。有元氏の問いかけは責任ある漁業の問題点をさまざまな角度から照らし出したものである。

 安部真理子氏はミナミマグロの回復計画への提言[]など、世界自然保護基金(WWF)の活動を紹介した。竹中靖人氏は西大西洋クロマグロの回復計画についての試算を紹介した。彼の解析によれば、クロマグロの未成魚に個体数の多い卓越年級群があるために、自然と成魚が増える。つまり、マグロの成魚を15年間で1.5倍にするという国際委員会(ICCAT)の数値目標には「抜け穴」があり、漁獲規制をそれほど強化しなくても達成される甘い目標になっているという。

 それに対して、勝川俊雄氏は齢構成が変動する野生生物では単に成魚個体数の回復だけで評価するのではなく、未成魚が将来成魚になる割合を加味した産卵ポテンシャル[]という指標が有効だと主張した。私は、産卵ポテンシャルが魚に限らず、卵を産まないエゾシカの管理にも応用が検討している[]ことを紹介し、「産卵」ポテンシャル概念の有効性を指摘した。

 

「悔いのない方策」と「分かりやすい方策」

 吉村仁氏は遺伝的多様性を維持することが具体的にどう重要なのか、生物学的にはまだ立証されていないと指摘した。それに対して私は政治的に重要な二つの科学的問題、生物多様性と地球温暖化はどちらも科学的には十分立証されていないが、事態の緊急性を考えると立証されていなくても対策をとるべき課題であると述べた。つまり、これらこそが未検証の重要課題(リスク管理)としてとらえられているのである。

 したがって、これらの問題に対しては森俊介氏が講演の中で紹介した「悔いのない方策」、すなわち生物多様性や地球温暖化がそれほど重要な問題ではなくなるとしても無意味にならない方策が重要である。悔いのない方策の分かりやすい例は、人口政策における女性の地位や教育水準を向上させる政策である。これらは晩婚と非婚率向上と少産化をもたらし、出生率低下に有効だと言われているが、たとえそのような人口政策としての意義を抜きにしても、人道的に歓迎すべき政策である。

 さらに吉村氏は、環境変動を考慮した場合、生物の絶滅リスクが大幅に高くなることを指摘し、定常資源を仮定した管理政策が定める漁獲可能な資源量の閾値より、ずっと高い水準に維持すべきだと主張した。また、それを実現するための分かりやすく実効性の高い方策として、白木原氏が提言した禁漁区を設けることの有効性を吉村氏も強調した。

 私は、このように単純で分かりやすい政策の方が、一般性を持つ有効な方策になり得ると思う。国際的な漁業交渉などではより多くの情報を取り入れ、より複雑な数理模型を作って解析する「軍拡競走(arms race)」に陥りやすい。互いに自国に有利な方策を示そうとキツネとタヌキの化かし合いをやるとなれば、「相手を煙に巻く」複雑模型が幅を利かせる。しかし、資源保全と持続的利用という人類共通の利害を達成するには、むしろ「目から鱗を落とす」ような分かりやすい方策が有効であろう。

 限られた観測情報から予測性の高い数理模型を作るには、複雑な模型より単純な模型の方が有効であることが多いと言われる。[]単純な数理模型が推奨する方策の方が、複雑な模型が導く方策より直感的に分かりやすく、不確実性に対しても概ね頑健である。たとえ複雑で精緻な解析を積み重ねても、直感的に理解しやすい方策を導くことが望ましい。

 

人為陶汰と進化生態学

 生物保全には、進化生態学や分子生物学の知見も有効である。DNA分析は細谷和海氏の希少淡水魚についての講演や、吉沢和倶氏のアユの種苗生産と遺伝的多様性についての講演でも紹介された。

 種苗という人工的な環境が魚の形質を変えてしまう可能性がある。たとえば、早熟の成魚の卵だけを採卵して継代飼育すれば、意図せざる人為淘汰が働いて早熟の魚ばかりになるかもしれない。吉沢氏が紹介したアユの早熟化は、単に多くの卵を採るだけでなく、多様な条件で選抜しないと遺伝的多様性が失われる可能性を示唆している。

 浅川千佳男氏が紹介したカワウは、各地で大発生してアユなどの川魚を食い荒らしたという。ニホンジカも近年数が増え、希少植物の脅威となっている。ある生物の過保護が生態系の釣り合いを損ね、別の生物を危うくするのは海も陸も同じである。

 さらに、野生生物を管理すれば彼らの生き方が変わる点に注意すべきである。ニホンジカの禁猟を解けば彼らは人間を警戒するようになり、狩猟期間を増やしても思ったように捕獲できないかもしれない。最近のテレビ報道によれば、カワウを彼らの密集地から追い散らしたところ、かえって分布を広げて被害が増えてしまったそうである。「利己的な遺伝子」という標語に象徴される進化生態学の知見によれば、このような適応的な形質変化は野生生物管理を思わぬ計画倒れに終わらせる恐れがある。これを防ぐか、予期するには、進化生態学の視点が欠かせない。

 

環境影響評価指標と生態系保全

 環境問題は漁業現場においても重要である。国連食糧農業機構(FAO)も、漁業が抱える4つの課題の一つに、沿岸の環境劣化の克服を挙げている。

 柵瀬信夫氏は民間企業で環境修復の研究をする際の微妙な問題を交えながら、他方で環境共生型の護岸工事が実際に生態系の修復に貢献したかどうか、生物指標種の追跡調査を通じて行った例を紹介した。中田英昭氏も環境影響評価(アセスメント)が多くの場合に計画を追認する「合わすメント」と化している問題点を指摘した。

 二酸化炭素排出量を国際的に制限する際に数値目標を決めるやり方は、貿易不均衡の是正など、外交交渉でよく見られ、古くは1930年の軍縮条約に通じる。多くの漁業交渉でも数字を出して目標を設定する。その数字が不確実な仮定の上に出された試算であり、かつ政治的な妥協の産物であることはすべてに共通する現実である。

 それでも、態度を曖昧にして実効性のないものにするよりましだというのが数値目標を定める趣旨だろう。私たち研究者は、できるだけ根拠のある数値を出すこと、その数値の根拠と不確かさを正確に説明すること、立場の異なる研究者と公の場で議論する姿勢が必要である。数字を示すことは大いに説得力を増すが、数字が一人歩きして誤解を招き、研究者の所期の意図とは離れた結果をもたらすこともある。まさに、「数は力なり」と呼ぶべき状況があることに注意すべきである。

 今や、資源管理と環境保全問題は分けて考えることはできない。両者はともに個体群生態学という共通の科学が役立つ応用課題であり、持続可能性と生態系保全を目標とする点で、本来一つの問題である。我々は、それをより鮮明に目指すために、保全生物資源学conservation bioresourcesという分野を提唱している。

 本稿では総合討論のまとめをすべき立場にありながら、すべての議論を紹介できなかった。北田修一氏、立川賢一氏および勝川俊雄氏には1997年に開催された国際シンポジウムと世界的な研究動向を報告いただいた。活発にご討議頂いたシンポジウム参加者の方々に改めてお礼申しあげる。

[] 中西準子『環境リスク論』岩波書店

[] ロドリゲス(19##):『危険は予測できるか』(#訳、化学同人)

[] Colborn, T., D. Dumanoski & J.P. Myers (1996): "Our stolen future: Are we thereatining our fertility, inteligence and survival? ?A scientific detective story” Dutton, NY.

[] 高橋敬雄(1997)「奪われし未来」の誤訳問題について。水情報 17:12-13.

[] 田中昌一(1985):『水産資源学総論』(恒星社厚生閣)pp.1-381.

[] 北海道(1997): 道東地域エゾシカ保護管理計画の骨子。http://www.marimo.or.jp/Kushiro_shichou/ezosika/plan.html

[] Hayes, E.A. (1997): A review of the southern bluefin tuna fishery: Implications for ecologically sustainable management. TRAFFIC Oceania and WWF, Sydney. pp.1-34.

[] 勝川俊雄・松宮義晴(1997):産卵ポテンシャルに基づく水産資源の管理理論。水産海洋研究. 61:33-43.

[] 巌佐庸(1990):『数理生物学入門』(HBJ出版局、昨年絶版となり、1998年共立出版より再販予定)