*これは月刊海洋99年に印刷中の原稿を元にしている。
エゾシカのフィードバック管理と絶滅リスク評価
松田裕之(東大海洋研)
野生生物の管理には、状況の変化に応じて捕獲漁獲圧を変えるフィードバック管理が有効である。この考え方は捕鯨問題で日本が提唱したものだが、今や世界の生態系管理の標準になりつつある。
1.エゾシカ問題
北海道のエゾシカは明治時代には乱獲され、鹿肉が輸出されていた。、その乱獲と大雪のために数が激減し、永らく狩りが禁じられていた。ところが戦後、うなぎ登りに数が増え始め、農林業に害を与える獣として、駆除されるようになった。それでも数が増え続け、やがて雄鹿の狩りと駆除が始まりが許され、雌鹿も1980年度から駆除、さらに1994年度からは雌鹿の狩りも始まった。
今なお数が増え続け、農林業被害は1996年には50億円を超えた。北海道では、本格的に個体数を管理することになり、この問題に答えることになった。私は北海道から研究協力員として管理計画立案に係わるよう求められ、北海道環境科学研究センターの梶光一氏たちとら、林野庁森林総合研究所の平川浩文氏、齊藤斎藤隆氏たちとともに、エゾシカ問題を検討する研究者の勉強会に加わり、エゾシカ管理計画の素案作りを手伝った。さらに、梶氏らと北海道の行政担当者らが検討し、関係者との調整を進め、1997年12月に道東地区エゾシカ管理計画の骨子がまとめられた(釧路支庁のホーム頁ページ
http://www.marimo.or.jp/Kushiro_shichou/news.htmlhttp://www.marimo.or.jp/Kushiro_shichou/ezosika/を見よ)。そこには、私たち研究者がまとめた素案の理念がほぼ完全に受け入れられている。私がエゾシカ管理計画の理念として提案したのは、国際捕鯨委員会(IWC)で田中昌一先生が提唱し、反捕鯨国側の反対で実らなかったフィードバック管理[1]であった。エゾシカのフィードバック管理計画は1998今年6月5月にまとめられ、実行されている。したがって、この管理計画はその成否が野生生物行政と水産資源行政の未来をも左右し得る、壮大な実験である。本稿では、このフィードバック管理計画の理念と政策立案の背景、翻って水産資源管理における問題点について私見を述べる。
2.目標と4通りの捕獲圧
フィードバック管理とは、毎年同じ方策をとり続けるのではなく、状況変化に応じて方策を変える管理のことである。エゾシカ管理の場合、個体数が増えたら捕獲圧を強め、減ったら保護すればよい。これでは常に一定の個体数に保つことはできないが、ある変動の幅を持って、適正個体数の周りに維持することができる。
個体数の自然増加と捕獲頭数がちょうど釣り合えば、個体数は一定に保たれる。しかし、それには個体数や、生存率、繁殖率などの情報を年齢ごとに正確に知らなくてはいけない。ところが、野生生物の情報は正確には得られない。さらに、生存率や繁殖率は一定ではなく、毎年変わる。豪雪が降れば冬を越せずに死ぬ鹿が続出し、数が半減すると言われる。このように不確実で非定常な野生生物を管理するには、毎年一定の捕獲圧をかけるより、状況に応じて方策を変えるフィードバック管理が有効である。
フィードバック管理を実行するためには、毎年個体数を監視(monitoring)し、翌年の方策を見直し続ける必要がある。そして、個体数の推定方法を決め、個体数がどの水準に達したらたくさん獲り、その水準を下回ったら保護するかを決めておかねばならない。管理方策の意思決定手順をあらかじめ決めておかないと、立場の異なる者同士で毎年意見が食い違い、有効な管理ができなくなる。
表1 エゾシカ管理計画の方策
方策・措置 |
実施条件 |
措置の内容 |
緊急減少措置 |
(個体数指数が)50%以上 |
徹底捕獲 |
漸減措置 |
25%以上50%未満 |
雌鹿重点捕獲 |
漸増措置 |
5%以上25%未満 |
雄鹿捕獲 |
禁猟措置 |
5%未満または厳冬年直後 |
全面禁猟 |
「管理計画」では、表1のように、大発生水準(1994年3月時点の個体数指数の50%)、目標水準(25%)、許容下限水準(5%)という3つの基準を決め、下限水準と大発生水準の間に維持することを目指す。現在は大発生水準を大きく上回っているので、2年間を限度に緊急減少措置をとり、雌鹿をたくさん捕まえる。その後は漸減措置と漸増措置を使い分ける。2年を限度としたのは、緊急減少措置の間に数が減りすぎるのを防ぐためである。個体数指数は道路沿いの目視調査(spotlight census)、ヘリコプターからの目視調査、道路と鉄道の交通事故件数、狩猟者の1人1日当たり発見・捕獲頭数((CPUECPUE、Catch per Unit Effort))、及び農林業被害額から推定する。ただし、これらの方法では絶対数はわからないし、1,2年前の情報しか得られない。2年を限度としないと、緊急減少措置では獲りすぎて一気に下限水準を下回る恐れがある。
再び大発生水準を超えたり、許容下限水準を下回った場合は、この管理計画は失敗と見なされるだろう。つまり、エゾシカ管理計画は自己評価の基準が事実上明確である。
個体数は1994年10月時点で12万頭から16万頭いたと仮定し、20年に1度の頻度で訪れる豪雪年には個体数が半減すると仮定し、洞爺湖中島に移入したエゾシカ集団が年15%の自然増加率を示したことなどから、繁殖率と生存率を雌雄別に推定し、さらにすべての係数について20%程度の不確実性を想定し、今後100年間の数値実験を行った。
フィードバック管理の成否は、各措置中の捕獲圧の強さ、大発生、目標、許容下限水準の決め方に左右される。国際自然保護連合(IUCN)が絶滅の恐れのある生物と見なす規準として定めた1000個体以下にならないようにしたい。1000頭以下になる恐れを1%以下、100年間に大発生水準を超える恐れ、下限水準を下回る恐れがともに2.5%以下になるように各水準と各措置中の捕獲圧を定めると、表1の管理方策に近いものが得られる。[2、3]
3.合意形成の方法と問題点
エゾシカ管理の目的は、北海「道民の自然資産としてのシカの絶滅と大発生を回避し、適正水準へ誘導・維持し、生態系保全と、農林業被害の軽減を図る」ことにある。
鹿が少しでもいる限り、農林業への被害は0にはならない。管理計画を発表する際、この点を被害者に説かねばならない。自然保護団体に対しては、野生動物である鹿を大量に捕まえて殺すことを説かねばならない。狩猟者に対しては、増えたときにたくさん獲り、減ったときに保護するのだから、減らす場合ときと増やす場合ときとでは捕まえる数が大きく違うことを明らかにせねばならない。
エゾシカ管理計画の骨子を決める前に、インターネット上で生態学者に管理計画を公募し、私たち自身の案をその一つとして公表してきた。骨子ができた後は、本特集の杉山秀樹さんが紹介した秋田県がハタハタの場合を禁漁としたときと同じように、自治体(釧路支庁など)と農協、猟友会、自然保護団体、環境庁などの利害関係機関住民、市民とのの公開の地域協議会で話し合いの中でこの計画を説明し、意見を求めてきた。管理計画を決める前にも、インターネット上で生態学者に管理計画を公募し、私たち自身の案をその一つとして公表してきた。自然保護団体などの非政府組織(NGO)の側でも独自にシンポジウムを開き、疑問、批判、代替案を集めていた。インターネット上の投書(Mailing List)でも北海道や環境庁の行政官、私たち研究者と市民が投書によって公に議論してきた。
管理計画を進めるに当たり、やはりさまざまな問題点が明らかになりつつある。第一に、たくさん獲ることを期待して可猟区の面積と期間をずっと広く長くしたが、期待されるほど雌鹿をが獲ることができれない。猟師はどうしても大きな角をもつの雄鹿を獲りたいようである。同時に、以前推定した12万頭より、鹿の数がずっと多いという可能性が強まってきた。だとすれば、もっとたくさん獲らないと増え続けることになる。緊急減少措置を実施してもとはいえ、本当に減らすことができるのか、まだ確証はない。
第二に、鹿の死体に散乱した鉛弾の破片をオジロワシなどが食べて中毒死していることがわかってきた。法律では射殺した鹿は丸ごと持ち帰らなくてはいけないが、肉の一部だけを採って死体を放置することがある。せめて鉛が散乱した部分も持ち帰れば、被害は減るだろう。また、鉛弾に代わる安全な弾に切り替えるべきである。
第三に、猟銃の暴発事件や、鹿猟りの猟師がヒグマに襲われる放置した鹿肉を狙うヒグマが出会い頭に猟師を襲う事件も起きた。一部の猟師の品行への苦情も出ている。動物愛護団体からは、より人道的な方法で鹿を減らせという声も聞かれる。また、鹿が増えた原因を断つべきだという意見もある。狼が絶滅したことと、森林を切り開き、草地やゴルフ場を広げたことが鹿が増加の増えた一因だが、外国から狼を移住させたり、土地の利用を変えるよう訴えようというる意見もある。
しかし、何もしなくて良いという意見はほとんど聞かれない。鹿が増えすぎたことは明らかである。り、これは農林業被害と交通事故だけでなく、希少植物の食い荒らしなど、生態系にも悪い影響を与えている。市民の側からも現実的な対案や修正案が出てくることで、実りある対話ができる。また、主な被害が経済的なものであり、鹿がいる限り被害は0にはなくならない点に対しても今のところはほとんど異論がない。本特集の中西孝さんが紹介されている漁業管理の諸問題に比べれば、合意はそれほど難しく無いかもしれないといえるだろう。
4.方策決定の方法
実際に管理計画を進めるに当たり、今だけでなく、今後もずっと個体数の監視と方策転換のための話し合いが必要である。これはフィードバック管理の宿命である。り、後で述べるように、北米大陸などで定着した順応管理[4](adaptive management)でも、後で述べるように、継続的な監視と話し合いが強調されて義務づけられている。
本来、フィードバック管理では個体数が増えていたら捕獲漁獲圧を少し増やし、減っていたら減らすと言う微調整の繰り返しを行う。[1]しかし、エゾシカの場合、2年前の個体数しかわからずに今年の狩猟期間と猟区面積を決めねばならないる。このように状況変化がすぐにわからない場合、捕獲圧を微調整しても個体数を目標値に導くことは難しい。そこで、表1のように個体数に応じて個体数が目標値より多いときは高めの捕獲圧を、少ないときは低めの捕獲圧を変えてかけて、個体数をある変動幅の間に維持するようにしている。この場合、減らしたいときには十分捕獲圧を上げて確実に減らし、増やしたいときに増やすために、個体数の増加率と絶対個体数をそれなりに正確に推定しておかなくてはいけない。鹿の生活史、個体数指数を調べる時期と結果が出る時期を暦の上で明らかにしておけば、来年の可猟区と可猟期間を決める時期も決まってくる。
5.机上の計画に留まらず、順応管理を実行しよう
1997年から昨年、国連海洋法条約が実施され、許容漁獲量(漁獲可能量、TAC=Total Allowable Catch)制度が6つ魚種で決められたとき、水産資源研究者は燃えていた。今までは管理の必要性をいくら訴えても、科学的に立証しても、それが実際の政策に生かされることは少なかった。それが、国際法によりこれからは管理が国際的に義務づけられ、研究者側から生物学的許容漁獲量について具体的な数字を示すことがよう求められたからのである。[5]
ところが、生物学的許容漁獲量は公表されない。実際の許容漁獲量がこの数字は行政の中央漁業審議会の場を経て決まるでは、必ずしもその通り認められたかどうかわからない。許容漁獲量が決められるまでの審議の中身をが公開公にしされなければ、本当に水産資源学の立場から適切な漁獲量が決められたかどうかがわからない。環境影響評価でも同じことが言えるが、日本では、最終的な評価は行政側自身が行い、第三者による公の審議という形になっていない。そのため、せっかく研究者が提案した漁獲量が机上の計画に終わりかねない。実践に役立つ答を出してこそ、研究者自身も鍛えられる。
エゾシカのフィードバック管理の場合、北海道と農林業被害者、地域住民、猟友会、自然保護団体、観光業者、市民、生態学者などが話し合って管理計画を実行し、捕獲狩猟圧などを見直していく作業が欠かせない。人々の利害は必ずしも一致しないが、だからこそ公の場で話し合いながら決めていくことが大切である。
管理計画で用いた数理模型は、不確実な情報に基づいて作られている。この不確実性が話し合いの問題になる。たとえば、個体数を高めに考えれば、もっとたくさん鹿を獲るような方策が導かれ、農林業被害者に都合がいい。環境の変動幅を多めに見積もれば、万一に備えて鹿をより多く維持するような方策が導かれ、保護団体が安心できる。真の値がわからないだけに、議論の種は尽きない。
北米大陸で提唱された順応管理(adaptive management)とは、数理模型で用いた前提が不確実な場合、将来詳しい情報が得られてからそれを改善していくことを見越したような管理である。「説明責任」責任(accountability)を備えた管理のことである。同時に、個体数などの状態自身が変わっても方策を変える順応性(adaptability)を持った管理計画のことである。この意味では、エゾシカのフィードバック管理はも順応管理の一つである。
「説明」責任」という言葉は、日本では薬害エイズ薬禍事件の際に有名になった。非加熱製剤によるエイズ感染例を知った後でもそれを禁止しなかったことが、「過ちを改めるにしくはなし」という科学者と行政が持つべき的姿勢にかけると判断されたのである。原語のaccountabilityとは単に説明する責任だけでなくこの、場合は主に説明する責任だったかもしれないが、本来、過ちや新たな事実に気づいた際に計画を改めるに計画を改める「改善責任」という意味であるを含む概念である。
順応管理は、19780年代にC.S.Hollingが提唱した[6]もので、本特集の非定常生態系についての拙稿で述べたとおり、およそ約20年を経た現在では生態系管理全体の規範の一つになっている。[4]我が国で田中昌一先生が提唱したのは1983年頃だから、当時日本の水産行政でフィードバック管理を実行していれば、世界の生態系管理に先んじていたことになる。海外で新たな管理理論が生み出されているのは、それが実行に移される中で鍛えられ続けられていることと無縁ではない。日本でも、政策が実行されればその理論も発展するはずである。エゾシカ管理計画など、野生鳥獣行政では研究者の意見は政策に反映され、研究者もそれに答え続けている。
日本の水産行政も、体面だけの管理計画や研究支援ではなく、実践で鍛えられる研究と行政の結びつきが問われているのである。
[
1] Tanaka, S.: A theoretical consideration on the management of a stock-fishery system by catch quota and on its dynamical properties. Bull. Jpn. Soc. Sci. Fish., 46, 1477-1482. (1980) .[
2] Matsuda, H., K. Kaji, H. Uno, H. Hirakawa, and T. Saitoh : A management policy for sika deer based on sex-specific hunting. Res. Pop. Ecol., 印刷中 (1999) .[
3] 梶 光一・松田裕之・宇野裕之・平川浩文・玉田克巳・齊藤 隆:エゾシカ個体群の管理方法とその課題. 哺乳類学会誌、印刷中 (1998)[
4] 鷲谷いづみ:生態系管理と順応的管理。保全生態学研究:3, 145-166. (1998)[
5] 松宮義晴: 許容漁獲量制度の導入と資源管理の展望, 海洋 30, 692-702.[6] Holling, C. S. : Adaptive environmental assessment and management. John Wiley & Sons, NY, USA. (1978 )