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matsuda@ori.u-tokyo.ac.jp松田裕之、最終リンク情報更新1999/12/21

生態系管理および環境影響評価に関する保全生態学からの提言(案)

鷲谷いづみ(筑波大)・松田裕之(東大海洋研)

応用生態工学 1:51-62.

はじめに

 保全生態学は、相互に深く関連する2つ社会的な目標、「生物多様性の保全」および「健全な生態系の持続」の実現に必要な研究を担う新しい生態学です。人間活動の影響で自然環境が大きく損なわれつつある現在、これら2つの目標は、後の世代が現世代と同じように自然の恵みを享受しながら人間らしい生活を営む権利を保障するためになくてはならないものです。

 生物多様性biodiversityは、1980年代の後半に作られた造語ですが(Wilson & Peter1988)、実に多様な表現で定義されています。数例を挙げれば、「生物多様性は、特定の地域、環境、生態系、あるいは全地球に生きる生物の遺伝的、分類的多様性と生態系の多様性である。」(McAllisoter 1991)、「生物多様性は、地球上の生物の多様性の総体である。それは、あらゆる遺伝子、種およびそれらを要素とする生態系および生態的プロセスを含む。」(ICBP 1992)、「生物多様性とは、生物、その集合、生息・生育場所に係わる生態的複合性の内部および相互の間に認められる多様性と変異性の全体である。この用語は、生態系、種、景観だけでなく種内(遺伝的)の階層における多様性も包含する。」(Fielder & Jain 1992)、などです。どの定義にも共通するのは、生物進化によってこの地球にもたらされた生命の多様性、人類にとって守るべき価値のある多様性を階層性も含めて広く捉え、それら全体を包含しようとしていることです。

 保全生態学の研究活動の動機ともいえる2つの目標は、「生物多様性を守り、絶滅を防ぐ」ことが「健全な生態系を持続させるため」の具体的な方策である一方で、「健全な生態系の持続」なくしては「生物多様性の保全」もありえないというように、相互に深く関係しています。ここでは、人類共通のこれらの目標を実現するために、生態系や環境の管理の原則や当然考慮されなければならない事項を、保全生態学の立場から述べてみることにします。とりわけ、生態学の研究者が社会から意見を求められることの多い二つの局面、生態系管理と環境影響評価を想定し、そこで指針とすべき事柄やその背景にある考え方を説明します。なお、ここでは、生態系から持続的に恩恵を受けることを目標の1つとし、明瞭な方針や政策のもとに行われる森林、河川、流域などの管理を生態系管理(Christensen et al. 1996)、さらに広く、環境要素一般を対象とした管理を環境管理と呼ぶことにします。

 この提言案にたいして、保全生態学内外から、率直なご意見をいただき、より一層明瞭で有効性の高い提言へと発展させることが私たち著者の願いです。

 

生物多様性と生態系

種の絶滅を防ぎ、生物多様性を保全するためには、個々の生物だけに目を奪われるのではなく、生態系全体を視野にいれることが必要です。ある事業が環境に与える影響の評価において、そこに住むイヌワシの巣を守り、絶滅の恐れのあるランを生かしておく方策が提案され、実行されたとしても、それが生態系全体を持続させるものでないとしたら、保護したはずのイヌワシやランがいつのまにか消えてしまう可能性を考えなければなりません。

「生物多様性の保全」において、守るべきものは遺伝子、個体、種などのように比較的実体のはっきりしたモノだけではありません。それぞれの生物特有の暮らしと暮らしている環境の保全が何にも増して必要です。遺伝子を残すだけなら、生きた生物を残す必要はなく、何らかの記録媒体にその塩基配列の情報を記録しておくことだけで十分です。また、野生の生物を野生のままに生かしておくよりも、動物園や植物園で育てるほうがずっと容易いこともあるかもしれません。

 生物の暮らしとその環境を守ることは、生態学では、「生態系過程(ecosystem process)を守る」とも言い表します。ある地域に住むすべての生物は、相互に関係しあいながら一つのシステム、すなわち生態系を作っています。システム(系)という言葉はよく使われている割にはその意味を十分把握するのが難しい言葉です。システムは、単に要素としてのモノの集まりを指すのではなく、要素間の関係に重きを置く概念です。制度やしきたりもシステムですし、生物についても、分子複合体から生態系まで、すべての生物学的階層において、さまざまな興味深いシステムが認められます。

 生態系は、その場所で暮らすあらゆる生物と非生物的環境、そしてそれらの間のすべての関係から成り立つシステムです。生態系過程には、食う食われるの関係で連なる食物連鎖、排せつ物や死体が分解されて栄養分に戻り再び植物や菌類に取り込まれる物質循環、それらに伴うエネルギーの流れなど、生態系全体を貫く大きな過程だけでなく、それぞれの生物の暮らしに係わるさまざまな個別の関係や過程も含まれます。さらには、動物が息をすることも生態系過程の一つであるといえます。呼吸は、生物がまわりの空気から酸素を体内に取り入れて有機物の酸化に用い、その結果生じた二酸化炭素を放出するという、生物と物理的環境との相互作用だからです。生物と生物の種間関係は、食う食われるの関係、寄生、共生、競争などに分類することができますが、係わり合う種や環境に応じてそれぞれ個別の特徴をもち、そのなかにはかなり特殊な関係も認められます。後に述べるように、それらの生態系過程全体、特にその生態系を特徴づけるような重要な過程を損なわないようにすること(英語でintegrity、ここでは「健全さ」と訳します)が「健全な生態系の持続」という目標の内容です。

 さて、私たちが守るべき生物多様性は、4つに分けて考えると具体的な保全の目標や手段をはっきりさせることができます。

 まず、第一には、地域集団(地域個体群ともいいます)の内部にみられる遺伝的多様性です。同じ種の生物でも、すべての個体が同じ生き方をしているわけではありません。生活場所が異なれば、それぞれの環境に適応して異なる生き方をしています。環境が大きく変わると、生物は今までと同じ生き方をしていたのではでは生き延び子孫を残すことが難しくなります。けれども遺伝的多様性に富んでいれば、新しい環境で集団としてさまざまな生き方を試すことができます。しかし、遺伝的変異の乏しい集団はそのような適応ができず、環境の変化にうまく対処できません。

 地域集団に含まれる個体数が少ないと、遺伝的多様性は失われやすいものです。個体数が年とともに変動する場合、遺伝的多様性は個体数の調和平均に左右されます。個体数が少ない時に失われた多様性は、個体数が再び増加してもすぐには回復しません。1)

 たとえば、チータでは遺伝的多様性がきわめて乏しく、それは、かつて集団が著しく縮小した時代があったためと考えられています。

 2番目に守るべき多様性は、地域集団の数と言い換えることもできます。多くの生物で、同種の個体は、いくつかの地縁集団ともいうべき集団(地域集団)に分かれて生活しています。それらは互いにまったく孤立しているのではなく、ときどき個体や遺伝子が交換されることで相互に結びついています。そのように緩やかな関係で結ばれている地域集団の集りをメタ集団と呼びます。メタ集団を構成している地域集団は、絶滅寸前まで個体が減少しても別の地域集団からの個体の移入で絶滅を免れたり、一旦その場所で絶滅しても他からの個体の移入で復活する可能性があります。それぞれの地域集団が永続することはなくとも、個体の移入による新生と絶滅を繰り返しながら全体としてメタ集団=種が維持されているのです。メタ集団をつくっている種は、それぞれの地域集団の個体数が少なすぎても、集団数が減りすぎても、種の絶滅の恐れが高まります。2)

 3番目の多様性は、多種の共存による多様性、種多様性です。ある生物が絶滅するとそれを利用していた捕食者の数が減ったり、逆に滅んだ生物に食べられていたエサ生物が大発生するなど、それまで保たれていた生態系内の釣り合いが破れ、生態系の種構成に大きな変化が生じることがあります。食う食われるに限らず、同じ地域で生活している生物は、私たちが気づいているものもいないものも含め、生態系の隅々まで広がる種間関係のネットワークで結ばれています。そのため、1種の生物が絶滅したり外から侵入した場合に、生態系全体に広く影響が及ぶ可能性があり、時には連鎖的に絶滅が伝播することも考えなくてはなりません。

 種間関係のネットワークの要をなし、その種の絶滅や添加が生態系全体にきわめて大きな影響を及ぼすような種をキーストーン種と呼びます。3)また、アメリカシロヒトリやセイタカアワダチソウなどの例にもみられるように、野生化した外来生物が侵入先に天敵や競争種がいないために一時的に大発生する例も、世界中で数多く知られています。

 4番目の多様性は、さまざまな生態系が隣接し、あるいはある程度距離をおいて共存することです。生態系の共存のあり方は、そこで生活しうる生物にも大きな影響を与えます。後でも述べるように、それぞれの生態系は外と隔てられた「閉鎖系」ではないからです。たとえば里山の景観を構成する水田、ため池、雑木林、草地などでは、大部分の生物はそれぞれの中で一生を過ごし、その意味ではそれぞれを別の生態系とみることができますが、生物の中にはいくつかの異なる生態系にまたがって生活を営むものもあります。たとえば、トンボは幼生の時代には水中で暮らし、羽化すると林や草原を飛び回り餌をとります。猛禽類の中には森林に営巣し、餌は草原で採るものもいます。いずれの生態系が損なわれても、トンボや猛禽類はそこでは生息できなくなってしまします。

 渡り鳥は、距離的に遠く隔てられた北方あるいは南方の生態系にまたがって生きています。さらに、それぞれの生態系の中で生命を支える水や物質は、生態系の中に留まるものではなく、地球全体を駆けめぐります。地球のあらゆる生命をエネルギー面から支えているともいえる太陽光は、地球の外からやってきます。また、生物に毒作用のある環境汚染物質も、1つの生態系に止まることなく、まわりの生態系にも広がっていきます。

 さまざまな生態系は相互に関連を持ち、人間の土地利用のあり方に応じて、地域ごとにまとまりのある景観4)を作っています。生態系の健全性や生物多様性を守るには、景観全体の繋がりに十分に配慮することが必要になります。水田やため池を潰して雑木林だけを残しても、林を生息・生育場所とする生物が安泰であるとは限りません。

 さて、生物の多様性の保全にあたって、地域で暮らす生物の種数が多く多様であればそれでよいかというと、そうともいえません。たとえば今までそこにいなかった生物を外国から持ってくれば、一時的には多様性は増えます。動物が種類ごとに別の檻にいれられて暮らす動物園ならそれでもよいかもしれませんが、生物が互いに微妙で複雑な関係を保ちながら暮らす野生の生態系ではそうは行きません。野生化した外来の生物によってその生態系にもとからいた生物の存続が脅かされたり、いったんは大発生した侵入種がやがて衰え、全体として多様性が低下することもあります。外来の生物が野生化した場合には、一般的には生態系の秩序を乱す可能性が高いと考えなければなりません。それは、人間関係と同じように、生態系も歴史的な共存によって秩序が作られているからです。

  生物多様性の保全という視点からは、地域においては短期的に種数が多いことよりも、地域やそれぞれの生態系に固有な生物を絶滅させないこと(平川・樋口1997)を何にも増して優先する必要があります。局所的にみて固有な生物が生息・生育することが、広域的にみた多様性の重要な要因だからです。「グローバルな多様性」を維持するためには、「ローカルな固有性」を尊重することが重要なのです。

3. 生物多様性=健全な生態系の人類にとっての価値

 では、なぜ私たちは生物多様性を尊重する必要があるのでしょうか。倫理や価値観の問題を別にしても、生物多様性を守ることは、1992年に採択された生物多様性条約5)による国際的な合意事項です。それが国際社会の目標として掲げられるようになったのは、人間が生物多様性の豊かな生態系からさまざまな恵みを受けて生活しており、それなくしては生きることができないということ、さらには、生態系の健全さを損なうような自然の破壊や誤用は、私たちの子どもたちやその子どもたちの首を絞めるような行為であるということが次第に強く認識されるようになってきたからです。地球の生態系は40億年に近い長さの生物進化の歴史を持ち、地域の生態系にしても一朝一夕にできるものではありません。乱伐した熱帯林は、たとえ植林でみかけの似た林をつくることができたとしても、同じ生態系の再生は永久に期待することができません。森林が失われることで生活の基盤を失い絶滅する多くの動植物は決して再生することがないからです。

 さて、後の世代の人々に我々と同じ自然の恵みを残すことを、生態学や環境学では「持続可能性6)といいます。資源も空間も有限な地球上においては、無制限に開発の持続性を追求することは難しく、健全な生態系の持続性を最優先させて開発や人間活動のあり方を調整していくことが必要なことが、強く認識されるようになりました。ひと頃よく用いられ、今ではその有効性についてやや疑義がもたれている「発展(=開発)の持続性」という概念7)にも、本来は、後の世代の発展の可能性を損なうことのないように現世代の発展をコントロールする必要があるという意味が込められています。

 今では、持続可能性を念頭においた環境への配慮は、社会生活のさまざまな面で確実に広がりつつあります。四半世紀前には使い捨てが当たり前の時代でしたが、今日ではリサイクルの考え方がひろがり、工業製品も捨て方まで考えてデザインされる時代になっています。8)

 持続性を強く意識して社会活動を営み自然に接することは、今では当たり前のこととなってきました。

 では、「自然の恵み」とは何でしょうか?生物多様性が一言で言い表せないのと同じように、「自然の恵み」という表現の中にも多様な意味が込められています。また、親族や親友のありがたみが一言で言えず、後になって気づく場合もあるように、自然の恵みも現時点ですべてが明確に理解されているわけではありません。身の回りの自然についても、まだ私たちが認識していない重要な恵みが隠されているかもしれません。すでに意識されている自然の恵みは、便宜的に、有用物(goods)、生態系がその機能を通じて提供するサービス、私たちの感性や精神生活への恵みに分けられます(Ehrlich & Ehrlich 1981)。

 農産物、水産物および林産物は生態系から得られる有用物です。その多くは市場に出回る商品になり、農産物と水産物は主に人間の食糧になります。海に泳ぐ魚は人間の経済活動の重要な資源でもあり、乱獲すれば後の世代の人々の食糧源を奪うことになります。農業や牧畜も、やり方を誤れば土地がやせて生産性が損なわれます。焼き畑農業や森林の伐採も、度を超せば森林の回復が難しくなります。これらはいずれも持続可能ではない自然の過剰利用の例ですが、実際に、過剰利用や誤用にもとづく資源の枯渇や崩壊といった深刻な問題が世界中で次々に起こりつつあります。

 しかし、自然の恵みは有用物だけではありません。植物が二酸化炭素を固定して有機物を生産し大気に酸素をもたらす光合成は、有機物生産と空気の気体組成の維持において重要な役割を果たしていますし、水を浄化する植物や土壌の作用、枯れ葉やさまざまな生物の遺体を分解する微生物の働きは、人間の生活の基盤としても欠かせないものです。これらの生態系過程は、人間にとって有用な生態系の働き、すなわちサービスということができます。

 さらに、美しい花、木々の緑、虫の音、小鳥のさえずり、愛らしい鳥や獣などが生きていることが、人間の感性や知性に働きかけ、感動や知的刺激などさまざまな快適さを与えてくれます。それらの多くは、本来、豊かな自然に囲まれて暮らしていればおのずから享受できるもので、経済価値のないものばかりでした。しかし、周りから自然が失われるにつれて、人間はそれらの快適さをお金を出して求めるようになっています。逆説的な言い方をすれば、快適さという自然の恵みが高く売れるほど、自然が失われていることの証拠であるといえます。さらに、私たちは自然をあまりよく知らないため、新たな発見のチャンスがいくらでもあります。自然に対する畏敬の念も、新たな自然の神秘を自分の五感で発見する喜びも、自然の恵みであるといえます。テレビ番組では世界中の神秘を紹介してくれますが、身近な自然の神秘は自らの体験で知るべきものです。その機会は、ここ数十年間のうちに大幅に減少してしまいました。それは、テレビ番組の充実と生態学が進んだせいではありません。身の回りの自然が大きく変質し、その豊かさが失われつつあるからです。

4. 生態系のもつ特徴

生物多様性を守るには、生物が暮らす上で必要とされる条件を守ること、すなわち環境を守ることが大切だということをすでに述べました。それは、言い換えれば、健全な生態系の持続ということになります。「健全さ」を科学的にどう評価するかは、難しいことですが、生物多様性や複雑さがその指標になると考えられています(Christensen et al. 1996)。

 また、生態系には、その健全性とも係わるいくつかの特徴があり、それらを無視しては、健全な生態系を守ることはできません。そのような特徴のうち主要なものをつぎにあげます。

a.開放系: 生態系は閉じた系ではありません。水、物質、エネルギー、生物自身が出入りする開放系です。また、生態系の境目をどこに引くかは自動的に決められるものではありません。多くは便宜的に決められます。どのような生物に注目するかによって、適切な空間の区切り方も異なります。ですから、ある問題を考えるために設定した区分け以外にもいろいろな区分けがあることを忘れてはなりません。

 いずれの区分けを採用するにしても、外部の影響を無視するわけにはいきません。健全性を保つための条件を決める上でも外部からの影響を十分に考慮する必要があります。

b.非定常性不均一性: 次に、生態系はたとえ人間の干渉がなくても、一定の状態にとどまるものではないこと(非定常性)を強く意識する必要があります。火山の噴火でできたやせ地にもいずれ草が生え、日向に強い陽樹が生え、やがて日陰に強い陰樹が生えていくように、植生は徐々に変わっていきます。これを遷移とよびます。けれども、遷移は常に一方通行とは限りません。巨木が倒れれば密林の中にも日向ができ、日向を好む草木が生えてきます。山火事や土砂崩れが起きても遷移は逆戻りします。このような自然のかく乱は、生物多様性の重要な要因になっています。かく乱が頻繁に起きると遷移が進まず、稀にしか起きないと遷移が進み全体に比較的安定した森林が成立して維持されます。適度な頻度でかく乱が起きることは、豊かな多様性の維持に役立ちます。かく乱には、競争に強い生物だけが優先的に増えることを抑える効果があるからです。9)すなわち、生物多様性は遷移とかく乱という逆方向に作用する生態系過程の釣り合いによって保たれているのです(Christensen et al. 1996)。どちらに偏っても、生態系の健全さは損なわれることになります。

 通常のかく乱は、生態系全体で一斉に起きるわけではありません。ですから、生態系は遷移と自然のかく乱による揺り戻しが織りなす不均一なモザイクを呈しています。したがって、局所的にみれば状態が時とともに移り変わっても、ある程度広い範囲をみると全体としては同様の状態が維持され、安定しています。「局所的な変動が全体として安定した系を維持している」ということもできます。

 そのため、森林のごく一部だけを残そうとしても、うまく行くとは限りません。自然のかく乱が起きないような人為的な干渉を施すと、全体として遷移が早く進みます。また、周りに似たような生態系が続いているか、途切れているかで、森林の将来の姿が大きく異なる可能性があります。遷移の進行は、環境条件の変化に応じた局所的な種の消滅だけでなく、個体の移入による新たな種の供給速度に大きく依存しているからです。そのため、周囲にどのような種の供給源が残されているかも遷移のあり方を大きく支配します。

 生態系は短期間にみても非定常です。たとえばある生物集団を1年間観察すると、よく繁殖し、個体数が確実に増加するように見えることがあります。しかし翌年は同じ集団で子どもが皆死んでしまい、集団の衰退が心配されるかもしれません。景気と同じで、毎年同じ状態が続くと考えると大きな間違いを犯します。年毎の変動があまりないように見えても、10年間気象条件に恵まれた年が続いた後に厳しい冬が来て個体数が激減するようなことが起こるかもしれません。長い目で見て個体数が一定に保たれている生物でも、短期的には個体数の大きな増減が繰り返されていることもあります。

 このような生物への影響を調べるときは、特に注意が必要です。1年だけの個体数増加率を調べて、それを根拠に将来を云々するのは早計です。大幅な増加が認められたとしても集団として安泰と結論することはできませんし、減少傾向が認められたからといって、早晩絶滅すると考えるわけにもいきません。また、たとえ長期間の平均値がわかっても、それだけでは予測が難しいものです。平均と変動パターンの両方を知って初めて予測が可能になります(Tuljapurker 1989)。

 生態系は長期的にも短期的にも非定常です。局所的にみれば、さらに非定常性が顕著になります。そのため、生態系を守るということは、変わりゆくものを守るという矛盾をはらんでいます。特に局所的には、今ある状態を保つことが最善とは限りません。すでに述べたように、生態系によっては、局所的な変動性が全体の安定性に寄与するからです。いずれにしても、その生態系の成り立ちにおいて重要な生態系過程を理解したうえで、変わるべくして変わるものは、むしろその邪魔をしないようにすることが必要です。

c.間接効果: 非定常であることは、無秩序とは違います。ある生物に与えた影響は、直接的な関係をもたない他の生物に大きな影響を与えることがあります。たとえば、草が増えればそれを食べる草食動物が増え、さらにその草食動物を食べる肉食動物が増えることが予想されます。逆に、肉食動物が増えればそれに食べられる草食動物が減り、そのエサである草が増えることが予想されます。これらの場合、草と肉食動物は直接関係しているわけではありませんが、草食動物を介して互いに強く影響を及ぼしあいます。これを生態系における間接効果と呼びます。

 間接効果は上の例のように直感的に予想できる場合もありますが、むしろ、そうでない場合の方が普通です。生態系における種間の関係は複雑に絡み合っており、しかもそれぞれの生物の生き方が環境の変化に応じて変わるからです。たとえば、草と草食動物、およびこれら両方を食べる雑食動物がいる場合、雑食動物の数が増えると、草食動物が減って草を増やす間接効果と、雑食動物に草が直接食べられて草が減る直接効果のどちらが強いか、一概には予測できません。種間関係が複雑に絡み合うほど、間接効果がどのように働くかを予測するのが難しくなります。多様な種間関係が絡み合う生態系においては、間に何種もの生物が介在する間接効果が、それぞれ関連を持ちながら無数に存在すると考えなくてはなりません。

 実際のところ、1種が介在する比較的単純な間接効果でさえ、予測ができるのはごく限られた場合だけで、多くの間接効果においては、一方の増加に応じて他方が増えるか減るか、符号さえ予測できないのが普通です。これを非決定性といいます(Yodzis 1988)。

 非決定性に限らず、生態系の測定値や影響予測には大きな不確実性が付きまといます。種間関係や間接効果はもとより、今まであまり研究されていない生態系では、そこに含まれている生物の種名さえわからないことも珍しくありませんし、種の把握ができていても、個体数となると、有効数字が1桁あればいい方で、桁違いの誤差さえ覚悟しなくてはなりません。

5. 生物多様性保全のための生態系管理における原則

 上で述べたような生態系の特性を踏まえた上で、具体的にどのようにすれば生物多様性や生態系の健全性を守ることができるのでしょうか。またそれは、地球温暖化などの他の環境問題に対処する場合とどのような点が共通で、また異なるのはどのような点なのでしょうか。ここではまず、システム管理全般に通じる原則や留意点、次に環境影響評価に際しての指針などを整理し、最後に生態系管理に特有の原則や留意点について述べることにします。

5.1. システム管理全般に通じる原則

 システム一般の保守については、システム管理またはシステム設計と呼ばれる分野で研究されています。生態系もシステムですから、システム管理の一般則は生態系にも当てはまります。ここでは、そのうち、公的なシステムの管理について限定して考えてみます。

 システム管理に関しては、ソクラテスの格言ではありませんが、「無知の知」がもっとも重要なポイントであるといえます。私たちが日常使用しているシステムでも、それを私たちが十分に理解しつくしているとはいえず、また、それらが必ずしも理論通りに動くとも限らないということを認識しなければなりません。為替相場や証券取引においても、ときどき予期せぬ事態が起こりますし、血友病患者に用いる血液製剤も、エイズの流行に伴い大きな悲劇を招きました。私たちが現在知り得る情報や知見には限りがあります。将来、情報の精度が上がったり、過去の知見が誤りだったことがわかった場合には、それをすみやかに認め、新たな知見に応じて早急に管理指針を改めなければなりません。それを説明責任 (accountability)といいます。

 公的なシステムの管理は、上意下達ではなく、行政諸機関、直接利害が絡む住民、そして一般市民によって民主的に実施されるべきです。管理の原則、方針についての合意形成は、何にも増して重要です。多様な分野の研究者の議論を踏まえ、専門的な事柄についても十分な説明にもとづいて関係者が相互に十分に理解した上で、望ましい管理の方針、手法、計画について合意を図るべきです。また、不確実性に備え、具体的な管理が実施された後も監視を続けることが必要です。その監視においては、科学者が大きな役割を果たさなければなりません。そして、監視の結果、一旦決定された管理が不適切なものであることがわかった場合には、速やかにその変更が検討されなければなりません。

 欧米では、生態学者をはじめとする科学者、管理の現状を監視し、実行し、説明する管理者、政策決定の責任者である意思決定者がはっきり区別され、また、それぞれの役割が明確にされています。そして、管理の方針、決定にいたる合意形成を一般市民に説明し、異議申し立てを受け付けて審議する機関が設けられるのが普通です。

 ところが日本では、公的なシステム管理において形式的に意思決定者が決められていたとしても「実質的な」意思決定者が明確でない場合や行政各機関の間の役割分担が不明瞭な場合が多く、しばしば責任のなすりあいが行われます。また、住民や市民に対する管理方針の説明が十分とは限りません。また、行政から離れた中立の審議機関で議論するような場が法律で保障されていません。行政、管理者、研究者、直接の利害の絡む住民、一般市民が十分に話し合い、納得し合う機会が保障されることは、望ましいシステム管理にとっての必要条件ともいえます。そのような公的システム管理のための合意形成システムを早急に構築することが望まれます。

 特に大きな不確実性が伴うシステムの場合には、十分に論議を尽くして関係者が合意した方針や手法による管理でも、失敗がないとは限りません。その失敗が合意によって決定された管理から逸脱したものであれば、失敗がどのようなものであったかに応じて、管理に責任のある機関や個人に道義的責任はもとより法的責任が生じるかもしれません。しかし、それが、然るべき手続きを踏んで合意された「管理」を忠実に実行した上での失敗であれば、その責任は関係者全体で負うべきことで、その問題の解決は、新たな管理のあり方を早急に検討することによって図られることになるでしょう。しかし、行政担当者、管理責任者、あるいは専門的な事項に関して助言する研究者のいずれかが意図的に説明責任を怠ったとすれば、そのことに関しては法的責任が問われなければなりません。

上にも述べたように、システム管理における合意形成や実施において研究者の果たすべき役割は決して小さいものではありません。しかし、現状では、研究者がシステム管理の検討や監視に係わる活動に多大な労力や時間を費やしたとしても、そのことが業績としてはほとんど評価されることがないという問題があります。現状では、研究者の研究業績は、主に執筆した学術論文の数(時には質も若干考慮される)によって評価されます。それが実際的で、しかも比較的高い客観性が保障される唯一の方法だからです。研究論文の生産につながることのない「責任ある助言」が、単に研究者の倫理観だけに委ねられるのではなく、業績として評価されるようなシステムがないと、よりよき公的システム管理の実施にむけて多くの研究者の参加は望めません。

 しかし、一方で、社会的な分業がこれほどまでに進んだ現代社会では、専門的な事項については、研究者や管理者などの専門家が全面的な責任を負わざるを得ません。それは、その「地位」あるいは「職」に必然的に伴う社会的な責任であるともいえます。そのような倫理観にもとづき、公的なシステム管理において然るべき役割を果たす研究者(集団)が増えてくれば、必ず、業績としての評価も行われやすくなるはずです。

5.2. 環境影響評価に通じる原則

 日本の環境影響評価の問題点は、事業を実施することを決定し、事業計画が固まった後で環境への影響を調べる、事業アセスメントであるという点です。10)

 事業の実施がすでに決まってしまっているので、その事業が環境に与える影響が甚大であると予測されたとしても、それを回避する途が閉ざされています。

 しかも、これまでのアセスメントでは、生物多様性に与える影響については多くの場合定量的な評価が行われず「影響は軽微である」と述べるにとどまっていました。そのため、結果的に事業を追認するだけの「アワセメント」であるとの皮肉も広く流布しています。

 環境への大きな影響が予想される大規模な事業については、事業計画を一つに絞り込む前にそれぞれの計画が環境に及ぼす影響を予測する、計画アセスメントの実施が望まれます。日本の多くの事業でも、計画を決める前に、環境問題を含むさまざまな観点から計画の是非の検討が行われますが、この作業は諮問と呼ばれ、ふつうは事業者内部で行われ、実施の義務も、検討内容や結論の公表の義務もありません。アメリカ合衆国では「何もしない代替案」、つまり事業自体を取りやめる案と計画案の長所短所を比べることになっていますが、日本ではそのような比較はほとんど行われていないようです。

 1997年制定された環境影響評価法も、残念ながら計画アセスメントの実施を義務づけるものではなく、事業アセスメントの実施を義務づけたものに過ぎません。環境庁が発表した「基本的事項」では、環境への影響を「実行可能な範囲で」評価した上で、影響を「実行可能なより良い技術が取り入れられて」「回避され、または低減され」ているかどうかを評価するとされています。11)

 評価手法は年々進歩します。私たち生態学者にも、実行可能で有効な評価方法を、新たに提案し続ける責任があります。環境基本法の趣旨12)に照らせば、「現在及び将来の世代の人間が健全で恵み豊かな環境の恵沢を享受」できない場合には、その事業計画は見直さなくてはならないはずです。

 さて、これまでアセスメントの文書で多用されてきた「軽微な影響」という表現は、「軽微」の範囲が曖昧で、科学的な表現とは言えません。どの程度の影響までが「軽微」であり、「持続性」の視点からみて許容できる範囲なのかを明らかにすべきです。「影響がある」という表現であれば科学的に意味がある表現ですが、それは事業を認めないということになります。どのような影響までを許容するか、定量的にせよ定性的にせよそれを明確にすることは、評価の客観性や科学性にとってもっとも重要な問題です。

 さて、具体的な例として、ある希少種の個体数が将来、事業とのかかわりでどの程度失われるかを予測するケースについて考えてみましょう。どのような予測においても、一つの数値だけで予測結果を表現することはできません。もし、「50%失われる」と予測すれば、喪失が45%であったとすれば間違いであったことになります。予測の結果を数値の範囲で示すことが必要です。さらに、現在の予測技術では、せいぜいある前提に立って、減少する範囲を確率的に予測することができるに過ぎません。そこで、「ある希少種の土地造成が予定されている場所にいる個体がすべて失われ、それ以外の場所では生存率と繁殖率が○%という○○の野生状態での調査結果と同じであると仮定すると、事業によって失われる個体数は全体の○%から○%の範囲に入る確率が95%である」などと予測することになります。これを、信頼区間の推定と言います。95%という高い確率で指定すれば、これが外れた場合には単に運が悪かったのではなく、予測手法そのものが対象の変動を捉えるのに不適切であったか、またなんらかの仮定が間違っていたということを示唆します。

 予測の幅を広げれば、当たる確率も上がります。生態系に与える人為的影響を予測する際には、多くの不確実性を伴います。95%という高い信頼確率を設定したのでは、増えるか全滅するかさえ特定できない場合もあるでしょう。その場合は、「絶滅する恐れを否定できない」ことを意味します。いずれにしても、このように数値を出して定量的予測を試みれば、予測が適切であったかどうかを後になって判断することができます。これは一例にすぎませんが、どのような結果が生じたら、予測が不適切、あるいは誤りであるかを、あらかじめ明らかにすることは、客観的・科学的な予測の必要条件です。これを反証可能性(falsifiability)と言います。あるいは複数の仮説を併記して、事後にどちらがより妥当であったかが評価できるようにするという方法もあります。この他にも、予測における科学的論証の方法はいろいろあります(Hilborn et al. 1997)が、そのどれにも当てはまらないような方法はとるべきではありません。

 後で真偽の判断ができるようにするためには、科学的な予測をたてるだけでなく、事業を行った後に環境がどのように変わったかを調べる必要があります。これを監視13)(monitoring)と言います。監視(=事後調査)の必要性は環境影響評価法にも記されています。監視は、順応性の高い管理を行うためにも欠かせません。いずれの場合も、監視によって正確な情報を得ることだけでなく、それをなるべく早く得ることが大切です。方針変更が後れるほど、有効な手だてをとることが難しくなるからです。

 監視については、それにかかる費用についての考慮も必要です。綿密な監視を行えば迅速かつ正確な情報が得られ、きめ細かい管理が行えます。しかし、監視にかかる費用が、監視の結果としてくい止められる自然の恵みや健全な生態系の損失に見合うかどうかという問題が生じます。また、監視のために新たな人為的干渉を生態系に加えなければならないこともあるかもしれません。その場合は、監視すること自体が環境に影響を与えることも考えなければならなくなります。適切な監視とはいかなるものなのか、それぞれの対象や目的に応じて科学的な判断が求められるところです。

 事業を行うことを決めてから「軽微な影響」という評価を下すことの問題点について前に指摘しましたが、これまで経験されたことのない生態系への不確実な影響については、予測や判断の過誤を避けるのが難しいものです。内分泌かく乱物質(いわゆる環境ホルモン)が人体や生態系に及ぼす影響については、それに関する問題の提起がなされてから、社会的な問題として受け入れられるまで相当長い時間がかかりました。それは、これまで、科学では実証された事実だけを尊ぶ傾向があったこととも関連しています。しかし、環境に関する問題のなかには、地球温暖化問題にもみられるように、影響が実証されてから対策を立てたのでは手遅れになる緊急性の高い問題がたくさんあります。そのため、重大な事柄については、実証を待って対策を立てるのではなく、影響の危険性を未然に摘み取るという姿勢で対処することが必要です。

 行政が情報を独り占めにし、市民に誠意のある説明をしないという態度では、「持続可能性」を保障する管理は不可能です。これまで、行政は危険性については口をつぐみ、安全性や社会に対する有効性のみをことさら喧伝する傾向がないとはいえませんでした。そのことが行政に対する信頼性を損ない、問題の解決を難しくする要因の1つともなってきました。早急に係争中の問題を解決し、有効な管理を実施するためには、危険性についても包み隠さず伝え、双方が有効性と危険性の両方に関する信頼性の高い情報を踏まえた上で、十分な論議を尽くすことが必要です。そのような「危険性の周知」の原則にのっとることなしに、悔いを残さない円満な合意形成はありえないといえるでしょう。

 中国には「杞憂」という言葉がありますが、もともとは天が落ちてくるのを心配する取り越し苦労のことです。しかし、隕石が頭上に落ちてくる恐れは完全には0ではありません。落雷で命を落とす恐れはそれよりずっと高く、交通事故に巻き込まれて命を落とす恐れはそれよりさらに高いのです。交通事故に比べて、喫煙者が健康を損ねて死ぬ確率は低く、ピーナツバターに含まれる有害添加物が引き起こす発ガン率はさらに低いのですが、杞憂と言えない程度には高い確率です。このように、白黒つけがたい、濃さのさまざまな灰色の危険性が世の中に満ちあふれています。人々の健康や生死に与える影響はどの程度のものかについては、身近な例と比べてわかりやすく説明することも必要です(ロドリックス1994)。生態系への影響のなかには人の健康への影響と引き比べて危険性を表現することに馴染まないものもありますが、それらについては種の絶滅可能性による説明などが試みられる必要があるでしょう。

 しかし、危険性がどの程度あれば、避けるべきかについては、自明の基準があるわけではありません。ある人は危険を省みずに利潤を追求し、他の人は石橋を叩いて渡るほど慎重に危険を避けようとします。さらに、利益を得る者と害を被る者が異なる場合には、利益と被害や損失を単純に比べるだけでは合意は得られません。その際に大切なのは、悔いのない政策を優先するという原則です。悔いのない政策とは、たとえ失敗しても、あるいは結果的に無用の対策だったとしても、多くの人々が納得できる政策のことです。たとえば、人口爆発をくい止めるために途上国の女性の地位を高めようと言う運動があります。女性の地位向上は、それ自身が望ましい政策であり、多くの人々が納得する政策だといえるでしょう。特に生態系については、一度失われた多様性と健全性の両方を取り戻すことがきわめて難しいため、不確実な状況では環境に影響を与えるおそれがあることを避けるという予防原理(precautionary principle)にもとづく方策が「悔いのない」政策であるといえます。

 影響評価の指針や考え方、用いた情報と評価結果についても、つつみ隠さず市民に明らかにすることが必要です。密室で審議して部外秘の報告書を出すのではなく、情報公開がもっとも重要な原則とされるべきです。

5.3. 生態系の管理に特有な事項

 生態系という特殊なシステムを管理する上で、もっとも重要な原則は、環境や状況の変化に応じた順応性のある管理(後述)を行うことです。生態系は本来非定常なシステムです。生態系を定常状態に導くような方策はありません。状態の変化に応じて臨機応変に具体的な方針や方法を変えていかなければなりません。ただし、その基本となる方針や変え方やについては、あらかじめ決めておく必要があります。14)非定常性や情報不足にもとづく不確実性に備えた順応性と、新たな知見を柔軟に取り込む説明責任とを備えた管理手法は、順応的管理(adaptive management)と呼ばれ、米国ではすでに生態系管理の標準的な手法となっています。15)

 多様性保全の理念のみならず、環境政策の理念として、日本ではよく「共生」という言葉が使われます。しかし、この一見響きのよい言葉は、明確な定義なしに使われる場合が多く、内容の空疎な概念です。そもそも、「共生」ということばを環境政策に用いるのは、日本独特の流行であり16)、私たちは、次のような理由で、「共生」という言葉を安易に使うべきではないと考えています。

 生態学の用語としての「共生」とは、広く「寄生」(搾取)を含む概念であり、生まれと育ちの異なる生物が深く係わりながら一緒に暮らすという意味です。一緒に暮らしているからと言って、双方が利益を得るとは限りません。すぐに相手を捕って食べるわけではなくとも、子々孫々まで持続可能であるとも限りません。「共生」の美名の下に搾取ともいえる行為や破壊的な開発が容認、あるいは横行しいることも問題です(松田1995)。あえて「共生」という概念を用いるのであれば、(1)双方が利益を得る「双利共生(mutualism)関係」であることと、(2)双利共生関係の長期的持続を目指すことを明らかにし、(3)それらの根拠を示した上で使うべきです。

 非定常な生態系を維持を考える上で大切な概念は、固有性です。17)第一に、その地域に固有の生態系を持続させることは地球規模あるいは広域的な視野での生物多様性の保全にとってもっとも重要な意義をもっています。他方、地球全体では特に絶滅の恐れのない生物でも、その地域からいなくなれば、地域生態系に大きな影響を及ぼす恐れがあることもあります。

生態系は私たちが未だその性質を十分に把握していない多数の生物を含んでいます。しかも、すでに述べたように、それらの種の間には複雑で入り組んだ関係が張り巡らされています。そのため、一種の生物がいなくなることが生態系にどんな影響を及ぼすかを予測することは現状ではきわめて難しいといわなくてはなりません。このような問題に生態学の実証的な立場から取り組むにあたって、今までにある程度性質が明らかにされている種を取りあげて、それらが生態系において担う役割について詳細な検討を加えるような研究や調査が有効であると考えられます。

 そのような検討のためには、似たような生育場所や環境条件に生きる種群を代表する生態的指標種(ecological indicators)、群集における生物間相互作用と多様性の要をなし、そのような種を失うと生態系が異なるものに変質してしまうと考えられるキーストーン種(keystone species)、食物連鎖の最高位に位置する大型肉食哺乳類や猛禽類など、生育に広い面積が必要で、その種を守れば多くの種の生存が確保されると考えられるアンブレラ種(umbrella species)、その美しさや魅力によって世間に特定の生育場所の保護を訴えるのに役立つ象徴種(flagship species)、絶滅の恐れの高い生物(threatened species)などを、実用的な指標として取りあげることができます。

 さて、地域に固有の生態系は、自然のままに任せれば適切に保全できるとも限りません。薪炭林は人手が加わって維持されてきた二次林であり、今では放置されて、かえってその固有性が失われようとしているところもあります。さらに、生態系は過去から現在まで一貫して同じ姿であったわけではありません。多くの生態系は自然の遷移によって、あるいは人為および自然のかく乱に応じて絶えず変化してきたはずです。固有性は、今目前にある姿だけでなく、その生態系の成り立ちを含めて歴史的に考えるべきです。

 すでに説明したように、生態系は開放系です。特定の地域における環境改変事業の影響は、時として、きわめて広い範囲に及ぶことも考えなければなりません。そのため、監視をその場所だけでなく、かなり離れた場所からも容易に行えるようにする体制を整える必要があります。一般に監視の実施を容易にするため、各種の基礎情報を国や自治体が整えておくこと、またそれが広く公開されることが望まれます。ただし、希少種の自生地など、盗堀や乱獲など不都合な行為を惹起する可能性がある情報については、公開を控える必要があります。何らかの理由で情報公開の範囲を限る場合は、その理由を明確にするべきです。

 一握りの土から地球全体まで、さまざまな規模の生態系が互いに関係しあっているのですから、生態系を全く損なわずに人間活動をすることはできません。しかし、健全な生態系をできるだけ広範囲にそのまま残す工夫をすることで持続可能性が確保されるはずです。その上で、都市には都市の環境条件にあった、農村には田畑や森林などの自然の恵みを持続的にもたらすことができるような生態系を維持することが必要です。それには、人口密度が、都市と農山漁村と原生自然のそれぞれの生態系への人為的干渉の大きさや管理などの点から見て適正なものでなければなりません。都市と農山漁村の間での、利便性や生活水準などの釣り合いを考えることは大切ですが、両者を単一の経済的尺度でのみ評価し、過密過疎の解消の名の下に農山漁村域の自然を大規模に破壊するような開発を計画することは、持続可能性に反する施策であるといわなければなりません。

 深海底を除いて、現在では、陸域にも海域にも前人未踏の辺境というものはほとんど残されていません。アマゾンの熱帯雨林を含め、原生的な様相を呈している生態系においても、詳しく観察すれば過去の人跡を見いだすことができることが明らかにされています。また、PCBのように地球上をあまねく汚染しているような化学物質もあります。その意味では、地球上には人為を完全に免れている生態系はなく、異なるのは、そこに及ぶ人為のタイプや大きさ、頻度などだけです。また、自然に全く手を加えることなしに人間が生きていくこともできません。そこで、都市域、農山漁村域および原生的自然域のそれぞれにおいて、「生物多様性の保全」や「健全な生態系を持続」という点から許容される人為のタイプや大きさ、頻度、あるいはむしろ必要な人為としての管理について、具体的に、科学的に考えていくことが、今、早急に求められています。

文献

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1 これをビン首効果(bottle-neck effect)といいます(鷲谷・矢原1996)。正の数a,b,cの調和平均(harmonic mean)は3/(1/a+1/b+1/c)です。これはa=b=cでない限り、相加平均(a+b+c)/3よりも、相乗平均(abc)1/3よりも小さくなります。ですから、個体数が少ないときの影響が他の平均値よりも強く表れます。

2 メタ集団はメタ個体群meta-populationとも呼ばれ、種の保全を考える上ではその構造を配慮することが重要です(鷲谷・矢原1996)。たとえば、ある生物に10カ所の地域集団があるとします。そのうち2つが失われると、単に20%の損失にとどまらず、種全体の存続が大きく損なわれる恐れがあります。その生物を守る上で、大きな集団を一つ残すのと、それぞれの規模は小さくても地域集団をたくさん残すことのとどちらが有効かがよく問題になります。これをSLOSS(Single Large Or Several Small)問題といいます(樋口1996年)。また、種全体の絶滅だけでなく、集団の地域絶滅もその地域の生態系が損なわれる可能性があるという問題もあります。

3 キーストーンとは、それを取り除くとアーチが崩れてしまう要石のことです。それが存在するか否かで生態系の性質が大きく変わってしまうような種をキーストーン種と呼びます(鷲谷・矢原 前掲書:196頁)。

4 生態学で用いる景観(landscape、海ではseascapeといいます)は、単に眺めの意味ではなく、隣り合って関係しあう生態系の集まりのことです。しかし、環境影響評価法の基本的事項に見られる景観は、残念ながら眺望景観のことであり、生態学の概念としての景観は評価項目に含まれていません。里山は、日本列島における伝統的な農業景観です。

5 生物多様性条約(Convention on Biological Diversity)は、生物多様性の保全とその持続的利用,遺伝資源から得られる利益の公正で公平な分配を目的とする条約で、1992年に採択され、翌年発効しました。締約国には保全のための国家戦略,重要な地域や種の選定と監視、環境影響評価(アセスメント)の手続きなどを行うことが求められています。

6 現世代が享受している自然の恵みを後世の人々に残さないのは世代間の不平等だと言われます。地球温暖化をはじめとする地球環境問題への取り組みは、世代間公平の立場からもっとも強く要請させるものです。もちろん、同じ世代内の不平等も許容されるものではありません。持続可能性という言葉こそ用いられていませんが、日本の環境基本法の第1条には「この法律は、環境の保全について、基本理念を定め、並びに国、地方公共団体、事業者及び国民の責務を明らかにするとともに、環境の保全に関する施策の基本となる事項を定めることにより、環境の保全に関する施策を総合的かつ計画的に推進し、もって現在及び将来の国民の健康で文化的な生活の確保に寄与するとともに人類の福祉に貢献することを目的とする。」とあり、実質的には、世代間公平の立場が明示されています。

7 「持続可能な開発(あるいは発展)」と和訳されている"sustainable development"は、「将来の世代が彼ら自身の必要性を満たすことを損なうことなく現世代の要求性を満たすための開発」と定義されています(World Comission on Environment and Development 1987)。この概念は、1.開発が富だけでなく人々の幸福もふくめた広い意味での必要性のために行われるべきであること、2.世界中の人々(世代内公平)だけでなく、後の世代の人類(世代間公平)の必要性も考慮すべきであること、3.増大する必要性に応じた開発をおこなっても環境がその発展を許さなくなるほど損なわれることがないような開発のあり方が存在すること、4.しかし、その場合でも後の世代の必要性と現世代の要求性の両立が容易ではない可能性があること、をその内容あるいは前提として含んでいます。このうち、3.が果たして成り立つかどうかに疑義がもたれています。それを否定する見方は、「有限な地球で、要求性の増大にあわせて無限に自然への働きかけを増大させていくこと(=開発)はできない」というものです。しかし、人間1人あたりの要求性が高まっても人口が適度に少なければ、地球の有限性に抵触することはありません。したがって、「適正な人口」という前提を付け加えれば、持続可能な開発は可能、とも考えることができます

8 工業では生態系の物質循環に習って、製品が捨てられたり再利用される段階まで考えることをライフサイクル分析(Life cycle analysis,LCA)といい、そこまで配慮した製品をエコ商品と呼んでいます。(山本1994)

9 これをConnell(1978)の中規模かく乱説と言います。頻度や規模において中程度のかく乱がある条件下でもっとも高い種多様性が実現されるという考え方です。

10 原科幸彦編『環境アセスメント』(1994,放送大学教育振興会、44頁)

11 基本的事項(平成9年環境庁告示第87号)第二の五の(3)のア 環境影響の回避・低減に係る評価 建造物の構造・配置の在り方、環境保全設備、工事の方法等を含む幅広い環境保全対策を対象として、複数の案を時系列に沿って若しくは並行的に比較検討すること、実行可能なより良い技術が取り入れられているか否かについて検討すること等の方法により、対象事業の実施により選定項目に係る環境要素に及ぶおそれのある影響が、回避され、又は低減されているものであるか否かについて評価されるものとすること。なお、これらの評価は、事業者により実行可な範囲内で行われるものとすること。

12 環境基本法 第三条(環境の恵沢の享受と継承等)環境の保全は、環境を健全で恵み豊かなものとして維持することが人間の健康で文化的な生活に欠くことのできないものであること及び生態系が微妙な均衡を保つことによって成り立っており人類の存続の基盤である限りある環境が、人間の活動による環境への負荷によって損なわれるおそれが生じてきていることにかんがみ、現在及び将来の世代の人間が健全で恵み豊かな環境の恵沢を享受するとともに人類の存続の基盤である環境が将来にわたって維持されるうに適切に行われなければならない。

13環境影響評価法の基本的事項では、モニタリング(monitoring)を「事後調査」と訳していますが、「事後」とは環境影響評価書の提出後と言う意味です。影響評価は本来継続して行い、監視結果を受けて管理方針を変更が可能でなければなりませんから、「後」という言葉は要らないでしょう。

14 たとえば、北海道が1998年に定めた道東地域エゾシカ保護管理計画ではエゾシカ個体数に応じて捕獲圧を調節することが決められています。明治時代に乱獲で激減し、長い禁猟などの保護政策によってようやく個体数が回復し、今度は大発生による農林業被害、交通事故、植生破壊などが社会問題になりました。絶滅と大発生をともに防ぐには、個体数に応じた捕獲圧の調節が必要です。これをフィードバック(feedback)管理と呼んでいます。そのためには、個体数を継続的に監視しなくてはなりませんし、管理計画が決められて実施された後にも管理が適切に行われているかどうか、監視の結果に基づいて、行政責任者、管理担当者、科学者、住民、市民が引き続き話し合いを続ける必要があります。

15 順応的管理(adaptive management)は、対象(モデル)に含まれる不確実性の認識にたち、政策の実行を順応的な方法で、また多様な利害関係者の参加のもとに実施しようとするものです(Costanza et al. 1998)。順応的管理では、地域の開発や生態系管理を実験とみなします(Holling 1978)。その計画は仮説であり、監視によって仮説検証を試み、その結果を見ながら新たな仮説をたててよりよい働きかけを行います。また、科学的な立場からの意見をも含め、広く利害関係をもつ人々の間での合意をはかるような人間の側のシステムをつくることが重視されます。アメリカ合衆国では、フロリダのエバーグレイズ再生計画やグレンキャニオンダムの人工洪水実験のほか、多様な事業に順応的管理の手法が取り入れられ始めています。

16 著者が知っている例としては、アメリカ合衆国において「生物との共存」とも和訳できるTeaming with lifeをタイトルとした科学技術の立場からの提案書(President's committee of advisers on science and technology 1998)があります。

17 環境影響評価法の基本的事項には、下記のように典型性および特殊性と言い表されています。特殊性とは他の地域には珍しいその地域の固有性、典型性とはその地域の特徴をもっともよく表す固有性のことだと思われます。第二の二の(2)のイ「生態系」に区分される選定項目については、地域を特徴づける生態系に関し、アの調査結果等により概括的に把握される生態系の特性に応じて、生態系の上位に位置するという上位性、当該生態系の特徴をよく現すという典型性及び特殊な環境等を指標するという特殊性の視点から、注目される生物種等を複数選び、これらの生態、他の生物種との相互関係及び生息・生育環境の状態を調査し、これらに対する影響の程度を把握する方法その他の適切に生態系への影響を把握する方法によるものとする。