米国における猛禽類の保全について

=環境化学物質と生態系管理をめぐって=

 松田裕之(東京大学海洋研究所)

環境化学物質と猛禽類の絶滅リスク

 米国の猛禽類保護の歴史は、農薬由来のDDTやPCBなどの環境化学物質の規制の歴史であった。11月17日に訪問したHawk Mountain Sanctuary (Pennsylvania州)では、Keith L.Bildstein博士が1950年代からのこの山での猛禽類の渡り観察数の長期変動をまとめており、昔DDTがまかれた頃に飛来数が減り、その後復活した様子が展示されていた(図 1, Bildstein 1998)。このデータはR.Carsonの『沈黙の春』にも取り上げられたそうである。

 

1 (左)Hawk Mountainに展示されていたDDT散布時期(1958年から72年頃、図の灰色部分)と各鳥類の観察数の変遷。右端中央のperegrine falconはこの時期に減り、DDT規制とともに復活している。右図は山の地形を説明するKeith L.Bildstein博士。

 アパラチア山脈の南西の端に位置するこの山には、東海岸からカリブ諸島、南米へと渡る猛禽類が数多く通過する。昔は害鳥として大量に射殺されていたが、篤志家が山を買い取り、保護に乗り出した民間の公園である。この山で4ヶ月観察の訓練を積んだものが全世界で猛禽類を観察し、数えている。真上を通るものもあるが、遙か彼方にいるときに発見し、私が双眼鏡でみても黒子ほどにしかみえないのに種を同定していた。繁忙期には1日3000人がこの山を訪れるという。

 11月15日に訪問した米国国土管理局USGS (U.S. Geological Survey) の野生生物研究センターPatuxent Wildlife Research Center (Maryland州)では、John French博士が150ほどの檻にチョウゲンボウを1つがいずつ入れ、化学毒物PCBを混ぜた餌を与えて卵や雛の成長への悪影響を調べていた(図 1)。10ppm以下の濃度では子の成熟が少し遅れる程度で、雄の体色などにも深刻な影響はなさそうである。Fluctuating Asymmetryも調べようとしたが、足の爪の長さなどは淘汰圧がきついのでうまくいかないといっていた。

 

2 チョウゲンボウの檻とJ.French博士が与えるPCB入りの餌

 このセンターは首都から1時間あまりの野生生物保護区の中にあり、60人あまりの研究者がいて、特に毎年120万個の足輪を全米の鳥につける許可と発見情報集約の拠点である。足輪をつける作業は北米で6000人ほどの研究者、野鳥愛好家、NGO、民間企業(林業)にいる専門家に許可を出している。猛禽、水鳥からハチドリに至るまで、鳥類ごとに許可が与えられる。足輪を着けるのは主に渡りの季節だが、営巣中に着けることもある。主に無料電話で、年間1万件以上の足輪発見情報がこのセンターに寄せられる。半世紀も前からの膨大な生情報がたまっている。西海岸のspotted owlの(個体群存続解析の)研究と保全策も、このような足輪装着による生存率、移動率などの基礎情報の成果である。

 11月19日に訪問したミネソタ大学Raptor Center(Minnesota州)では、毎年700羽ほど怪我をした猛禽を収容し、治療と野生復帰を目指している。獣医のP. Redig博士によると、収容した猛禽の30%ほどに鉛汚染が検出されているという。交通事故、窓や電線への衝突、巣のある木を切られた雛、非合法の射撃などだけでなく、純粋に鉛被害によってこの施設に収容された猛禽もいるという(図 3)。1991年には水鳥を撃つ際の鉛弾使用が禁止されたが、他の狩猟にはまだ使われている。

 この施設は州立大学の機関だが、130万ドルの年間予算のうち民間(大企業、保護団体、州、連邦)から年86万ドルの補助がある。設立も篤志家の寄付による。そして、ミネソタ大学の生態学者などと共同研究や事業がたくさんある。

 

3 Minnesota大学Raptor Centerでの猛禽類治療と野生復帰事業を説明するPatrick Redig博士(左図)と治療中のハクトウワシなど(右図)

 M.Martel氏はOsprayEagleなどを育雛中にとらえて重さ90gのsatellite radio trackingをつけ、渡りの経路を調べている。衛星情報は誤差が1km以上あるので、より細かい調査には適さないが、大陸間の移動経路の調査にはきわめて有効である。その結果、北米の東海岸、中西部、西海岸から南米に渡る経路が明らかにされた。

 この話は、11月23日に訪問したPeregrine Fund(Idoho州)でもコカート博士から聞いた。Swanson hawkに衛星発信器をつけ、渡る先がアルゼンチンの狭い草原地帯であり、いまそこではバッタ殺虫剤がたくさん使われていて、域内で5千羽、全体で2万羽が死んだという。農薬会社が域内での販売を自主規制し、やがてアルゼンチン政府が全域で禁止したという。

 L.F. Kiff氏によると、1972年にDDTが禁止されたが、それまでにPeregrine falconの半分がDDTで死んだという。falcon減少を憂慮したCoenell 大の人がこの基金を設立し、CornellとColoradoに施設を作って回復に努めてきた。回復の見込みがたった84年に統合してIdahoに移転し、現在に至っているという。予算は年間600万ドル、政府、基金、個人寄付が1/3ずつ。会員3000人(会費25ドル)以外に、億万長者の理事がたくさんいる。職員はIdahoに40人、Hawaiiに20人、マダガスカルに30人いる。

 環境化学物質の規制により、多くの猛禽類は絶滅の危機を脱しつつある。いったんリストに載ったものを外すよう政府を説得するのはむずかしいが、自然保護団体とPeregrine Fundは個体数が回復した種についてはEndangered Species Act(ESA)の指定種から外すことを政府に求め、99年8月にPeregrine falconはESAのリストからはずれ、ここで1200人で祝ったという。私たちが訪問した際にも、売店でfalconの本が「指定種からはずれた記念」と称して格安販売されていた。

 この基金にとって、絶滅危惧種への警鐘は自らの存在意義である。ESAのリストからはずれると予算が減るだろうと述べていた。日本の公的機関でもその傘下の法人組織でも、自分で予算を減らすような運動をするという話はほとんど聞かれない。しかし、それは彼らにとって大きな成果なのであり、今後はカリフォルニアコンドルや世界的な猛禽類の回復に努め、研究者交流を果たしていくと抱負を語っていた。日本の山崎博士を知っていた。

 もう一つ意外だったことに、アメリカではIUCN(国際自然保護連合)の分類分けは使っていない。Endangered (Carifornia condorなど), Threatened (spotted owlなど), Proposal for listing (queen charlotte goshawkなど)の3段階がある。カナダでは3段階目をVulnerableという。アメリカの国鳥であるbald eagleとpergrine falconは回復したのでESA種から外した。

 Perigrine falconはグリーンランドで営巣しているが、1972年に7対だったのが、1997年に132対に増えた。だんだん条件の悪い低い崖も利用しているという。 

Snake River Birds of Prey National Conservation Areaの生態系管理

  Pergrine基金のコカート氏は、Idaho州の「スネーク河猛禽類国立保護区」の山火事と猛禽類の関係を調べていた(図4右)。この地域は餌場の草原の麓のスネーク河にイヌワシやハヤブサが営巣する格好の崖がある(図4右図)。山火事は稲妻によるが、その規模と頻度は昔より増えた(図5左)。19世紀に家畜を導入後、Sage brushとwinter fatが食い尽くされ、一年草のcheat grassなどが中西部から侵入してきたため、植生は大きく変わった(図5右)。低木はイヌワシの餌であるウサギなどの隠れ家になる(図6左)。これにより猛禽類の組成が変わった。イヌワシが減り、ハクトウワシが増えている。

 

図4(左図)Peregrine Fund(Idoho州)の活動を説明するM.N.Kochart博士(中央)とM.R.Fuller博士(右)。(右図)スネーク河とイヌワシが営巣する崖。

 

図5 (左図)保護区内の1950-'80年と1980-1994年の山火事の規模と頻度(BLM/IDARNG 1996:p.26)(右図)1979年と1994年の保護区植生図。1979年に比べて外来種の草地が増え、big sagebrush, winterfat, salt desert shrubsが激減している(BLM/IDARNG 1996:p.25)。

 

6(左図)保護区内でwinter fatが残された場所。ジリスの穴が見える。(右図)管理のために150台備えた種まき機(川路博士撮影)

 もとの植生を保全するため、さまざまな管理方策が検討されたが、昨年から低濃度でcheat grassに特異的に効くDupont社のoustという除草剤を使っている。埋土種子がすぐに生えてくるのでうまくいかないと懐疑的な声も耳にしたが、24日に保護区を訪問した際、担当者は大いに成果を期待していた。除草剤をまいた後、150台の種まき機でwinter fatの種をまく予定である(図6右)。昨年予備的にまいた区域は今のところ順調だが、定着するかどうかは今後の課題である。

 この保護区は猛禽類の保護を目的とした珍しい国立保護区であり、1993年に指定された。1980年にも制定する動きがあったが、農家の反対で実現しなかった。かつて米国は西部開拓を奨めるため、1860年代にホームステド法ができ、入植して数年たつと自分の土地にすることができた。この法律は1976年に廃止され、代わりに国有地利用法ができ、これ以上の民有化はできなくなった。保護区内にも民有地は残っていて放牧している。崖の下から河の水を汲み上げて農地にしようとする農家にとって、保護区指定は都合が悪い。一度失敗したために長い時間がかかったが、川から潅漑に十分な水が供給できないせいもあり、1993年に指定できた。

 除草剤と種まきに頼るよりも、放牧面積を規制する方が有効ではないかと思ったが、計30万haを持っている二人の大牧場主の政治力が強くて不可能だそうである。しかし、生態系管理の実体が除草剤と種をまくことだというのは、いささか幻滅した。

 図6の写真にあるとおり、この保護区内にはたくさん電線がある。Robert Lehman氏はBald eagle, golden eagleの電線の感電事故を減らすため、電柱の形を工夫し、泊まり木を着けるなどして電線事故を減らすことができたと言う。イヌワシが電柱の上に巣を作っているところも見学できた。

 図5左図のような山火事の規模と頻度は、近年だけでなく、過去の情報もそれなりに調べられている。山火事を0にしたときの今後の植生「回復」の数値実験も研究されているが(BLM/IDARNG 1996、研究しているS.T.Knick博士には残念ながら会えなかった)、過去も山火事が0ではなく、頻度が低かったのである。農家の力が強く、自由に放牧圧を調整する順応的管理をおこなえないのは残念だが、むしろ比較的単純な生態系だけに、壮大な実験研究をおこなう余地を感じた。

文献

Annon. (1996) Effects of military training and fire in the Snake River Birds of Prey National Conservation Area. U.S.Bureau of Land Management and Idaho Army National Guard Research Project Final Report, 20 December 1996. 130pp.

Bildstein KL (1998)Long-term counts of migrating raptors: a role for volunteers in wildlife research, J. Wildlife Management. 62:435-445.