日本生態学会第47回大会
自由式シンポジウム(
1/23案)
S11 中池見をめぐる二次的湿地の価値と保全

日時 2000325 9:00 〜 12:00
場所 広島大学総合科学部

企画者 松田裕之(東大海洋研)・角野康郎(神戸大理)・下田路子(東和科学)

趣旨(案):福井県敦賀市中池見は、かつての日本の低湿地生態系の豊かな自然が残された数少ない場所である。植物に限っても約25haの中に、1997年に公表された環境庁版植物レッドリストに挙げられた十数種の絶滅危惧種・準絶滅危惧種が生育している。中池見は、江戸時代に新田として開発されたが、泥深い湿田であったために機械化された近代的農法を取り入れることができず、伝統的な農法による水田耕作が最近まで続けられてきた。このことが多様な生物相が中池見に維持されてきた一因と考えられている。

 1992年に、敦賀市議会が大阪ガスの液化天然ガス基地を中池見に誘致した。大阪ガスは中池見内に環境保全エリアを設けて中池見の希少種と自然を守ることを代償に、液化天然ガス基地建設計画を進めていた。しかし、大阪ガスでは将来のガス需要を検討した結果、基地建設計画を10年延期すること、および環境保全エリアの整備は継続して進めることを、19999月に発表した。

 1996年生態学会大会で、中池見の保全を求める大会決議が挙げられた。これは生態学会が二次的自然の保全を訴えた初めての決議であった。しかし、実際にその保全に取り組む上では中池見の重要性に関する評価、放置すれば失われる二次的自然を維持する手法、維持管理を支える社会的な仕組みの構築等について、解決策が具体的かつ緊急に問われている。

 中池見をめぐっては、大阪ガスの進める生物の保全計画に対して賛否両論があるため、生態学者には生態学的論点を客観的に整理し、問題点に関して議論を深める義務があるだろう。そこで本シンポジウムでは、以下の5人の講演に基づき、上記の課題について総合討論を行なう。このシンポジウムが、中池見だけではなく日本各地の二次的湿地の価値や保全の取り組みについても考え直す機会になることを希望する。

プログラム(案)【計3時間予定】

0.松田裕之(東大海洋研)
趣旨説明【10分間】

1.松田裕之(東大海洋研)・岡敏弘(福井県大経済)・角野康郎(神戸大理)
「絶滅リスクを用いた植物への影響評価と便益評価」【15分間+5分質疑】
I would express sincere thanks to Osaka Gas Co.Ltd. and Dr. M.Shimoda for giving valuable comments, data, discussions in Symposium in Japan Ecological Society Annual Meeting in March 2000, and invitation of Nakaikemi wetland.

2.角野康郎(神戸大理)
「日本の低湿地植物の現状と中池見湿地」(仮題)【25+5分間】

3.下田路子(東和科学)
「中池見の歴史と農業と植生」【25+5分間】

4.加藤真(京大)
   「送粉者・植食者・捕食者群集から見た中池見湿地の生態系」【25+5分間】

5.中本学(大阪ガス)
「中池見における環境保全への取り組み」【25+5分間】

(休憩10分間)

6.総合討論 (司会・松田裕之)【50分間】(暫定的な内容案)
中池見の重要性に関する評価、
放置すれば失われる二次的自然を維持する手法、
維持管理を支える社会的な仕組みの構築などの諸問題
二次的自然の定義について
中池見の生態学的価値とその評価方法
中池見のような遷移が速い環境を保全する意義や必要な方策は何か
日本の農業問題と湿地生態系の保全
・・・


    絶滅リスクを用いた植物への影響評価と便益評価

     松田裕之(東大海洋研)・岡敏弘(福井県大経済)

     ・角野康郎(神戸大理)

 今年刊行される環境庁版植物レッドデータブック(RDB)には、約10km四方を単位として全国の個体数・減少率の調査をもとに、絶滅危惧種の全国個体数の概数、分布地域数、減少率別地域数が載せられている。これは世界でもまれにみる絶滅危惧種の詳細かつ定量的な基礎情報である。この情報を用いれば、各種の絶滅確率だけでなく、地域開発などが各種の絶滅までの平均待ち時間(平均余命)をどれだけ縮めるかを定量的に評価することができる。本講演では、中池見に生育する絶滅危惧種のうち下記16種について、上記RDB基礎情報と中池見に199#年頃生育していた各種個体数の概数(角野による)により、この開発と開発に伴う保全措置の影響を定量的に評価する一つの方法を提案する。

 中池見の(準)絶滅危惧種であるミズトラノオ、イトトリゲモ、ヒメビシ、ミズアオイ、デンジソウ、オオニガナ、ヤナギヌカボ、オオアカウキクサ、ナガエミクリ、ミズニラ、カキツバタ、サンショウモ、アギナシ、ミクリ、ミズトンボは、この地が開墾されて以来、水田耕作により維持されてきた。水耕が放棄されれば、遷移によってこれらの生育条件は自然に失われていくとも考えられる。むしろ、LNG備蓄基地建設事業と並行した維持管理措置により、放置した場合に比べて生物多様性が維持されるという見方もある。他方、湿地動植物の相互作用と湿地の環境条件は未知かつ複雑であり、保全措置が成功する保障はなく、湿地全体を利用しながら残すべきだという主張もある。いずれにしても、開発または保全による影響の最大値は、この地25haに生育する個体数がとりあえず維持される場合の平均余命T0と全滅する場合の平均余命T1を比べることで得ることができる。ここではΔ(1/T)=1/T0-1/T1という指標で評価した。その結果、上記の種の順に平均余命の短縮が大きいという結果が得られた。また、近縁種の多寡を考えた期待多様性損失指数、事業の経済的便益との関係、2005年愛知万博予定地である愛知県瀬戸市海上の森540haとの比較などを紹介する。 


日本の低湿地植物の現状と中池見湿地

            角 野 康 郎(神戸大・理・生物)

人間の居住と稲作の開始以降、日本の低湿地の姿はさまざまな変容を遂げてきた。近年の歴史の中での大きな出来事は、明治(江戸?)〜昭和時代、米の増産のために多くの池沼が干拓によって姿を消したことである(例:新潟平野の潟、琵琶湖内湖、巨椋池)。また、1960年代以降は水田の基盤整備(圃場整備)が急速に進み、農薬の多用も相まって、湿地の生物相が大きな影響を受けてきた植物に限れば、かつて多産した「水田雑草」や農道やため池の土手など、農村の景観の中にふつうに生育していた種が激減するという事態に至っている。

 しかし、さまざまな事情で近代的な農業や基盤整備が進められず、伝統的な管理によって維持されてきたために豊かな生物多様性を支える農業生態系の片鱗が今も各地に残る。しかし、そのような場所の多くは近い将来、開発計画が存在するか、今後放棄される運命にあるために、将来の存続が危機にさらされているのが実態である。生物多様性保全の観点から、一部で保全の取り組みが始まっているが、取り組みの方向性には混乱がある。例えば「ビオトープ風」公園整備によって、せっかくの貴重な自然が台無しになる場合もある。水田などの二次的自然の有効な保全策について、十分な研究と社会的合意が欠けていることが背景にあると言えよう。

 本講演では、低湿地環境の保全について、「何を、どのような形で守ることがほんとうの保全と言えるのか?」という問題の原点に立ち返りながら、低湿地植物の現状と保全の課題について論じてみたい。


中池見の歴史と農業と植生

下田路子(東和科学株式会社 生物研究室)

中池見(福井県敦賀市)は、周囲を山地で囲まれた標高約45m、面積約25haの地域である。中池見の堆積物の分析によれば深さ約27mまで泥炭層が続くことから、過去およそ5万年の間、泥炭が形成される湿地であったと考えられている。江戸時代に水田の開発が始まり、1960年代までは全域で稲作が行われていた。水田に散在する杉の埋没株(根木)は、当地が開田前は杉の沼沢林であったことを示している。

中池見の水田は非常に泥深いものが多く、農作業には田下駄・田舟が使われていた。農家は水田の改良に努めてきたが、土壌が軟弱すぎて大規模な基盤整備や水路の改修は行えず、農作業の機械化は進まなかった。米の生産調整が本格化した1970年代になると、耕作条件が悪いことや農家の後継者難などが原因で放棄が進み、現在は生物の保全を目的に耕作している水田以外は全て耕作放棄水田となっている。

かつて中池見には耕作放棄後の年数が異なる水田がモザイク状に分布し、放棄後の年数、土湿、維持管理の有無や管理内容などにより、多様な植物群落が見られた。放棄直後や、植生遷移のコントロールのために田起こしを行っている水田では、耕作田と共通な雑草類が主要な群落構成種となる。放棄後の時間が経過するとともに多年草が増加し、現在はヨシ、マコモなどが繁茂する高茎草本群落が最も広い面積を占めている。1998年と1999年の植生調査結果によれば、高茎草本群落は1年で約1ha面積を拡大している。またクズ、カナムグラなどのツル植物の繁茂も年々広がっている。

中池見の水田には、デンジソウ、ミズアオイなどの絶滅危惧種を含む多様な水生・湿生植物が生育している。耕作田や、田起こしを行う耕作放棄水田は、稀少種の主要な生育地であり、また種多様生も高い。植生管理を行わない放棄水田では、大型の多年草が密生する群落の拡大と、稀少種の減少や消滅が確認されている。

演者は中池見の近隣の「池の河内」と、琵琶湖北西岸の滋賀県マキノ町の湿田・放棄湿田でも、中池見と共通な稀少種の生育を確認している。これらの事例は、湿田と湿田に特有な生物相が、全国各地にまだ残っている可能性が高いことを示している。今後、各地の類似の環境において調査・研究と保全が進められれば、わが国の二次的な湿地の保全に貢献できるものと考えられる。 


送粉者・植食者・捕食者群集から見た中池見湿地の生態系

加藤 真(京都大学・人間・環境学研究科)

 敦賀市の近郊に残る中池見湿地は,本来の低湿地生態系と,農薬を経験する以前の水田生態系をともによく残している極めて稀有な例である.そこには多くの絶滅危惧植物とともに,それらに依存して生きるさまざまな昆虫が生息している.この湿地の送粉者・植食者・捕食者群集に目を向けることによって,その生態系の特異性が見えてくる.この湿地の花暦は早春のサワオグルマの黄色に始まり,晩秋のオオニガナの黄色で終りを告げる.これらの湿地植物の訪花昆虫の中心はハナアブ類とハエ類,および小型ハナバチ類であった.送粉者の中には,幼虫が水生または半水生であったり,成虫がヨシの枯れ茎に営巣したり,といった湿地特有のものが多く見られた.またマルハナバチのように湿地周辺からこの湿地までやってくるものもあり,送粉共生系を保護するためには,湿地の多様な微環境のみならず,周辺の自然林までを含めて残すことが必要であることを示唆している.この湿地に生育する植物の多様性と特異性は,それらの植物を利用している植食性昆虫群集の多様性と特異性にも反映している.またさらに,このような植食性昆虫群集の上に,特異な捕食者群集が形成されている.ナカイケミヒメテントウはこの湿地で初めて記録された種であるが,このテントウムシの生存を可能にしているのは,その餌であるアブラムシであり,そのアブラムシが利用している湿地植物である.このような多様で複雑な生物群集が織りなす湿地生態系を保護するためには,伝統的水田耕作の一部復活を含め,湿地そのものを残す以外に方法はないと考える.


中池見における環境保全への取り組み

·  ·  ·   中本 学(大阪ガス株式会社 開発研究部)

 大阪ガスでは、敦賀市からの誘致を受け、中池見においてLNG基地の建設計画を進めてきた。公的な手続きとしては、平成5〜6年にかけて環境影響評価に伴う調査を行ない、知事意見を受けた後、平成8年5月に環境影響評価書の提出を終えている。

大阪ガスでは、この環境影響評価書に基づき、希少な動植物を含む中池見の環境を保全するための取り組みを、基地建設に先立って進めてきた。具体的には、中池見の一角を「環境保全エリア(約10ha:このうち平地部約4ha)」とし、平成9年より、様々な保全対策と調査研究を行なってきた。

 基礎調査として、土壌水質調査、水系調査、地形調査を行ない、環境保全エリアの環境基盤の把握に努めた。その結果、環境保全エリアの環境基盤が、中池見に生息・生育する動植物にとって適したものであることを確認した。

 さらに、農家への聞き取り調査を基に、これまで行なわれてきた営農作業に準じた維持管理作業を平成9年より実施した。その結果、平成6年の調査時に中池見全体(25ha)で確認された水生・湿生植物は126種であったが、平成11年の調査時には環境保全エリア(4ha)だけで135種が確認された。また、保全対象種21種についても、平成6年に環境保全エリア域で確認された保全対象種は7種であったが、維持管理作業後には16種が確認された。このことから、今回実施した維持管理作業が、植生遷移の進行を抑制するだけでなく、植物の多様性を高める有効な方法であることが示された。これは、田起こしなどの撹乱によって土壌中の埋土種子が活用された結果と考えられ、別途実施した埋土種子調査によっても、その特性を明らかにしている。

 動物調査においても、植生の多様性が高まることで、昆虫類の多様性が高まることが明らかになった。また、植物と動物の関係については、訪花昆虫について調査を行ない、特異的な関係がないことを確認した。

 中池見を例としてあげたように、水田生態系は、長い歴史を通じて農作業という行為によって作り出された一種の人為的な環境であり、原生自然のように、人為を排除することだけで保全することはできない。今回報告した中池見での取り組みが、水田生態系の保全、ならびに水田生態系と人為との関わりを研究していく上で一助となれば幸いである。