横浜国立大学COE「生物・生態環境リスクマネジメント
第4回シンポジウム「持続可能な生態環境保全に向けて」

生態リスクアセスメント手法とその適用例

松田裕之(横浜国立大学大学院 環境情報研究院)

1. 生態リスクとは
2. 絶滅危惧植物の判定基準とリスクアセスメント
3. エゾシカ保護管理計画
4. リスクマネジメント手続きの流れ

1. 生態リスクとは
 
 本プログラムでは、生態リスクを多様に定義し、さまざまな環境政策を包括的に捉えることを目指す。自然保護で守るべき生物の対象は、大きく二つある。一つは生物多様性を守ることであり、地球生命37億年の歴史により培われてきた生物の多様性を守ることである。これは種を絶滅から守るだけでなく、各地域に維持されている遺伝的な多様性を守ることであり、さらに生態系の多様性を守ることも重視される。砂漠を緑化すれば種数が増えるかもしれないが、砂漠には固有の種と生態系があり、進化の歴史をもっている。
 もう一つは生態系の機能を守ることである。人間は自然の恵みなしでは生きていけない。食料や水、さらにさまざまな資源を生態系から持続的に利用し続けている。生物は自己増殖する再生産資源であり、乱獲しなければ、持続的に利用し続けることができる。また、生態系の物質循環を通じて環境を浄化する。このような自然の恵みは、生態系からのサービスと考えられている。
 環境を破壊しても、直ちに生態系がなくなるわけではなく、生命が存在し続ける限り、別の生態系の状態に変わる。我々は、生命を人工的に合成できないのと同じく、恵み豊かで持続可能な生態系を人工的に作ることに成功していない。したがって、既存の生態系を保全することが現時点で最も確実に自然の恵みを持続的に利用するための方法と考えられる。
 生物多様性の保護することは、総体として生態系機能の維持の上でも有効と考えられているが、その因果関係は必ずしも明確ではない。たとえば、ある絶滅危惧種を守ることが生態系機能の維持に繋がるかどうかは、ほとんどの場合、調査さえされていない。多様性と生態系機能の相関関係については、現在なおも生態学における基礎的な研究課題の一つである。
 また、自然の価値は単に資源としての価値、上記の生態系サービスとしての価値だけでなく、将来利用できる可能性(オプション価値)、さらに風光明媚がもたらすような快適さも価値とみなされる。また、環境汚染などにおいては、野生生物の異常が、人の健康に対する悪影響の予兆になるという側面もある。
 いずれにしても、生態リスクの特徴は、それを評価する際に証明されていない前提を用いることにある.たとえば、1990年前後のバブル景気のころには、土地開発が進み、多くの絶滅危惧植物の生育地が急速に失われた。今後、この減少率が持続するか、増えるか減るかは不明である。しかし、今後の減少率に何らかの前提を置かないと、100年後に各植物が絶滅するリスクは評価できない。後述する環境省(2000)の植物レッドデータブックでは、当時の減少率(の確率分布)が今後も継続すると仮定して評価している。
 このように、生態リスクのアセスメントやマネジメントには必ず不確実性を伴う。「生態系や生物個体群が望ましくない状態になるリスク」を小さくするために「影響因子」を解析し、リスクの大きさを確率またはランク等で定量的に評価するのがリスクアセスメントである。このように生態リスクのアセスメントには不確実性を伴うが、政策決定において優先順位を決める際に重要な手がかりとなる。
 また、生態系や生物個体群をある望ましい状態に維持または回復させようとする場合、すなわち、リスクに関連する主要な定量的評価指標をある許容範囲に維持または誘導するように「影響因子」を制御する「リスクマネジメント」においても、マネジメント計画が確実に望みどおりの結果を導くとは限らない。失敗する可能性を覚悟しなくてはならない。このような不確実性を伴うリスクマネジメントをできるだけ確実に行うためには、不確実性を減らすか、計画実施後も継続監視を続け、状態変化に応じて方策を変更して望ましい状態に誘導することが有効である。このような事後調節をともなうマネジメントを、順応的管理という。
 今、日本各地でニホンジカが大発生している。シカはさまざまな植物を餌とするため、多くの植物がシカ食害により絶滅の危機に瀕している。また、農地に侵入し、森林の樹皮をはぎ、農林業被害も著しい。北海道では、ニホンジカの亜種であるエゾシカの個体数調節を行うにあたり、リスクマネジメントの考え方を鳥獣保護行政に取り入れた。後述の個体数変動の数理モデルでは、エゾシカの個体数を1993年当時の5%から50%の間に誘導するような管理計画を立て、前年の個体数指数に基づいて捕獲圧を調節する管理計画を、1998年から実施している。これは、1999年に鳥獣保護法が改正された際に設けられたフィードバック管理を取り入れた特定計画制度の先駆けとなった。
 本講演では、これらの実例を交えながら、生態リスクマネジメントの理論について紹介する。

2. 絶滅危惧植物の判定基準とリスクアセスメント
 現代は生命の誕生以来、6回目の大量絶滅の時代といわれる。生物多様性が急速に失われているという危機感から、国際自然保護連合(IUCN)では、絶滅危惧種の目録(レッドデータブック)作りを進め、各国政府や自治体などもそれに習ってきた。1992年に採択された生物多様性条約では、持続可能な開発と生物多様性保全の調和がうたわれている。また、絶滅の恐れに関する科学的に完全な証拠が得られなくても、手遅れになる前に対策を立てる必要性が指摘されている。これは、予防原則と呼ばれる。
 1994年に、IUCNは絶滅危惧種の判定基準を大きく改め、陸海の動植物すべてに共通の5つの定量的な基準を設けた(表1)。これは、1990年代に発展した保全生態学の基礎理論を反映したものであり、減少率(基準A)、生息域面積(基準B)、個体数(基準D)のほか、絶滅リスクによる基準Eを含んでいる。
 すべての絶滅危惧種について、絶滅リスクが評価できるわけではない。リスクアセスメントには、減少率(およびその年変動)と個体数(およびその空間分布)の情報が欠かせない。これらの情報をもとに絶滅リスクを評価する「個体群存続可能性分析」という数理的手法が発達したが、実際の絶滅危惧種で、これらのデータが十分得られるものはごくわずかである。そのため、個体数、減少率、面積などの限られた情報からでも他の基準で判定できるように定められている。

表1I UCN(2001)の絶滅危惧種の判定基準の概要

基準

深刻な危機(CR)

危機(EN)

危急(VU)

A 個体数減少率

>80%/103世代

>50%/103世代

>30%/103世代

B1生息域・・・

<10km2

<500km2

<2000km2

B2分布域・・・*

<100km2

<5000km2

<20000km2

C 成熟個体数+減少率

<250かつ25%/31世代の減少

<2500かつ20%/52世代の減少

<10000かつ10%/103世代の減少

D1 成熟個体数

<50

<250

<1000

E 絶滅リスク

10年か3世代後に50%以上

20年か5世代後に20%以上

100年後に10%以上

 ただし、個体数か減少率のどちらかで判定するため、減少率が大きい種は個体数が多くても絶滅危惧種に掲載される。ミナミマグロがその典型である。
 日本の絶滅危惧植物の判定は、分類学者が約400名の調査員に依頼し、全国約4000枚の約10km四方の1/25000地図を単位に、どの地図にどの種がどの程度いて、過去10年間にどの程度減っているかを聞き取り調査した。このデータから全国の総個体数を概算し、減少率分布を求め、過去10年間の減少率分布が今後も続くと仮定して将来の減少を予測した。こうして、より簡便な方法で将来の絶滅リスクと個体数予測を行い、絶滅危惧種を判定した。情報量に応じたリスクアセスメントを行ったため、やはり個体数が多く減少率の高いアカマツのような種は、絶滅危惧種とは判定されない。この点はIUCN基準よりも合理的と考えられる。
 我がCOEの目指すリスクアセスメント手法は、表1の基準Eのような絶滅確率による評価だけでなく、5つの基準すべてで絶滅危惧種の判定を行うような、総合的な手法である。これを定量的客観的に行うために、個体数、分布面積、減少率などの複数の評価指標(測定エンドポイント)によって、@得られた情報からできる限り第1種と第2種の過誤、すなわちそれぞれ対策を採る必要のないものの対策を採る誤りと対策を採るべきものの対策を採らない誤りの双方を減らし、A情報を集めるほど合理的な判定が可能になり、B確率論的リスク評価と整合性の高い半定量的なリスクアセスメント手法を提供する。
 なお、この絶滅リスクが推計できれば、開発行為などにより絶滅危惧種に与える影響を定量的に評価し、合理的な影響低減のための政策提言を行うことができる。本講演では愛知万博環境影響評価における適用事例を紹介する。
 さらに、分布域の減少傾向が地理情報として集計されている淡水魚、鳥類などにもこのような判定基準を応用する手法を紹介する。

3. エゾシカ保護管理計画
 北海道のエゾシカは大型哺乳動物にもかかわらず、約2年で出産を始め、毎年繁殖する。植物食だが餌種は広く利用できる。そのため、年15-20%程度、個体数が増えていくと推定されている。

図1 北海道でのエゾシカの捕獲頭数と農林業被害額
(北海道環境生活部資料より)

 エゾシカは明治時代には年10万頭以上捕獲し、鹿肉などの有効利用を図っていた時代があった。しかし豪雪による大量死もあり、個体数は激減し、長らく禁猟措置などにより保護されてきた。しかし、この半世紀ほどは急激に増加し、図1に示すように捕獲数、農林業被害額ともに増加していった。この増加が収まったのは、1998年に保護管理計画が実施され、特に雌ジカの捕獲頭数を大幅に増やしてからである。
 エゾシカの最大個体群である阿寒個体群の個体数は、7.6−16.4万頭(1993年当時)と推定されていた。しかし、これはさまざまな未実証の前提に基づく推定値であり、不確実性が高い。そこで、絶対数でなく、1993年当時の個体数を100とし、その半分の50以下を目指す相対指数による管理計画が立てられた。北海道では、全市町村で年1回、夜間道路上から観察される個体数を調査している。この観察数から個体数の増減を推定することができるが、絶対数はわからない。けれども、雌雄別の捕獲数と相対個体数の経年変化および自然増加率の推定値から、およその絶対数を推定することができる。その結果、1993年当時の個体数は約20万頭であることがわかってきた。このように、未実証の前提を用いて管理計画を立て、継続監視を通じてその前提を検証する。これを順応的学習といい、順応的管理の構成要素である。
 自然増加率にも不確実性がある。また、今後も豪雪による大量死のような自然変動が考えられる。これらを考慮し、個体数を適正水準に維持するには、適正水準を1993年の5−50%に維持し、最近年の個体数指数に応じて捕獲圧を調節するフィードバック制御を行っている。フィードバック制御も順応的管理の構成要素である。現在用いている自然増加率などの前提では、この管理計画で100年後まで個体数が5-50%に維持され、激減も大発生も防ぐことができる確率は約95%と試算されている。すなわち、失敗する確率がなお5%程度ある。失敗する確率を減らすためには、個体数の推定精度など、不確実性を減らす必要がある。また、現在用いている前提が正しいとは限らず、想定外の失敗の原因があるかもしれない。実際、エゾシカ保護管理計画では、狩猟に用いた鉛弾がシカの死骸を食べる希少な猛禽に蓄積し、毎年10羽以上のオオワシ、オジロワシが鉛中毒で死んでいるのが発見されている。鉛弾の使用禁止という新たな対策を迫られた。

4. リスクマネジメント手続きの流れ
 生物・生態環境リスクマネジメントの方法は,いわゆる環境リスクマネジメントの方法と,生態系マネジメントの方法を併せ持つことになる.すなわち,以下のような手順になるであろう(図2).これはあくまで基本形であり、実際の状況に応じて、リスクマネジメントは柔軟に計画され、実施される。確立しているのは、第一に「守るべき対象の科学的整理」、「定量的評価指標の列挙」および「影響因子の分析・モデル構築」というリスクアセスメントの一連の手順であり、第二に必要性と目的の合意、マネジメント計画と数値目標の合意という少なくとも2つの段階で利害関係者による社会的合意を得ることであり、第三にマネジメントを実施し、モニタリング結果を見て計画を見直す順応的な手続きを含むことである。このうち、本講演では、リスクアセスメントの部分について説明する。
 リスクマネジメントを実施する場合、その事業で守るべき対象は、社会的要請のみから決められるものではない。たとえばシカが増えすぎて畑の農作物を食べ、森林の樹木の樹皮を剥ぐなどの被害が出るとき、社会的には農林業被害が問題になる。他方、シカは生態系の一員であり、単に駆除すればよいというものではない。科学者ならびに一般市民も含めて、起きている社会的問題の背景を明らかにし、「もぐらたたき」の弊害を未然に防ぎ、総合的な解決策を考える必要がある。そのためには、守るべき事象を科学的に整理する必要がある。リスクを確率的に表現する場合には、守るべき事象が失われる確率をで評価できる指標が失われる事象の発生の有無が客観的に判断できるように事象を明確に定義する必要がある。このときの守るべき事象を評価指標(評価エンドポイント)という。
 その目的を達成し,特定した問題に対処するため,守るべき対象の状態もしくは確率論的リスクを客観的に評価できる指標を明確にする.「生物多様性」が「守るべき対象」だとすれば、たとえばオオワシの個体数などのような定量的な評価指標を設定する。評価指標は一つとは限らない.むしろ,想定されるさまざまな評価指標を列挙することにより,事前にさまざまな対策を考慮することができる。



図2 生物・生態リスクマネジメント手続きの基本形(案)

 守るべき事象に関係する定量的評価指標はさまざまな「影響因子」によって変化する。この影響因子を分析し,そのマネジメントを考える.たとえば,個体群の絶滅をもたらす因子には,生息地改変,乱獲,環境汚染,外来種侵入などが考えられる.さらに,乱獲にも直接その生物を漁獲対象とする漁業のほか,他の生物を対象とした漁業による混獲,無用のものとして海上で捨てられる投棄が複合的に絡んでくることがある.これらの影響因子により、評価指標がどのように変化するかを予測する。その予測には、必ず不確実性が伴う。不確実性を考慮した予測のための数理モデルを構築すれば、定量的評価指標の将来変化を予測できる。ただし、影響因子には、管理主体によって制御できるもの、すぐには制御困難なもの、制御不可能なものがある。リスクマネジメントのためには、これらを区別する必要がある。
 こうして、対策をとらない(放置した)場合のリスクを評価する。これにより、対策を立てない場合に守るべき事象に関連する主要な定量的評価指標が望ましくない状態になるリスクを評価する。将来のリスクは用いる前提と、将来採用する政策により変わる。まず、そのリスクを客観的に示し、マネジメント計画を社会的に合意する際の基本認識として提供することが、リスクアセスメントの重要な使命の一つである。