書評 ジェフリー・ヒール著「はじめての環境経済学」

(東洋経済新報社、細田衛士・大沼あゆみ・赤尾健一訳2005)

2005年 環境経済政策学会 年報 掲載予定原稿補足

 「元気が出る環境経済学」というのが、本書を読んだ最初の感想である。私は数理生態学者で、経済学の基礎を持たない。いつも、経済学の議論はたいへん難しく、素人がしたり顔では議論できないと常々思っている。しかし、この本はたいへんわかりやすく、寝転んで読める本と言えるだろう。
 この本には数式がない。自分で計算できるようになる技術が身に付くとはいえないかもしれないが、考え方はわかりやすく、すべて、さまざまな実例に基づいて説明されている。これでどれだけの環境経済学の基本概念、有名な具体的事例の固有名詞が網羅されているかは判断できないが、巻末の3頁あまりの索引を見れば、専門家なら判断できるだろう。
 環境を守るには、市場原理が必要であると言う理念で貫かれているように見える。環境も「財」からなり、競合性と排除性が問題になる。競合性とはある財を誰かが使うとほかの人が使えなくなることであり、排除性とはその財の恩恵を金を払っていない人が受けられないように出来ることである。そして、この二つの微妙な違いが環境においては重要だという。1章は地球環境の大切さを並の生態学者よりわかりやすく説明し、2章では市場原理から社会的費用まで、なぜ環境を守るように市場が誘導しないかを説明している。そして、課税あるいは数量割当(所有権)によりこの問題を解決するという、ピグーとコースの立場を紹介している。私のような「環境生態学者」にとっては茫漠としていた二つの立場が区別され、かつ、どちらも結局は市場原理によって環境を評価し、保全するための方途であることが明確にされている。
 第3章では、ニューヨーク市が自分たちの水源の質と量を確保する問題から、民間企業がそれを担っていることを知る。都市の上水道を民間企業が供給し、その水源(集水域)を保全することは、米国ではよくあることらしい。日本ではこのような実例があるのか、私は知らない。日本では、土地開発も環境保全も「公共事業」に頼っているように感じる。たしかに日本でも、電気やガスは民間企業である。しかし、そのエネルギー源に国内のダムや油田は少ないから、だいぶ印象が異なる。そう感じるのは私だけだろうか。
 環境観光(エコツーリズム)も、環境を守ることで成り立つ産業である。南アでは、牧場として使うなら1haあたり年25ドル、農場経営なら年75ドルの土地を、環境観光なら年200−300ドル稼げると言う。日本ではいま鹿が増えすぎていて、鹿の有効利用を目指しているが、かつての林業には遠く及ばない。観光がそれほど経済価値を持つとは知らず、大いに参考になった。サンゴ礁の民営化まで提案されているが、石西礁湖のオニヒトデ対策を考える上で私にも参考になる。沖縄でも、サンゴ礁は有力な観光資源である。公共事業は将来なくなると言えば、地元の開発業界も観光と自然保護の必要性にある程度耳を傾けてくれる。そのためにも、観光資源の経済効果を明確にする必要がある。
 趣味(ゲーム)による狩猟の獲物を南アやジンバブエでは売ることが出来る。日本でも狩猟や駆除で得た鹿肉を売ることは可能だが、環境団体からの批判も強く、食品衛生法上も制約が多い。そのため、増えすぎた鹿を金をかけて捕殺しても、ゴミ(バッズ)になる。これでは経済的にも管理はうまく回らない。私は、鹿だけでなく、熊もトドも鯨も資源として利用する管理計画作りを目論んでいるが、合意形成が難しい。本書を読んで大いに元気が出た。もちろん、それが乱獲の呼び水になることは注意せねばならないが、野生生物の資源利用が乱獲をもたらす条件もまた、環境経済学者は明確に議論を進めている。
 私は以前、米国と日欧の一人当たり排出量の不平等を不問にした京都議定書を、1930年の軍縮条約以下の不平等条約と批判した。本書は非常に前向きに、議定書が排出権取引市場という新たな市場を生み出し、それが環境を守る力になると期待し、途上国まで入れるべきだったと明言している。私が不平等にこだわる間に、本書は市場経済に取り込む利点を前向きに捉えているのが印象的だ。「多少の」欠点にこだわるより、とにかく先に進むほうが、解決に向かうのかもしれない。米国が議定書から抜けたのを機に、私も日欧だけならば不平等は少ないと京都議定書を再評価し、排出権取引市場経済から米国が排除され、取残されることを期待すると論調を変えた。私の期待通りに行くだろうか。
 6章で、生物多様性の意義を、遺伝資源の経済価値を持ち出して説明するのは、生態学者の目から見て若干ためらう。このためらいが、少なくとも日本で、生態学者が環境問題の主役になりきれない原因かもしれない。しかし、6章のまとめだけ長く、まとまりがないところに妙に納得してしまった。  「環境保全に最も有効で持続的なものは適切なインセンティヴである」という明確な命題は、国に金を出させて環境を守らせようと言う発想からは出てこない。日本生態学会生態系管理専門委員会は「自然再生事業指針」をまとめた(松田ほか2005:保全生態学研究第10巻)。その中に「(公的資金だけでなく)自然再生事業の支援を行う経済行為や、その生態系から得られる資源を活用した経済行為を発展させることが大切である。このような取り組みは、自然再生事業の財政基盤を強化するだけでなく、新たな雇用を創出し、自然再生事業を支える人材を確保し、人と自然の持続的関係を発展させるうえでも重要である」と記されている。本書の思想と共通するものといえるだろう。