愛知万博と知床世界遺産候補地問題の経緯の類似

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知床世界遺産候補地 愛知万博
1 2004年7月20日 国際自然保護連合(IUCN)が知床世界遺産候補地を視察 1999年秋 博覧会国際事務局(BIE)が愛知万博候補地を視察。内々に跡地利用計画を批判
2 2004年8月20日 IUCNが海域の保護などの意見を提示 2000年1月13日 通産省環境影響評価会が評価書を大筋で認める(評価再実施は不要と判断)
3 2004年9月19日 IUCNの書簡が報道される 2000年1月14日 中日新聞、BIEが現行計画を批判していると備忘録を報道
4 2004年11月5日 政府の回答(科学委員会の意見を十分に反映せず)
5 2005年2月2日 IUCN2度目の書簡。海域面積拡大など、より具体的な意見を提示 2000年2月10日 博覧会協会などがパリのBIEに真意確認および説明に行くが、説得失敗
6 2005年2月16日 科学委員会開催(IUCN2度目の文書の存在が報告される)
7 2005年3月10日 羅臼漁協がスケトウダラ漁業の自主規制を強化。 2000年3月30日 環境団体と通産省、博覧会協会、愛知県が跡地利用計画取り下げで合意
8 2005年3月16-18日 行政側が「漁業者の合意無しに新たな規制を設けない」ことを文書で確認。 2000年8月 愛知万博検討会議が会場計画の大幅変更で合意
9 2005年5月31日 IUCNが知床を世界遺産に推薦したと環境省が記者発表 2000年11月 愛知万博計画がBIEで登録(承認)される
2005年5月31日

万博がBIE、知床がIUCNに批判されるところまでの経緯は、日本の行政側がその事実を隠してそのまま進めようとして、結局修正を余儀なくされるところまで(表の第6段階まで=青字部分)ほぼ同じ。その後の対応は、愛知万博は行政側が大幅な譲歩をしたのに対し、知床では漁業者が自主規制しただけで、行政側は何も譲歩していない。海域管理計画自身は、基本的には今まで漁業者がやってきたことをまとめたものであり、保護水準を上げるものとはいえない。
 さて、これで世界遺産登録が実現するかどうかは、IUCN次第である。実現すれば、それは漁業者が譲歩したからであり、却下されれば、行政が十分対応しなかったからであるとみなされるだろう。