松田裕之(横浜国立大学・環境情報研究院)
日本には約7000種の植物がいるが、その2割以上が絶滅危惧種に指定されている。20世紀の生物の絶滅速度は恐竜が滅んだときよりも高いとも言われている。しかし、この絶滅速度が1万年も続くわけではなく、過去の大量絶滅に比肩する前に人類が破局を迎えるだろう。地球上の生命は約38億年前に誕生したが、古生代末には三葉虫を含む全生物の95%が絶滅したといわれ、中生代末には恐竜が絶滅した。その中でも、生命は生き延び、長い時間をかけて新たな生物と生態系が進化してきた。
砂漠化が進み、森林だったところがなくなるなど自然景観が一変し、生態系が大きく損なわれるというのは現実に起こっている。しかし、現在が地球生命史上第6の大量絶滅の時代とみなし、普通の種を含めた地球生態系そのものが絶滅するという風説は誇大宣伝である。また、地球温暖化も含め、生態系が大きく損なわれることにより、人類そのものが絶滅するかどうかも、疑問である。
しかし、それなら安心かと言えばそうではない。地球温暖化の専門委員会では、地球温暖化による水不足により30億人が死亡するという試算もある。少なくとも、砂漠化や森林消失によって、我々の生活水準が急激に下がる可能性はかなり高いかもしれない。クライブ・ポンティングは『緑の世界史』で、イースター島の教訓として以下のように人類に警告している。
西洋人が18世紀に初めてイースター島を訪れたとき、島にはほとんど木がなかった。先住民は住んでいたが、あのモアイ像を作る技術も文化も持ち合わせてはいなかった。その後の研究で、ポリネシア人がはじめて入植した紀元400年頃には、全島が森林に覆われていたが、原住民の森林破壊などにより1600年頃にほぼ完璧に破壊され、作りかけのモアイを運ぶ丸太さえなくなった。もはやカヌーも作れなくなり、深刻な食糧不足で人口は減り続けたといわれる。これと同じことが、今地球全体で進んでいるかもしれない。自然の恵みを利用して高度な技術や文明が発達しても、生態系を壊してしまうと、やがて今までのような生活が出来なくなる。
自然保護とは、我々の子孫の生活を守るために必要なことである。私たちはいつしか自然に対する畏敬の念を忘れ、一部の自然保護論者でさえ人間が全生命を破壊できると錯覚している。生命を人工的に作ることができないのと同じく、私たちは生態系を人工的に作ることができない。自然の恵みをもたらす生態系を損なうと、現代の技術で補完するのは不可能である。クマ、トキ、サンショウウオ、マグロ、ゲンゴロウ、キキョウを守らないとどうして困るのか。それは単に人間にとって欠かせない生態系の一員であるというだけではない。先祖から受け継いだ人と自然の関係を維持していくことは、今の人間と自然の関係が持続可能であることの指標である。1種も滅ぼさない、絶滅危惧種は1個体も死なせないというのが持続可能な関係ではない。いつの時代でも失う自然はあった。里山自身も決して自然を壊していなかったとはいえない。やりすぎが問題である。