日本生態学会福岡大会 シンポジウムS-007「日本の国土の超長期ビジョン 中山間地問題」
2008年3月17日8:30-11:30

2つの超長期シナリオ:里山保全と里山撤退作戦

松田裕之(横浜国大・環境情報) 8:30-8:55 (案:ご意見ご助言ご批判を1月6日まで歓迎します!)

日本の生物多様性国家戦略の第2の危機(Underuse)では過疎は懸念材料だが、本来、人口密度が少ないほうが環境負荷は少ないはずである。この認識から超長期ビジョンを組み立てる。

日本の国土の生態系管理には、以下のような特徴がある。

  1. 島国であり、大陸より小規模なので管理しやすい。
  2. 島全体が一つの政府なので河川上流も含めて統一した管理ができる。
  3. 国土の多くが多雨、森林、山地であり、先進国の中で頑健な生物多様性をなお維持している。
  4. 河川が短く洪水氾濫域に人口と資産が集中している。
  5. 人口過密だが既に人口増加は止まり、これ以上の土地開発は必要ではない
  6. 経済競争力が高く自然保護に努力する余裕がある。
  7. 公共投資によって過疎地の巨大開発が繰り返されている
  8. 人材が豊富であり、あらゆる分野から環境志向の研究が進められている。
  9. 国民の衛生水準と健康志向が高い長寿国である。

台湾と比較してみると、上記の多くの特徴を共有しているが、台湾は九州程度の面積に2000万人が生活しながら、東海岸は急峻で自然海岸が残された過疎地で、西海岸はほとんど人工海岸で人口が密集している。東側は現在の自然を保全し、西側は重要な湿地などの復元を計るという明確な方針が立てられる。

河口域に都市を残す流域と漁村のみを残す流域に分け、上流域の里山・奥山を含めて二つの方針を使い分けてもよいだろう。すなわち、里山「撤退」地域と里山保全地域を作ればよい。当然、自然災害のリスク、住環境の定住度も両者で異なる。流域ごとのモザイク構造を維持すればよい。

問題は撤退する流域を決めることである。そのためには、行政区画を流域圏全体を含むような道州制に変えることも有効であろう。


里山林と人:後は野となれ山となれとはいかぬが定め

大住克博 (森林総研関西)

保全と撤退の二つのシナリオについて、林業技術者の立場から意見を陳述する。まず前提として、現在ある里山林は、単なる破壊と放置の結末ではなく、人と自然の長期の相互作用の結果であることを示す。伝統的な里山利用は、一定の撹乱様式を持ち、里山林は、それぞれの撹乱様式に対する個体群の応答により、特有の種構成や林分構造を形成しながら、ランドスケープの中に序列されていることを、北上山地のカンバ林や、琵琶湖畔のコナラ亜属優占林を例に紹介する。
さて、このような、人との関わりを持つ森林の放置は何を生むだろうか? 里山を代表するコナラ亜属二次林では、放置され高林化する中で、多くの林床植物は衰退し、遷移が進んだ。そして、近年拡大しつつあるナラ類の集団枯損は、今度は高林化した林分の存続を脅かし始めた。ナラ林以外に目を向けても、マツ枯れの第二波、竹林拡大などが重なり、今後、里山の森林はどうなるのか、その予測は難しい。また、自然に委ねても、おとなしく何らかの安定に収まってくれるとは限らない。
では、保全は可能か? 原則的には、伝統的な短伐期管理に戻すのが良い。しかし、長く放置され大径化したコナラは萌芽能力が低下してしまっている上に、今では更新しても獣害が障害となる。社会経済的にも、国土の二割前後を占める里山林の保全を誰が担うのか? それらの仕事は、ボランティア頼みだけではすまないだろう。
保全も撤退も難しい中で、我々の取れる道は、以下のようなものではないだろうか。ア)状況は悲観的でもやれることをやる。イ)観察と予測は行う(放置の場合も、その結果を引き受ける覚悟を)。ウ)中長期的には、過去の里山管理より簡易で、ある程度の保全も期待できる新たな里山景観を模索し、それにシフトさせる。
結局、我々の社会のあり方、生き方の問題であるという理解が必要であり、その点では、生物多様性以上に、それを支える文化多様性を重視したい。


中山間地問題の整理

酒井暁子(横浜国大 環境情報)

中山間地とは、長期間に渡る人の干渉によって形成された半自然的景観が卓越する地域で、里地あるいは里地里山とほぼ同義である。地理的には、人の影響が及びにくい高海抜地などの「奥山」と平野部の「都市域」の中間に位置する。国土の約4割を占める。
かつては、食料・燃料・肥料・建築材など生活に必要な物資のほぼ全てを身近な生態系から得ており、それらの生産性を追求する中で確立されたのが里地里山システムである。集落を中心に、田畑とこれに付随する農業的自然、薪炭林などの林業的自然、採草地などをモザイク状に配置し、システム内部で資源を循環させる。中山間地は昭和30年代以降、急速に変貌した。それは景観の成立・維持要因であった農林業・社会構造・生活様式の変化によって里地里山システムが崩壊したためである。
中山間地の変貌は一般的に好ましくないものと認識されており、その復元・修復・保全は今や国家戦略である。その目的として、1)生物多様性の維持:里地里山に特徴的なかつては普通種だった生物、とりわけ絶滅危惧種の保全、2)文化的機能の維持:伝統文化の継承、やすらぎの場の提供など、3)一次産業の振興:環境負荷を上げずに食料・木材・エネルギーの自給率を向上する、4)保水・砂防などのダム機能、気候調整などが挙げられる。里地里山システムはこれらの機能を十分に満たし、その崩壊はこれらの損失を意味するというのが、中山間地の復元・修復・保全の根拠である。
この根拠は妥当だろうか。江戸時代から森林の過剰利用は進行し、明治初期には禿山・荒地が広がり、土砂崩れや洪水が多発した。薪炭の生産は増加の一途で昭和20年代には莫大な生産量に達した。里地里山は、人と自然の持続可能な共存システムだったのだろうか。また「生物多様性」の維持等の目的を達するためには里地里山システムの再構築は必須なのだろうか。


中山間地の持続可能性と農業政策

嘉田 良平(横浜国大・環境情報)

日本農業の持続可能性が次の3つの側面から問われている。第1は社会的、経済的条件である。自給率が低迷し、農業生産が後退する中で、日本農業を支える担い手が確保されていない。第2は、物質循環の側面である。近代農法は環境負荷を拡大させてきたが、これをいかに低投入かつ生態系と調和する持続可能な方式へと転換できるのかが問われる。第3は、中山間地域における資源の保全管理上の問題である。過疎化と高齢化が深刻な多くの中山間地域では、担い手の減少や地域社会の崩壊といった問題に加えて、野生動物による農作物被害や、地滑りや洪水などの自然災害も増加してきている。超長期戦略を考える際には、これらの「市場の失敗」と「政府の失敗」に注目すべきである。
要は、里山の保全をいかに地域の再生や経済の活性化につなげられるかである。その際、水田の生物多様性や農村景観が長年にわたる農業の営みや人々の暮らしを通して維持されてきたという点に注目したい。この基礎条件が大きく変化した今、中山間地の超長期戦略においては、農業・農村システムの抜本的な見直しと政策変更は不可欠であろう。
そこで耕作放棄地や遊休水田などの未利用資源の有効活用策を地域ごとに具体化したい。すべての里山資源の保全管理が不可能であるならば、「再線引き」による用途の見直し、環境への転用なども考慮すべきであろう。他方、都市住民の農業・農村ニーズ、価値観の変化にも注目したい。補助金に頼らずに農業・農村をどう活性化させるのか。都市と農村との上下流連携を図りつつ、安全・安心な農産物の提供、教育面や心の癒しの提供など、多様な価値の創造が期待される。その際、環境価値の評価はその重要な前提となる。政策的には、中山間地域を対象とする直接支払い制度を、農林業の多面的機能の発揮あるいは生態系サービスと関連付けた「環境支払い」として拡充すべきと判断される。


中山間地域の植物の多様性と
土地利用との関係からみた将来予測

根本真理(東京農工大・農)

農的管理が放棄されたときの景観スケールにおける中山間地域の植物群落及び種の多様性の変化について考察した.丘陵地が卓越する関東周辺の4地域(千葉県匝瑳市,東京都町田市,栃木県茂木町,福島県白河市)を対象に,小集水域毎に得られたデータを用いて検討した.各地域で確認された植物群落の多くは,人間が利用する土地利用の存在によって成立していると考えられた.各地域で希少とされる種は,水田や雑木林,植林地,草地に成立する群落の構成種に多く含まれた.管理が放棄された場合,水田では成立しうる群落数は増えるが,種数は減少し,また放棄前後の種組成の変化が大きくなると考えられた.雑木林では植分あたりの種数が減少するだけでなく,その地域での希少種が減少する傾向があった.
すべての水田が耕作放棄されてしまった小集水域では,耕作が行われている水田のある小集水域と比較して,80%の種数,60%の植物群落数と供に低くなる傾向があった.
地域間でフロラを比較した結果,総出現種数1083種のうち,4地域で共通であった種は357種(各地域の種数の50%強)となった.地域のフロラは各地域での独自性を保ちつつ,気温要因の傾度に従って種の入れ替わりがあった.地域間で種の入れ替わりが大きいのは雑木林や植林地の植物群落であり,これらの管理の放棄による種組成の変化は地域間の種多様性の減少に大きな影響を与えると考えられる.
人間が中山間地から撤退すれば,人間が利用する土地利用とそれに対応する管理とに依存した種が消滅し,景観スケールでの植物の種多様性は減少すると考えられる.今後,小集水域における多様性構造のモデルを発展させることによって,広域の流域スケールの多様性構造の変化予測につなげていくことが可能であると考えられる.