イランの水産学および生物圏保存地域との連携の可能性

2012年11月2日 松田裕之

 2012年10月26日から11月3日にかけて、Hormozgan大学のEhsan Kamrani博士に招かれて、イラン第一の港湾都市Bandar Abbasを訪問した。私のために、"Fisheries management, modeling and biosphere reserve"と題する3日間のWorkshopを企画してくれた。水産学、環境科学などから40名ほどの大学院生などが参加した。
 イランは広大だが、多くは荒野だ。テヘランやイスファハンは高地にあり、東京と気温が変わらない。しかし、港町バンダルアッバスは蒸し暑かった。テヘラン空港は国際空港(ホメイニ空港)と国内空港が離れていて、わざわざホルムズガン大学テヘラン事務所の先生が迎えにきてくれた(ついでに考古学博物館を案内してくれた)。最初、彼らが予約した便が1日遅くて、テヘランでどう過ごそうかとさすがに心配したが、実に親切だった(彼らはふだんはイラン暦を使っている)。
 イランは米国からテロ支援国家とされているが、少なくとも大学にいる限り、きわめて自由で民主的な雰囲気にあふれている。公然と政府の政策を批判することも自由だし、現在のイランが国際制裁によって経済が打撃を受けていることや、将来への夢なども、率直に語っていた。初日の初めはイスラム教の音楽から始まり、女性はみなチャードルかマーントーを着ているが(黒以外の人もいた)、質問も活発だし、私を囲んだ集合写真撮影もほぼ全員から求められた。口々にアメリカのイランに対する態度はきわめて不公正であり、欧米のイランに関する報道は嘘だらけだと言われたが、同感だ。シオニストはイランの科学者をも暗殺していると聞いた(旅行ガイドには、かつてユダヤ人をバビロン捕囚から解放したのはペルシャだと載っているが)。今年は特に経済政策がひどく、クレジットカードも使えない。「国内生産(振興)の年」となっているらしい。反米で核開発をしているというだけでテロ支援国家というのはあたらないだろう。困っていると正直に言っていたが、悲壮感はなく、自由に自分でものを考えていると感じた。
 Ehsan Kamrani准教授はHormozgan州の国立大学であるHoarmsgan大学の水産分野のDeputy Directorだけでなく、4つの私立大学の運営にもかかわっている。学士はテヘラン大学Fisheries Managementで取得し、修士はQeshm島のBiosphereReserveのMnagrove林を研究し、水産学でPhD取得後、改めて公共法で修士を取った(聞き取りにつき、履歴を確認中)。彼はイランで学位を取得し、留学経験はドイツのブレーメンに2ヶ月滞在している。他の教官たちは半分ほどは欧米で学位を取得し、母国に戻っているらしい。講義は主にペルシャ語で行われているという(今回、学生たちの英語の質問が聞き取れずに困った)。彼はきわめて多忙で、数分おきに携帯電話で応対し、講義前後に部屋に戻ると事務員が持参する書類に署名をしまくっていた。彼らは学位取得までに二報の原著論文が必要だという(修士も1報必要)。

 28日、Kamrani博士は午前の前半のみでテヘランに飛び、夜遅く戻ってきたという。その間、Iman Sourinejad博士氏が代わって私の話をペルシャ語で要約し、学生の理解を助けていた。特に、「最大持続生態系サービス」という概念は気に入られたようだ。Adaptive Managementとか、科学用語は外来語なので、何を話しているかはある程度わかった。圧巻は31日に、修了証(Certificate)に松田の署名が必要だから、空港までもってこいと電話で叫んでいるペルシャ語は、大体合点が言った。空港で数十人分の署名をする羽目になった。
 質問の中身から学生の研究課題がある程度わかった。ナマコの薬効技術、ファジー理論を用いた水産資源評価、魚の重金属汚染、生物圏保存地域など、実に多様な学生が聴いていたようだ。午前(9-12時)に2回、午後は2-4時と短く1回の話をした。休憩には紅茶、果物、菓子が参加者に振舞われた。30日には12時から1時まで、DC院生に追加で質疑の時間を設けられた。実に熱心に、私の講義を理解しようとしていた。Kamrani博士からは、環境科学でリスクはきいたことがあるが、「資源回復確率」のように水産資源管理でリスクを語る者に始めてあったと言われた。
 29日もKamrani博士自身が私を迎えに来てくれて、ホテルから大学に行く途中の魚市場に寄った。貝はイスラム教徒は食べる習慣がないらしい(真珠の養殖はしているようだ)。イカやタコも見当たらない。魚はイワシからマグロやサメまでさまざまなものが売られていて、個人消費者が買いに来ていた。
 29日には夕立が降った。今季初めてだという。乾燥した大地が一面水浸しになった。ホテルではテレビ放映が中断され、ネットも遮断されていた。停電は翌日も一瞬あったが、それはいつものことだという。Hormozgan大学は市のはずれにあり、学生はバスで通学しているらしい。そして、大学周辺でも大規模な沿岸開発が計画されている。ドバイと異なり、自然を生かしていくといっていた。Kamrani博士は土木から数学まで、さまざまな教官と親しく、すれ違うたびに「サラーム」と挨拶し、私を紹介していた。彼らとの連携があれば、統合的沿岸域管理画できるだろうといっておいた。
 30日には生物圏保存地域の話をするはずだったが、前日の水産の質問が長引いたので、最初の1セッションだけになってしまった。後はリスク概念と魚の水銀リスクの計算方法を説明した。イランの最大の死因は交通事故死、自殺はイスラム社会では禁じられているという。そもそもイスラムは鯨肉を食べないらしい。イランには11の生物圏保存地域があると学生に教えられた。やはり、もう少し国の事情を下調べしてから講義に望むべきだったか。イランにはユネスコテヘラン事務所もあり、ラムサールもある。ユネスコの活動拠点だ。
 Workshopが終わると、夜は私立大学Islamic Azad University, Branch Bandar Abbasの分校長と夕食が用意されていた。この大学は夜学が中心で、イスラム革命直後にできたという。

 31日は朝から漁業団体事務所に行き、実にいろいろな相談をした。養殖を進めているが餌の9割は輸入しているので、3年ほど前からハダカイワシを中層トロールでとっている。TACは300万トンだが漁獲量は13万トンで、より効率的な捕獲方法を探している。イワシとカタクチイワシも10年ほど前からとって魚粉にしているが(小さな漁船による2艘まき網)、最近は缶詰も作っているという。生簀技術を1週間ほどで教えてくれる人はいないかと聞かれた。エビ漁業が主力だが、Dhowと呼ばれる木造動力船の網漁業で、混獲のほうがエビより数倍多いという。また、Hormozgan州全体で大型漁船は50隻ほどで、日本の漁協のCo-managementに興味があるとも言っていた。日本の漁業者との交流を望んでいた。
 その後、実際にエビ漁船に乗ってみた。日に4回操業するという現場を目撃したが、本当に混獲魚だらけだ。それを手でより分けて、混獲は小型船が引き受けて魚粉にするという(もったいない)。
 昼食は水産庁の船の上で食べた。魚と鶏のケバブとエビ炒飯の後、茹でたPrawnをデッキ上でいただいた。それにしても、すごい速さのモーターボートにもライフベストがないし、乗り移りにははしごもない。奈弥の高い日だったらたいへんだった。
 その船で生物圏保存地域+ジオパークであるQeshm島へ上陸し、マングローブ林に向かう。ここはKamrani博士の修士時代の調査地だ。貿易船が往来するイラン本土とQeshm島の間に広大な保護区が設定されている。ここがエビなどの繁殖地であり、その外側で漁業を行っているわけだ。レジャー船はいくつかあったが、特に観光客は見当たらない。Qeshm島は国際空港があり、イラン本土と違って入国ビザが不要な特区というが、海外からの観光客はほとんどいないらしい。干潟に定置網を仕掛けた老人に網を見せてもらった。彼らはアラブの服装をしているが、ペルシャ人だという。その後、Pithole(かつて川だったところに自然に開いた直径数十センチ深さ数メートル以上の穴)など、陸上地形も視察した。そこには若い男女の観光客が1組いた。十分にジオパークに値する自然が残されている。Kamrani博士が陸上植物でも学士をとっていることを初めて知った。

 11月1日にはKamrani博士とイランの伝統工芸品産業を視察するため、31日夜からイスファハン大学宿舎に2泊した。イランは生物圏保存地域を活用できる産業がまだたくさんある。そして、彼らはきわめて親日的だ。Kamrani博士と歩いていて、何人もの人から日本人かと声をかけられた。日本に対する期待が大きいことが実感できた。多忙なKamrani博士と二人で1日中話しこんで、日本とイランの学術交流、水産業交流の可能性が見えてきた。バンダルアッバスは世界有数のホルムズ海峡の要衝であり、国際政治、漁業、海洋保護区、沿岸域管理の実践の場である。夕方は宿舎で、改めてKamrani博士にExcel演習の個人補習をする羽目になった。実に熱心だ。

 それにしても、水産学、環境学、Co-management論を含めて、これほど自分の専門に近い人にめぐり合えるとは思わなかった。漁業の現場対応を行う研究者としては、世界で普遍的な流れかもしれない。しかし、もともと国際水研の西田勤さんが同様にWorkshopに招かれ、彼から紹介されたのだと思う。私が知っているK.Sainsbury、T.Charles、JC.Castillaなどは名前も知らなかった。「自然の権利」のC.Stoneの名は知っていた。先日はマレーシアの会議Sustainability in Oceanで宮崎信之さんに会い、カスピ海での協力を求められたという。私も彼が1週間後に招いたノルウェーの漁業社会学者を知らない。漁業共同管理の国際的なネットワークの構築が必要だ。

27日
←テヘランからバンダルアッバスに向かう機上から。イランは沙漠が多い。その中に集落がある
←Ms Fereshthe Farsi (Tehran, Hormozgan Univsrsity)が国際空港から国内空港への移動の途中で考古学博物館に案内してくれた。彼女の研究室からメールをチェックしようとしたが、日本のサイトにはつながらない設定に衝撃。Gmailだけがつながった。バンダルアッバスでは逆に、横浜国大のメールサイトはつながり、Gmailはだめだった。YahooJapanメールは一貫してつながらなかった。
28日。私の話をペルシャ語で補足するIman Sourinejad博士 受講生たちとの集合写真。立派な横断幕とポスターを作ってくれた 東南アジアと同様。レーンを守らない自動車たち。とても運転できそうもない
29日。朝立ち寄った魚市場には多様な魚種とエビが小売されている。 魚市場の知り合いと握手するKamrani博士 定置網の一種 午後のExcelを用いた演習。ペルシャ語で補足するKamrani博士
30日。古いアーケード街 昼食時間に追加の議論をするDC学生 Islamic Azad大学のBryde's whale Dr. Bagheri(Islamic Azad大学)分校長室
31日。Kamrani博士の私立大学の事務所。彼はHormozgan州の実力者だ 漁業者組織+州水産課との議論。右から二人目がKamrani博士の弟子のMohebbi氏,  木造の動力付漁船。最近はグラス繊維船に代わりつつある すごい速さのモーターボートでエビ漁場に向かう。ライフベストがない
エビ漁業(許可制)
エビ漁業というがほとんど混獲魚だ。ひどい。 混獲魚を貰い受ける船。魚粉にするという Mohebbii氏(Fisheries Duputy of Hormozgan Province)など
水産庁の船に乗り移る 昼食に取れたての茹でたPrawnを食べる
Qeshm島の地図(中央北側に広大な海洋保護区がある Geoparkの表示はあるが、BRの表示はない
干潟とマングローブ 老人所有の定置網に向かう 干潮時に定置網が露出し、魚を手で取れる Geoparkのもうひとつの目玉はPitholeのある峡谷
案内してくれたDC院生のJabbarzadeh君
天然ガス油田

11月1日朝。 宿泊したIsfahan大学GuestHouseからの眺め。市内が一望できる。
エマーム広場の職人街
広場にある伝統的レストランでのDiziという食事。このレストランもこのメニューもガイドブックにはなかったが、とてもおいしかった。

座敷式の食堂でくつろぐKamrani博士。2泊して、博士自らイランの伝統産業と文化について現地講義をしてくれた