講演要旨フランス語訳

パリシンポの概要

「多様性が維持する生物世界」

1 「多様性が維持する生物世界」

東京大学海洋研究所の松田裕之です。早速スライドをお願いします。現在、地球上の生物はかつてない急激な勢いで絶滅していると言われています。たしかに恐竜が絶滅した時代にも多くの生物が絶滅しましたが、その時代の大量絶滅には何百万年もかかりました。ところが今世紀に入ってからは、毎日どこかで種が絶滅していると言われています。次のスライドをお願いします。

2 「生物多様性条約」と生態系の風景

生物の多様性を維持すること、これは今や人類共通の課題です。「生物多様性条約」によって、私たちは野生生物と共存する途を探し始めました。

今日私がお話しすることは、生物の多様性の意義です。さまざまな種がいて、しかも一つの種の中に皆個性の違う個体が入り交じっているからこそ、40億年にわたる地球環境の激変に耐え抜いてきました。今日は、20世紀の成長経済に足りなかったものとして、お二人の講演者の方から遊び心と心地よさが紹介されました。効率最優先の成長経済に代わる、いわば人間の五感で実感できる豊かさを考えたものと思います。そして、生物社会に見られる多様性もそのために必要な要素の一つであるというのが、シンポジウムを企画された月尾先生のお考えだと思います。

生物の進化と言えば、多くの人はチャールズ=ダーウィンを思い浮かべられると思います。その進化の原動力は「最適者生存3」といわれる原理です。つまり、一番子孫を残しやすい生物が生き残るという考え方です。これは自由競争そのものです。それなのに「生物の多様性に学べ」と言うのは、考えてみれば不思議な話です。次のスライドをお願いします。

3 今日の内容

今日は、皆さんに3つのことを説明したいと思います。一つは、「共生と自由競争は矛盾しない。共生関係が進化したのは他の生物と仲良くした方が自分の子孫を残しやすかったからだ」ということです。二つ目は、「地球という環境は実に千差万別で、演繹的なやり方で正解を見つけることはできない、試行錯誤を繰り返しながら、完璧な正解ではなくてもそれなりにいい答えを見つけてきたのが生物の進化だ」ということです。そして最後に、「人間同士の信頼関係は築くのが難しく、壊すのが簡単であるのと同じように、生物の多様性も長い進化の過程で育まれたものである」ということです。次のスライドをお願いします。

4 利己的な遺伝子

一昔前は、「生物には種の保存本能がある、カマキリの雄は子孫を残すために雌に食べられながら交尾する」などと言われていました。しかし、今ではこれらの迷信は否定されています。そして、「種全体の繁栄」ではなく、全体の利益に反しても自分の子孫さえ増えればいいという考え方の方が、生物の進化を合理的に説明できることが分かってきました。たとえば、種全体の個体数を増やすには雄は少し、雌がたくさんいた方が子供の数は増えます。しかし、ほとんどすべての動植物では雄と雌はほぼ半分ずついます。これは、数が少ない方の性の方が配偶者に恵まれやすく、自分の子孫を増やすことができるからと考えられます。では、そのような利己的な遺伝子どうしがどうして助け合ったりするのでしょうか?次のスライドをお願いします。

5 ゼロサム社会と非ゼロサム社会

その答えを一言で言えば、「相手に損をさせたからといって、自分が得をするとは限らない」ということです。勝つか負けるかという状況で、勝つことが互いの唯一の目的なら絶対に仲良くすることはありません。この状況を、経済学ではゼロサム社会と言います。それに対して、相手を殺してしまったら自分も生きていけないような場合が数多くあります。たとえば、今年日本で流行った食中毒は病原性の大腸菌が原因でしたが、病原菌が患者にとりついてすぐに患者を殺してしまっては、次の宿主に感染することができません。「生かさず殺さず」とは封建時代に日本の武士が農民を搾取した様子を言い表した言葉ですが、病原菌が人間を搾取するのも同じことです。次のスライドをお願いします。

6 3つの種間関係

生物の世界における共生4とは、単に競争の反対語ではありません。生物どうしの関係には、つきあう2種が互いに得をする双利関係、一方が得をして他方が損をする搾取関係、両方とも迷惑な競争関係の3つがあります。一般には、「競争関係を改めて共生関係を築きましょう」と言われますが、実は、寄生関係から双利共生関係へ進化すると考えられます。次のスライドをお願いします。

7 競争≠自由競争

先ほど、生物の進化を自由競争にたとえました。生物が他の生物と助け合うのも、搾取するのも競争するのも、すべて自由競争の結果なのです。生物の突然変異5はそれぞれの生物で勝手に起きます。まさに個々人が工夫を凝らして成功を目指す自由競争の社会です。この自由競争は、相手を押しのけ合うという競争関係だけを導くものではありません。自由競争の結果、相手と助け合ったり、搾取したりする関係が生物の世界では現実に生じているのです。つまり、生態学で言う双利関係、搾取関係、競争関係は、すべて利己的な遺伝子がもたらした進化の結果なのです。経済学で言う自由競争と、生態学で言う競争は意味が違うのです。ですから、競争偏重を反省するのは私は良いことだと思いますが、それが自由競争という規則を見直すと考えてはいけません。大切なのは、相手と仲良くする方が自分が得をする場合があるということです。

ですから、アメリカの政治学者のロバート=アクセルロッド6は「つきあい方の科学」という本の中で、利己主義7という言葉より個人主義という言葉の方がより適当だと述べています。牛は草を食べますが、牛自身は草を消化する酵素をもっているわけではなく、牛に共生している腸内細菌が草を消化しているそうです。細菌が単独で草にとりついて増えることができない以上、牛と腸内細菌は双利共生関係にあります。互いに相手を利用しあって生きているわけです。助け合いはあくまで自分の利益を求め合った結果なのです。次のスライドをお願いします。

8 盗蜜する花蜂

ですから、生物の双利共生関係においては、互いに隙があればより多くの利益を得ようと待ちかまえています。この例は蜂が花の蜜だけを盗み、花粉を運んでいない例で、盗蜜といいます。逆に、蘭の花の中には蜂の雌の姿に変装して雄を誘い入れ、蜜を与えずに花粉を運ばせるものもいるそうです。

このように,生物の共生関係は虚々実々の関係で,競争の否定の上に成り立つどころか,互いに自分の利益を追求した結果と考えられます.そして,本当に相手が自分の利益になっているかどうか,寄生か双利共生かよくわからない場合もあります.私たち人間社会でも,果たして妻や夫がいた方が得かどうか,疑い出すと切りがないことがあると思います.

9 地球共生系

私は,寄生と双利共生の境目がよくわからなくても構わないと思います.はっきりしているのは,人間を含めてあらゆる動植物が,他の生物なしには生きていけないという事実です.動物には餌が必要ですから,植物なしには生きていけません.植物も,土壌から吸収する養分は菌類の助けを借りてまかなわれています.生態系の中では窒素や燐などの元素は循環しているのです.特に、人間は他の多くの生物を資源として利用して暮らしています.他の生物を根絶しては自分の足元を切り崩しているのと同じです.私たちが「自然を大切に」と考えるのは,自然のためばかりではなく,自分のためでもあるのです.

アメリカの生理学者のジェームズ=ラブロック8は地球全体を一つの生命と見なし、それをガイア仮説と名付けました。しかし私たちは,生態系の中には数多くの生物が勝手に生きていながら,相互作用を通じてそれなりの秩序を作り上げていると考えています.音楽ではポリフォニーという言葉があるそうですが,主旋律が一つではなく,それぞれの旋律が対等に自己主張して新たな調和を作り上げるものと理解しています.生態系も,一つまたは少数の主人公となる種がいるのではなくて,どの種もそれぞれ勝手に生きているけれども,単独では生きていけず,生態系の中で生きているのです.次のスライドをお願いします。

10 生物の適応戦略と人工生命

先ほど申し上げたように、生物は突然変異と自然淘汰によって進化します。生物は、神が巧みに作り上げたような精巧な機能をもち、人間がロボットを作ってもまだまだ真似ができません。私たち進化生物学者は、生物がいかにうまく生きているかを説明するために、最適化9という数学的技法を用いて証明します。たとえば、餌を採る時間と天敵から身を守る時間のどちらを長くすべきかという問題を考えます。天敵が多くなると採餌時間を減らすべきだという答えが得られますが、実際の動物で実験してもそうなります。では餌が増えるとどうなるかと言えば、より積極的に餌を採る場合もあれば、少しの時間でそれなりの餌を食べて後はおとなしく天敵から身を守るという消極策も考えられます。実際の動物でも、両方の例が知られているそうです。何個卵を産むべきか、冬眠すべきか、縄張りを作るべきかどうかなど、あらゆることの損得を数学的に予測し、実証しようとしています。これと全く逆の試みがあります。たとえばヨーロッパの全ての国を回る最短経路を探すパズルのような問題は、なかなか解けません。結局全部の可能性をくまなく調べていくしかなかったのですが、これでは計算機が発達した現在でも途方もない時間がかかります。そこで、生物の進化を真似て答えを見つけようという発想が生まれました。それが人工生命10です。次のスライドお願いします。

11 巡回販売員問題

たとえば100個体の人工生命を計算機の中に想定して、それぞれ別の経路で国を回ります。経路が決まれば、旅行時間を計算するのは計算機のお手の物です。そこで短時間で回った個体を10個体ほど選び出します。これが自然淘汰に当たります。その各個体とほとんど同じ経路をたどる個体を10個体ずつ複製します。ただし、親と少しだけ経路が変えます。親より短い時間で回る者も、長くかかる者もでてきます。そこでまた10個体を選抜し、これを繰り返すというわけです。

計算機が発達した現在だからこそできる方法ですが、この方法だと、くまなく探すよりずっと短い計算時間でそれなりによい経路がわかります。ただし、真の正解はなかなかわかりません。いま、100個体からいい者を10個体を選ぶと申し上げましたが、1個体だけ選び出すのはかえって効率が悪いのです。次善の策にも少しの改良でよりよい答えを見つける可能性があります。10と20のどちらがよいかはわかりませんが、選択に幅を持たせることがたいせつです。まさに、多様性の第一の意義とは、ある時点で最善の者だけを残していてはかえって改良の可能性を捨ててしまうということです。皆が同じことを考えては進歩はありません。同じ流派だけで固めても進歩はありません。常に他人と違うことを考え、他の流派の人を受け入れた方が可能性があるわけです。

生物の世界もそれと同じことです。今の環境に最も適した生き方をしているとは限りません。さらに、環境は日々変わっていますし、場所によっても変わります。私たちの人生は、今申し上げたヨーロッパ巡りよりはるかに複雑なパズルで、何が最適な生き方かはわかりません。わかりませんが、突然変異と自然淘汰によって、それなりに環境に適した生き方が進化してきたわけです。

このようなパズルの答えを人工生命で見つけようという試みがあること自体、ダーウィンの進化論が有効であることを証明していると言えます。ただし、人工生命ではなかなか真の正解を見つけられないこともわかってきたようです。やはりまともに解ける問題は頭を使って解くべきです。あくまでもくまなく探すよりはましだというだけのことです。人工生命にできることは、今のところごく限られています。たとえば音楽や、日本人の大好きな俳句が人工生命に作れかといえば、今のところは不可能です。100個体の人工生命にでたらめに作曲させるのは簡単です。問題はその中からいい曲を10曲選び出すことです。旅行時間を計算するのは簡単ですが、芸術は何がよいかはっきりしません。人間社会には評価の基準がよくわからないものがたくさんあります。生物の適応は子孫の数で評価しますが、人生の目的もよくわかりません。そのような問題には、まだまだ計算機は役に立たないのです。次のスライドをお願いします。

12 多様性の逆理

さて、今は多様性と将来性の関係について申し上げましたが、多様性にはもう一つ、多種多様な生物がいた方が生態系が長続きする、という意義があります。生物の多様性を守れと言う主張の根拠もそこにあります。ところが、数学的には全く逆の結果が出ています。もしも種間の関係が無作為に結ばれていると仮定すると、種数がたくさんいるほど全部が共存する可能性は小さくなります。さらに、1種が関係する生物の種数が多くなればなるほど、生態系は不安定になります。これらを多様性の逆理といいます。この問題は、現在未解決の生態学の最重要課題です。この問題が解決しないと、多様性を守れと言う根拠を失うことにさえなりかねません。次のスライドをお願いします。

13 食物網の共進化

私自身は、この問題を解く鍵は、生物の関係の柔軟さにあると思っています。先ほどの逆理を導いた数学理論では、生物どうしの関係はいつも同じで、種Aはいつも種BとCを食べ続ける、というように仮定していました。これは正しくありません。Bが多くなれば種AはCを無視してBばかり狙うでしょう。逆にCが多くなればCばかり狙うでしょう。生態系の中の生物の関係は固定されたものではなく、臨機応変に変わるのです。これを考慮すれば、関係を固定した場合に比べて生態系は安定になる傾向が知られています。種数が多い方がより安定かどうかはまだ研究の途中ですが、私はこのアイデアに賭けています。次のスライドをお願いします。

14 Gary Larsonの漫画

たいせつなことは、種がたくさんいるだけでは生態系は安定にはならないと言うことです。それぞれの種が生きて他の生物と関係を持っているという事実を忘れてはいけません。これは有名な風刺漫画家のGary Larsonの漫画です。自然界には天敵に襲われたり飢え死にしたり、子育てに失敗したり、危険がいっぱいです。1種1種を保全するだけなら、野生動物を捕まえて動物園に入れて飼い慣らした方がいいかもしれません。この漫画のように瓶の中にしまう方がいいというのは、それと似たようなものです。さらに、遺伝子だけを保存することもできます。しかし、それでは私たちの快適な環境を守ることはできません。野生状態で、多種多様な生き物が関係を持っている状態を守ることが大切なのです。次のスライドをお願いします。

15 大発生する帰化生物

このような関係は、人間どうしの信頼関係と同じで、築くのは時間がかかり、壊すのは簡単です。たとえば、いきなり見知らぬ土地に来た生き物がその生態系の中で大発生して猛威を振るうことがあります。

これはアメリカシロヒトリという害虫です。この害虫は第二次大戦後にアメリカから日本や欧州に侵入して桑などの農作物に大きな被害を与えました。その害虫の天敵も一緒に日本に来れば、大発生を抑えることができたかもしれませんが、天敵のいない新天地に来た帰化生物が大発生するというのは、よくある話です。

人間社会でも、自分の住んでいる場所ではうまく社会にとけ込んでいるのに、見知らぬ土地に来てその土地のしきたりがわからずに失敗し、社会に混乱を招くことがあります。同じように、帰化生物も侵入してから時間がたつと、天敵が現れ、餌生物も食べられないよう工夫し、たくましい競争相手が現れて追い出されるか、少なくとも猛威を振るわなくなります。次のスライドをお願いします。

16 イタドリ

これは日本の富士山の麓に咲くイタドリという花です。イギリスに侵入してヒースロー空港の周りにも生えているそうですが、日本に生えているより高く、3メートルにもなるそうです。このように、ふる里の環境とは別の環境で形を変えて生きている生き物もいます。人工的に種を保全することができる例もあります。たとえば、野生では山の谷間の湿地に生えている植物が、似たような環境に移植してもなかなかうまく育たないのに、ふつうの庭に植えれば育つことがあります。ではなぜ野生でも乾燥した場所に生えていないかと言えば、乾燥した場所に強い別の種に負けて生きていけないためと言われています。庭は人間が手入れして他の木が入れませんから、他の種にやられる心配がないのです。

つまり、人間が意図するしないに関係なく、元々生きていた環境に似た場所では育ちにくく、違う環境で元気に育つ場合があるのです。生物を絶滅から守る場合にも、違う環境で生き延びさせることができるかもしれません。しかし、それでは先ほどの漫画と同じことです。野生状態と異なる環境で生き延びることは、野生生物を保全するという生物多様性条約の趣旨とは異なります。単に種を保全するだけでなく、その種が生きている環境を保全することがたいせつです。このように、環境を守りながら開発を進めるには、難しい問題がつきものです。しかし、だからこそやりがいのあることとも言えます。次のスライドをお願いします。

17 3つの制限

私たち人間は、増えすぎました。他の多くの生物に迷惑をかけなくては生きていけません。このまま人口が増え、経済成長を続け、二酸化炭素濃度が増え続ければ、地球生態系と人間自身に深刻な悪影響を及ぼすことは明らかです。

そのために必要なことは、量の拡大から質の向上に、開発の重点を移すことだと思います。よく、人口増加の抑制と二酸化炭素総排出量の制限が指摘されます。私は、もう一つ大切なことがあると思います。それは一人当たり平均カロリー摂取量の制限です。私たち先進国の人間は、明らかに食べ過ぎです。その結果、自分の健康を損なっています。そして、農業による食糧増産はすでに限界を超え、農地は痩せ、漁業の乱獲も深刻です。次のスライドをお願いします。

18 GNPと栄養

これは、一人当たりのGNPと栄養摂取量を国別に比べたものです。これが日本で、これがフランスです。日本は、一人当たりGNPがきわめて高い国でありながら、栄養摂取量はたいへん低いのです。次のスライドをお願いします。

19 栄養と寿命

今度は栄養摂取量と平均寿命の関係です。日本はここで、フランスはここです。因果関係は明らかではありませんが、数字の上では、日本人のカロリー摂取量は西欧のどの国よりもずっと低く、そして世界一の長寿国です。カロリー摂取量を抑えることは十分可能であり、しかも先進国の人々の健康にもよいことだと思います。低カロリーでも、工夫すれば食事は楽しむことができます。次のスライドをお願いします。

20 共生の世紀

私は、21世紀を「共生の世紀」と呼んでいます。今世紀が競争、使い捨て、画一化の世紀だったとすれば、来世紀は共生、持続可能性、多様性の世紀にしなくてはなりません。それは開発そのものをやめろということではありません。環境に与える打撃をゼロにできるわけでもありません。環境や野生生物に与える打撃をできるだけ抑え、むしろ今まで使っていない資源を有効に利用することが求められているはずです。

繰り返しますが、けっして開発をやめろと言うのではありません。人間社会には規則があります。量の拡大を制限しても、一人一人の生活は豊かになります。規則を作ることと、自由競争は矛盾しません。そして、それは助け合うことの尊さとも矛盾しません。21世紀にはそれらのことを忘れてはならないと思います。このことを申し上げて、私の話を終わります。ご静聴ありがとうございました。