書評、紹介記事
毎日新聞1996年1月11日西部本社夕刊3版4, 5面
朝日新聞1996年1月31日西部本社版朝刊第三地方版25面
jeconet(生態学関連の電子投書欄Mailing list)No. 771, 1996年2月8日粕谷英一氏
目次とまえがき(一部)
目次
「共生の世紀」へ −まえがきにかえて−
二〇世紀の諸問題
二一世紀は「共生の世紀」である
本書の構成
第1章 共生とは何か
1 生き物は独りでは生きていけない
2 生まれと育ちが違う者同士が一緒にいきる
3 三つの種間関係
4 子だくさんが良いとは限らない
5 運と実力と自然淘汰
6 利己的な遺伝子
7 一方が特をして他方が損をする搾取関係
8 互いに迷惑をかけあう競争関係
9 双方得をする双利関係
第2章 生物の共生関係
1 さまざまな共生関係
2 掃除共生
3 消化共生
4 生かさぬように殺さぬように
5 共生が崩れるとき(日和見感染症)
6 宿主を操るウィルス
7 北風と太陽
8 住み場所を巡る寄生関係
9 花と虫の微妙な関係
10 細胞内共生
11 染色体内共生
12 同床異夢か、一心同体か
第3章 自然淘汰は両刃の剣である
1 共存の力学
2 近親憎悪
3 生物はニッチを求めて進化する
4 ニッチがニッチを作る
5 多様性と安定性の逆理
6 富有化の逆理
7 殺虫剤の逆理
8 「分別ある」捕食者
9 外圧が繁栄をもたらす
第4章 ガイア仮説を超えて −地球共生系の本当の姿−
1 ガイア仮説と地球共生系仮説
2 身代わり共生
3 生態系の間接効果
4 捕食者どうしの双利関係
5 物質循環と動的平衡
6 地球共生系の構成要素
7 統制のとれた制御系
8 ガイア仮説と利己的な遺伝子
9 臆病者のの自滅
第5章 持続可能な共生社会
1 資源の危機
2 最大持続収穫量
3 乱獲の理由(1)経済成長
4 乱獲の理由(2)共有地の悲劇
5 サバやイワシの大変動
6 持続可能なマサバ漁業
7 漁業を国有化しよう!
8 魚種交替と三すくみ説
9 自然の摂理に即した「共生の社会」を作ろう
10 なぜ生態系を保全するのか?
第6章 個人主義と自由競争がもたらす共生の世紀
1 利己的な遺伝子と非協力ゲーム
2 非協力ゲームと「囚人の板挟み」
3 非協力ゲームがもたらす生物の双利関係
4 「競争」と「自由競争」
5 共生という名の搾取
6 つきあいを長続きさせること
7 自分の価値基準を正直に示し、理解しあう
8 自分の挙動を予め相手に伝える
9 ささやかな罰則と報奨
10 漁場使用料の課税は漁業を育てる
11 高校生にゲーム理論を教えよう!
12 調停者としての政府の役割
まえがき(一部)
・・・一方で、競争万能の考え方には反省の声も聞かれる。とかく日本が外国から談合、根回し、主体性のなさ、規制の多さなどで不公平な社会と言われる反面、それこそが日本経済が発展した要因と評価する人々もいるようである。そして、共生という言葉がたいへん響きの良い言葉として注目され始めている。不思議なことに、支配者の側にも弱者の側にも「共生」という言葉はよく用いられる。それはなぜか?両者が用いる「共生」という言葉は果たして同じものなのか?その答えは、生態学で「共生」がどのように使われているかを知ることによって明らかになる。それを解き明かすことが本書の第一の主題である。・・・
しかし、来るべき「共生の世紀」は単に競争を否定して成り立つものではない。これはきわめて重要なことなのだが、自由競争と共生は全く矛盾しないというのが、この本の結論である。味方といえども常に利害が一致するとは限らない。共生関係は互いに利害が対立することもある微妙な均衡の上になりたっている。共生という概念が現在世間でこれほど注目されているのには、それなりの理由と時代の要請があるからに違いない。それは競争社会の見直しである。少なくとも、「共生」という概念に期待を寄せる多くの人々が今の時代にいるのは確かである。そこで、「競争」の生態学における対立概念である「共生」が注目され始めたのではないか。もしそれが本当なら、競争と自由競争は全く別ものだというところから説明を始める必要がある。互いに創意と工夫を懲らして自己の利益を追求することと、相手を押し退けあうことは全く別のことであり、むしろ相手と共生することで自己の利益を追い求められる場合があることを悟るべきである。そして、生態学における共生関係の議論を理解することによって、よい考えを生む契機になると私は期待している。・・・
ここではっきりさせておく必要がある。共生と搾取は初めから矛盾していない。少なくとも生態学でいう広義の共生関係には、双利共生関係だけでなく寄生関係も含まれている。共生への模索とは、あるいはすぐに相手を殺して食べる捕食関係を改め、相手を生かしながら搾取する寄生関係に改めるというだけの意味かもしれない。だから上のような政治問題に「共生」という言葉を用いる場合には、真に双利的な関係を作ろうという意味だけでなく、より巧妙に相手を利用しようという場合も含まれている。一九九五年、沖縄の米軍基地と住民の「共生」を主張して首相を批判し、辞任に追い込まれた宝珠山防衛施設庁長官の言葉は、その好例である。・・・
「共生の世紀」は個人主義の上に成り立つものでなければいけない。共生とは、敵も味方もすべて自分とは独立した主体であり、しかも互いの生殺与奪に深く影響を与える相手として理解するという思想である。・・・
もう一つ忘れてはならない点は、本書で説明する共生とは近代西洋合理主義の思想から生まれた概念であり、その否定の上に成り立つ概念ではない、ということである。共生とは、個々人の利害が完全には一致しないということを認めあった上で、互いにそれぞれの利益追求の自由を認めた上でなりたつ関係である。それが納得いかない方にこそ、本書を読んでいただきたい。・・・
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