庄 田 様、wildlifeの皆さま
お返事ありがとうございました。
|*私 個人はそのとおりだと思います。単純な答えですが、飼い犬の登録も確立して
|いない国内において野生動物がなぜ?管理調整できると思っているのか
管理というのは、すべてを把握するという意味ではありません。野生生物を管理できないというならば、漁業の乱獲をやめろということもできません。農業も林業も、自然を不完全に制御し、利用していることに違いありません。私たちが生きている限り、そのすべてを放棄することはできません。
|四足には自治体などの境界は存在しないし「野生は本能のまま行動する物」。
鹿は確かに海を渡れるようですが、北海道は自治体が管理計画を作るべきです。野生の本能を研究するのが生態学です。皆さんも、他人が感情的に振る舞ったとき、相手の事情を理解し、うまくつきあう方法を考えると思います。本能だから管理できないわけではありません。むしろ狡猾な理性の方がつきあうづらい(アクセルロッド著「つきあい方の科学」松田訳、ミネルヴァ書房参照)。
やはり管理という語感が悪いのでしょうか。昔中日ドラゴンズの近藤貞雄監督は、自分は広岡監督のような鵜匠でなく、鷹匠である。選手に自由にやらせる。ときどき戻ってこない鷹もいるなどと言っていましたが、彼も「監督」だった。
|2001年を目前にして科
|学の発展を野生動物に当てはめると言うことは一般理念上どうかと思います。
私は以前から生態学が未熟であることを認めていましたが、それを発展させるのではなく、科学を放棄すべきだとお考えでしたら、私とは意見が違います。拙著「死の科学」(品川・松田、光文社、1990)で論じたとおり、科学にも答えられない限界があります。たしかに現在、科学よりもオカルトに真実味を感じる人が増えているようです。科学者自身に反省すべき点が多くあると思います(例:煙に巻いてはいけない)が、科学を否定するのは、少なくとも21世紀の主流にはならないと思います。
|*目から鱗を落とすのが科学者なら涙を流すのは地元の農家と「命乞いをするシカや
|野生動物」が本音でしょうね。
矛盾することとは思いません。少なくとも私は、「高質」個体と「低質」個体を差別することで、命の貴賤をつけたいとは思いません。
|*始めてのアクセスで申し明けありませんが自然界を科学
|の力でコントロールすることは、私を含む道民の心に傷をつける結果になると思います。
今まで、行政側は自らの政策に「失敗の恐れ」があることを認めないのが基本でした。少しずつ、「現状理解が不完全であること」、「政策に失敗する恐れriskがあること」を認め、どの程度の限界があるかを明らかにし、市民との対話の中で最も合理的な政策を選ぶという考え方(risk
communicationを私はそう理解し、「危険性の周知」と訳しています)が生まれつつあります。米国生態学会の生態系管理についての報告書(Christensenら1996)にも、同様のことがかかれています。この問題で、誰も傷つかない解決策はありません。その中で、現実的に何ができるかを話し合う必要があります。
科学も少しは変わりつつあります。少し前までは、「証明されていないことは認めない」のが科学者の良識でした。どんなに事態が深刻でも、科学者は平然とできていたか、あるいは科学の枠を超えて一市民として動くしかなかった。しかしそれでは現実の環境問題に答えられない。そこで実証されていない危険riskをできるだけ科学的に扱うように変わりつつあります。risk、accountabilityという言葉が日常用語として急に流布しだしたのは、科学自身が変わっていることを反映していると私は思います。今回の管理計画などで、adaptability(状況変化に対応して方策を変える順応性)という単語も日常用語に加わることが、私の願いです。
|キーボードやディスプレーの世界から離れるのも良いと思います。
仰せの通りです。私は、すぐに皆さんに返信できない日をもっと増やすべきです。
|30万頭ごめん
そうでしたか。しかし、否定できたわけではありません。私が一番心配しているのは、実はすでに増えすぎて「11万頭捕殺」ではとても足りないという事態です。そのときは、北海道全土の自然植生が洞爺湖中島のようになる恐れがあると言っても言い過ぎではないでしょう。科学者もハンターにお願いし、それでも無理ならより効果的な手段に頼るか、大雪を待ち望むしかないという情けない事態です。少なくとも、現場で猟をされていて、管理計画に反対されている庄田さんが道東30万頭説に真実みを感じられているということは、はっきりいってショックでした。
|・・・説明責任accountabilityを備えて進める方法が、フィードバック管理計画で
|す。*完成すればすばらしい事ですが
励ましのお言葉、ありがとうございました。より総合的な視点から明快に説明できるよう、努めたいと思います。
[wildlife 840] 道東エゾシカ30万頭説?
wildlifeの皆さま、Hiroshi shouda様
東大海洋研の松田裕之です。
Sさん[wildlife 837]の投書にあった
|北海道が実施したエゾシカの保護管理計画は00猟友会の協力を経て被害を未然に|防止し、平成10年度発表、平成5年度〜8年度までの集計として142、942頭捕獲|の数になり当初発表した道東方面のエゾシカ30万頭説が確実な数字となりました。|ということを内外で発表されると思います。
というご指摘ですが、道東方面のエゾシカ30万頭説というのは、私は初耳です。根拠を教えてください。1994年3月時点での12万+-4万というのは(その後、たくさん捕まえているのに目立って減っていないらしいという状況判断から)過小評価ではないかという議論があるのは知っています。私たちもそれを視野に入れ、かつ獲りすぎることのないように緊急減少措置の目標捕獲頭数と実施年数を考えています。
鹿が本当に多いとすれば、緊急減少措置を宣言しなかったなら、鹿が増えすぎて狩猟ではとても追いつけない事態になっていたかもしれません。借金の利子は早いうちに本気で返さないと返済能力を超えて膨らみ、破産するのと同じです。
しかし、もしも30万頭いるとなると、自然増加率が(保護措置中に)年15%と仮定すると4.5万頭になり、1996年の北海道の全駆除頭数に匹敵します。このうち道東ではせいぜい3万数千頭と考えられ、鹿が今なお増え続けている恐れがあります。20万頭なら15%が3万頭で、減らすためにはこの辺がぎりぎりの線です。(ただし、雌を多く獲らないと減りません)なぜ4年間で14万頭(北海道全体)獲ったから30万頭説が現実なのですか?この期間中の道東だけの捕獲頭数は約11万頭のはずです。捕獲頭数が個体数と増加率の積より多ければ、つまり増えた分より多く獲れば減っていくはずです。
フィードバック管理計画は単純でとても信用できないという意見が北海道自然保護協会のシンポで出たそうですが( [wildlife 785]平田剛士さん)、私にとって単純明快というのはほめ言葉です。もちろん、この計画は北海道の研究者の膨大な調査と研究の蓄積を踏まえています。しかし結論までややこしくてはいけません。目から鱗を落とすのが科学者の役割だと考えています。単純だが状況に応じて捕獲数を変え続け、間違いを修正する説明責任accountabilityを備えて進める方法が、フィードバック管理計画です。(詳しくは北米のadaptive
managementのホーム頁をご覧くださいhttp://www.for.gov.bc.ca/hfp/amhome/AMDEFS.HTM)複雑な計算をして膨大な報告書を書き、煙に巻く科学者を市民の側が望まれるのでしょうか。(先日、判決主文をはじめに読み上げない裁判官がいたと報道されましたが、被告は自分の判決が何かを知るためにずっと難しい判決文を聞いていてどう感じたのでしょうか)
個体数管理には捕獲頭数と個体数指数の調査が重要ですが、どこで獲るかもたいせつです。可猟区の決め方については梶ら(哺乳類学会誌投稿中)で説明しています。可猟区ごとの捕獲圧の決め方が今後の鹿の分布にどう影響するかについては、まだ定量的に予測を立てられる段階ではありません。21日には行動学会ラウンドテーブル(農工大)で話をします。興味ある方は下記のホーム頁の案内をご覧ください。
松田 裕之 (東大・海洋研)密集地で駆除すべきか、周辺で駆除すべきか:シカの猟師回避行動と管理計画
http://www.tuat.ac.jp/~ethology/JEC98/
http://www.tuat.ac.jp/~ethology/JEC98/r1/
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松田裕之
1998.11.9 *Wildlife−MLへの投書 エゾシカ管理計画について
Date: Mon, 9 Nov 1998 11:30:48 +0900
wildlifeのみなさま【ある方への返信の形ですが、私自身の意見のみ紹介します】
東大海洋研の松田裕之です。先週後半不在で、お返事が遅れました。
【】現在行われようとしているエゾシカ保護管理計画に関連する諸点ついて、私個人の意見を申しあげます。これは北海道の行政側の意見ではありません。特に以下の「私が賛成する諸点」について、行政側にもご検討いただきたいと思います。少し長いので、ご迷惑をおかけします。
まず、賛成する点からお答えします。
1.処理の方法が明確ではない。→死体を放置するような「処理」はいけません。ご指摘どおり、捕獲個体の望ましい処理方法について検討すべきです。それには猟師の努力だけでなく、一次処理施設などの体制づくりもたいせつです。欧州での処理の実態と体制については、北海道農政部『エゾシカの有効利用』(1998)が参考になると思います。
5.処分個体の有効利用がされていない。→全く同感です。私は地元の学校給食で鹿肉を出すように主張しているのですが、実現していません。しかし、有効利用は保護管理計画にもうたわれており、行政側もいろいろな手段を検討していると思います。
6.鉛害等の二次的汚染が発生する事と、これらの事が問題視されてはいても放置されているかのような事が発生すること。→これはゆゆしき事態です。すぐに完全な対策ができないのもわかりますが、対策は早いほどよいと思います。薬害エイズ問題で非加熱製剤の危険性が知られてきたとき、早急に対策をとらなかったのと同じく、抜本的対策が先送りされれば大きな禍根を残すでしょう。説明責任accountabilityとは、新たな事実が判明したときにそれを組み入れた行政措置を採ることです。
7.(前略)・・・他の生き物に関連していく波及効果とその結果等について調査したり管理したりの機能するものが無いし、結果として還元も無いこと。→この点について、まだ管理計画に具体的に盛り込めないのは私たち生態学者の責任です。エゾシカ大発生や保護管理政策の波及効果を予測することは大変難しいことです(間接効果の非決定性、詳しくは生態系管理指針の紹介をしたhttp://www2.ori.u-tokyo.ac.jp/~matsuda/kankyo/ESAreport.htmlの第4節参照)。しかし、検討していないわけではありません。皆さんのご批判に少しでも答えられるようにしたいと思います。鹿の大発生が他の生き物に与える影響については【】認められていると思います。
8.移入種個体関連に対する洗い出しや除外管理機能がない。→北海道で問題のアライグマについては、先月の日本哺乳類学会でも根絶の必要性を訴え、関係者が計画を準備し始めています。【】ご指摘に早く答えられるよう、研究者も行政も力を尽くすべきだと思います。
14.エゾシカ等野生生物に起因する諸問題に対する防除態勢の整備の不足。→ご指摘の通りです。早急に総合的な野生生物保護管理計画の体制作りが必要です。私が理解する限り、現行の鳥獣保護法には鳥獣が生態系に及ぼす影響そのものが想定されていません。強いて言えば、生活環境の改善と言うことでしょうか。
*鳥獣保護及び狩猟に関する法律 第1条(目的) 本法は鳥獣保護事業を実施し及狩猟を適正化することに依り鳥獣の保護はん殖、有害鳥獣の駆除及危険の予防を図り以て生活環境の改善及農林水産業の振興に資することを目的とす。(原文は漢字とカタカナ。一部漢字を仮名書き)
次に、私が同意できない点について私見を述べます。
2.狩猟圧の増減を個体数調節の増減に利用している事。→個体数調節の手段として狩猟を利用する以上に、狩猟圧の増減が問題とは思いません。一定の狩猟圧では、個体数は増え続けるか、減り続けてしまいます。
3.一般の人達の目にふれない所と言いますか、知り得る事が難しい所で殺処分が行われる事。→鹿捕殺という事実を隠しているわけではありません。ご指摘の意図がよくわかりませんが、以下のような問題とすれば私も同感です。私たちが普段食べる食肉も人目に触れないところで殺され、食べる人のほとんどはその家畜が生きているときの姿を知りません。これはよくないことだと私は思います(松田『「共生」とは何か』現代書館190頁)。この点については、鹿捕殺よりもずっと大きな問題が家畜と食肉についてあるはずです。
4.高質個体、低質個体の選出がされないままの調節である点。→これは角の立派な雄を残せということでしょうか?私個人の意見としては、立派な角は性淘汰により進化したもので、人間が育種学的に守るべきものではないと思います。しかし、海外ではそのような管理の例もあるようで、狩猟による捕獲の是非とは矛盾しません。
9.処分個体の全てからの諸データの取り出しが行われていない。→現在、北海道では毎年数万頭ずつ捕獲される鹿の年齢査定を含む膨大な基礎データを集めています。私はその作業から得られた解析結果を利用する身ですが、解析に要する労力と桁違いの人手不足には頭が下がる思いです。漁業の漁獲物に比べて回収率は格段に高く、信頼に足る情報が集められています。行政側も財政難の中で人員と予算確保に破格の努力をされていると思いますが、より一層の人手を確保できるよう、皆さんも世論を動かしていただきたいと思います。
10.諸データが無いために研究が進まない事や情報還元が無いこと。→エゾシカに関して情報還元がないというのは心外です。少なくとも、今まで私が得た鹿に関する情報で部外秘のものはありませんし、要求して隠された情報もありません。これはきわめて画期的なことです。また、自然のことは調べれば何でもわかると思っていらっしゃるとすれば、それは大きな間違いです。たしかに調査員をもっと増やせば情報は増えるでしょうが、その人件費は誰が出すのですか。それこそ、農業生産額より多くしても、わからないことはかなり残るでしょう。たとえ現存個体数と各個体の体調と生態系の状況がすべてわかっても、翌年の気象がわからなければかなりの不確実性が残ります。標本が多いほど研究が進むというものではありません。処理に追われて
じっくり考える時間がなくなってはいけません。
11.処分個体から得られる諸データの取り出しが無いための研究推進に与える損失。→繰り返しになりますが、これは事実の誤認と研究への誤解です。
12.ハンターや一般の人々に与える精神的汚染(例えば、捕獲可能数量増加で喜んでるハンターが大勢いたとしても、それが健全かは別の事等)→鹿が増えること自身は、とてもよいことだと私は思っています。有効利用すべきだという点は全く同感です。
13.被害にあっている農林業の人々も捕獲作業に参加する義務があるのでは。→義務というのは理解できませんが、捕獲作業の多くは地元の猟師が行っていると聞いています。
15.被害意識の精神的改革が進みそうにない事。→今回の管理計画では、被害を0には出来ない管理計画です。にもかかわらず、被害者にそれなりに納得していただいているというのはありがたいことだと思います。鹿がこれほど増えるまで保護し続けてたのですから、被害意識が高まったのは当然だと思います。
16.捕獲時に保護管理行政の直接の関係者や研究者の立ち会いがないこと。(後略)→立ち会いには数百人規模以上の人手が必要で、非現実的でしょう。しかし、行政担当者がここまで信用されていることは、北海道にとって名誉なことだと思います。
17.捕獲時に学生を動員する事が出来れば野生生物に関わる教育の場等が出来、自然系の必修科目に組み入れる事も必要かもしれない。→狩猟に立ち会うのではありませんが、生け捕りを含めた調査には多くの学生が加わり、次代を担う人材が育ちつつあると思います。必修科目とすることには反対です。大学の必修科目は少ない方が良いというのが私の教育理念です。高い学費を払っている学生をただで動員しようと言う不満がでるでしょう。
18.捕獲時に一般の人々も参加出来るようにして保護管理の内容を全てオープンな中で行う必要性。(一般の人々の関心を高める)→狩猟区の中に一般の人が多数入るのはたいへん危険です。保護管理の内容については直接対話を重ねるとともに、テレビ報道などを通じて関心を高めるべきでしょう。
19.大掛かりなプロジェクトであるのにここから得られる事柄を粗雑に扱いすぎてもったいない事と思う。→少なくとも私たちは、粗雑に扱っているつもりはありません。日本と世界の環境政策全体を変える気概を持って取り組んでいます。
【】
21.将来に向かって銃を使用しない捕獲技術の確立の必要性。→銃より網の方が望ましいとは思いません。(後述)
22.捕獲報告数量に不明朗な事が入り込む。→かなり正確な数値がでていると思います。しかし、フィードバック管理を行う上で、今後の個体数指数として農林業被害額や狩猟者の1日あたり目撃・捕獲頭数(CPUE=catch
per unit effort)よりも、ライトセンサス(目視調査)の情報を優先したのは、嘘の報告が政策に影響するような恐れを除くためです。被害額とCPUEは現状把握の上で重要で、しかも被害者、猟師と行政側の信頼関係を育てる上でも有効です。
23.自然からの恵みの無駄使い。→エゾシカの有効利用は食肉などの経済的利用だけでなく、鹿が住む自然の恵み全体を評価すべきです。草地と森の面積比率が変わり、鹿が増えてしまったのだとすれば、草地と森の比率を是正すべきでしょう。そのためにはかなり大きな政策転換が要ります。そして、それは実現すべきです。
私は現行の管理計画に反対する方に対案を示していただくようお願いしましたが、【今回いただいた対案】は、銃で獲らずに網で獲れと言うことのようです。これも個体数管理の一つであり、大きな違いではありません。また、上記のほとんどの問題点は、これとは無関係だと思います。
では銃と網とどちらがよいかですが、網を用意して勢子が追って鹿を一網打尽にするというのは、北海道の広さでは難しいと思います。また、水産の世界では、網は必ずしもよい漁具ではないと私は考えています。イワシを獲るには合理的ですが、鯛など高級魚の水産資源管理は漁業よりも遊漁に頼る方が合理的だと私は思います。漁業者が網で魚を獲る場合、成魚も稚魚も、多い魚種も減った魚種も一網打尽に獲ってしまう傾向があります。未成魚を市場に揚げることを禁じても、獲った後で死んだ魚を海に捨てます。それに対して遊漁は大きな魚を狙い、不要な魚を釣ってもだいたい生きて海に放すことができます。
棲息数調査、捕獲数と予測数の関連性の把握、捕獲個体からのデータ抽出はすでにやられています。詳細な植生調査と鹿分布の関連についても、北海道の研究者たちは膨大な情報を集めています。「山に返すべき個体は早急に返す」というのは熊のことで、増えすぎた鹿には当てはまりません。
私の方では、【】かなり一致する点もあるように感じました。気合いの入ったご意見、ありがとうございました。
1998.1.1
1998 謹賀新年
東京大学海洋研究所の松田裕之です。
旧年中は大変お世話になりました。東京に戻ってあっという間に1年余が過ぎました。昨年は、環境庁が8月末に植物レッドリストを発表しました。絶滅の恐れを定量的に評価することを試みました。九州大学の矢原徹一教授らと絶滅確率を評価するプログラムを考案し、私のホーム頁で公表しました。レッドリスト自身も環境庁のホーム頁で公表されています。
北海道が増えすぎたエゾシカの保護管理計画を策定するのに協力してfeedback管理手法を提案し、12/1に「道東地域エゾシカ保護管理計画骨子」が発表されました。北海道新聞などで「メスジカ6万頭駆除」などと見出しが出たと聞いて、数字を出すことの威力と恐ろしさを改めて感じました。この計画は私のホーム頁で紹介していましたが、北海道釧路支庁が公表直後にhttp://www.marimo.or.jp/Kushiro_shichou/ezosika/plan.htmlで骨子を公表したのはすばらしかった。これこそ将来への情報公開の模範と感じました。
2005年国際博覧会が愛知県瀬戸市に誘致されました。誘致決定前から環境影響評価手法を考える委員会に参加して「国際博覧会に係る環境影響評価のあり方」という文書をまとめ、ホーム頁に公表しました。現在も環境影響評価手法検討委員になり、年度末までアセスメント手法について考えていくつもりです。
今年も、数理生態学の研究に努め、具体的な問題に関わりつづけていく所存です。ご指導よろしくお願い申し上げます。
略儀ながら、電子書簡にて失礼いたします。
1998年1月