2004年のメッセージ 松田裕之 

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12/24 横国大COE「生物生態環境リスクマネジメント」外部評価会 (スライド)
12/9 新プロシンポ(日本科学未来館お台場9日1720-1740) (スライド)
12.10ウイルスバスターのパスワードについて
12.7 トキは野生絶滅か?
12.3 Re: 取材のお願いです(日経エコロジー)
11.14 宗谷岬風力発電
11.9 オニヒトデ 順応的駆除計画
11.7 ジェンダーに関するメモ
11.6 海洋研予防原則・順応的管理シンポ
11.2 異分野交流フォーラム のお誘い
10.29 スイッチング捕食と天敵特異的防御がもたらす食物網構造と群集動態
10.28 大台ケ原シンポ「シカと森の「今」をたしかめる」(スライド
10.23 東アジア生態学会連合第1回大会 (Mokpo=発表スライド
10.21 2005年日本数理生物学会年会 実行委員会のお誘い
10.20 PICES北太平洋海洋科学機構会議(Honolulu)(発表スライド
10.20 CITES附属書掲載基準改訂の審議結果
10.19 熊森協会へのドングリ輸送中止の要望
10.19 書評「松田裕之(2004) 中西準子「環境リスク学−不安の海の羅針盤」, エコノミスト10月19日号
10.16 エゾシカ管理の問題点とは
10.14 知床世界遺産候補地管理計画科学委員会での私のコメント
9.12 科学万能論の反省と生態リスクの順応的管理−北大文ワークショップ「予防原則は〈使える〉か」
9.7 アダプティヴ・マメジメントは何でもあり?
8.26 生態学会シンポジウムL1「日本生態学会のめざすところ」 松田
8.26 S3: Ecosystem managementとしてのシカ管理 全種保全を考慮した食物網からの最大持続収穫高(ppt工事中)
7.24 目から鱗を落とすBSEの本 書評池田正行(2002)『食のリスクを問いなおす』(筑摩書房)
7.21 テレビ取材について
6.12 遺伝子操作農作物の安全性と日本の農業政策について
6.11 書評 岡本裕一朗(2002)『異議あり!生命・環境倫理学』(ナカニシヤ出版)
5.23 ゼロリスクを否定した環境倫理学者
5.4 Vancouver 世界水産学会議「最大持続収穫量理論と悲観的な漁業予測に別れを告げられるか?」
4.25 NHK BS Debate Hour 「どう守る 海から消える魚」
4.23 横浜国大環境生態学セミナーのお知らせ
4.16 環境影響評価書は,なぜあんなに分厚いのか?
4.11 生物地理学会ミニシンポジウム講演
4.10 数理モデル勉強会
4.2 水産学会大会一般講演「多魚種系から得られた最大持続漁獲高と多種共存条件 」
3.18 米科学雑誌に論文掲載禁止国の制定
3.12 国際捕鯨委員会科学委員会議長などへの電子書簡 Subject: US scientific publication ban
3.10 自然再生・生態系管理の30原則(案)
2.2 理科教室拙稿「生態系保全のための十の戒め」関連資料
2.1 生態学会関東地区会シンポジウム「生物多様性を評価する:リスクで測る」
1.27 岡崎第1回シンポジウム「絶滅の生物学」ポスター要旨
1.5 理系と文系の文献引用の差、業績評価基準の差
1.4 書評 SAレヴィン「持続不可能性」, 北海道新聞1月4日17面
2004.1.1 謹賀新年


12.7 トキは野生絶滅か?

○○さん

私はIUCNの評価の計算の部分はやりますが,種と見るか別種と見るか
は分類学者の仕事で、私の専門とは言えません. それをお断りして,
私見を述べます.

|@トキは「絶滅」か「野生絶滅」か
日本産のトキは絶滅したと思っていました.同種だから絶滅でないとし
て,その場合に野生絶滅とはいえません.中国は全個体捕獲しました
か?もし同種とみなすなら,(中国に野生がいるなら)野生絶滅でもな
いでしょう.同種(同一亜種)なら地域個体群の絶滅です.今飼育して
いる中国産のトキは,日本の個体群ではありませんから.

|A中国由来のトキを野生復帰させることをどう考えるのか
 本当に日本産がいないなら,交雑の悪影響はないでしょう.(とい
うか,最後は交雑を望んでいたはず)
 「中国産の朱鷺を放鳥するのは別な意味がある」という意見に賛成
です。私個人は「なぜここまでトキにこだわるのか」という思いがあ
りますが,それは社会の意思決定の問題だと思います.

以上,的外れかもしれませんが、私の感想です.


12.10ウイルスバスターのパスワードについて

松田です

下記の情報ありがとうございました.おかげさまで,自分の心当たりのパスワード
をいれたら,削除できました.

その後,再導入していただいたシリアル番号を入れ,製品版を導入できました.
オンライン登録までしましたが,パスワードを入れる機会がありません.いったい
どこでパスワードを認識したのか,わかりませんでした.

 OS再導入しなければ削除できないなら,ウイルスと変わりません.ウイルスバス
ターを駆除するソフトが必要です.
いずれにしても,無防備状態は克服されました.ありがとうございました.

|お役に立てず申し訳ございません。今後ともご協力の程、宜しくお願い申し上げ
|ます。
|
|なお、既にご存知かもしれませんが、トレンドマイクロでは、パスワードを忘れ
|た場合、OSの再インストールをするように指示しているようです。
|http://www.trendmicro.co.jp/esolution/solutionDetail.asp?solutionID=10066


12.3 取材のお願いです(日経エコロジー)
編集委員 ○○さま

資料送ります.右利きの話は下記か
http://ecorisk.ynu.ac.jp/matsuda/2004/041129Kyoto.ppt
海洋研サイトをご覧ください
なお,事前に用意した回答案を紹介します(このとおりには答えていませんが、ご参考まで)

・ 未記載種も含めて生物多様性の喪失は深刻といえるか?
 未記載種の率は分類群による.哺乳類などでは未記載種は(分類学的論争を除いて)それほど多くないだろう.哺乳類などでも絶滅危惧種の比率は高い.また,個体数が激減している種数は,増えている種数よりずっと多いはずである.
・地球史上の5度の大量絶滅に比べて,今回の大量絶滅は深刻なのか
 そんなことはないだろう.さらに,先カンブリア紀の全球凍結に比べれば人間の悪行は全生命の絶滅の危機をもたらすほどには(たとえ全面核戦争がおきても)たいしたことはない.しかし,縄文海進などに比べて取るに足らないとはいえないかもしれないし,昔の負荷と今の負荷を単純に比較するのは無意味.
 人類の破滅や存続と,個人個人の幸せ,後世の人々に自然の恵みを残すことは別次元の問題だ.これらを区別すべきだ.今では,社会は後者を重視して環境政策を議論しているはずだ.
・絶滅危惧種の指定根拠は?
 私や日本の植物RDB編纂の担当者だった矢原徹一氏,アメリカのサメ学者のJachMusick氏,トロントの海亀学者のN.Mrosovsky氏は,大いに異論を唱えた.現在の基準は,あきらかに絶滅のおそれが逼迫していない種もリストに載せている.その点では専門家は一致しているが,それでよいとする人が多数派だ.いずれ見直されると信じている.
・絶滅危惧種に指定されて数が多い種は?
たくさんある. ミナミマグロ と ヤクシマザル をあげておく.これらは数がわからないのではなく,多いことがわかっている種だ.
・自然変動によって激減している主でも,人間が対策を採るべきか 少なくとも,自然変動によって激減している種を取ることを止めろという意味で,対策は採るべきだ
・保護しすぎている生物もいるか
 クジラが保護しすぎているかは価値観の問題だ.科学的には持続的に利用できるし,ミンククジラは絶滅危惧種には指定されていない(CITESでは絶滅危惧種の肉が紛れ込むことを避けるとして,鯨類一括して附属書掲載).
・遺伝子レベルでは保護すべき種とそうでない種がいるという
 遺伝子生物学という学問自身が価値を論じるとは初耳だ.生態学では乱獲すればどうなるとか,全面禁漁すればどうなるという考察をするが,そのどちらがよいかは人の価値観の問題だと考えている.しいていえば,価値判断の基準科学的に吟味することは科学の課題だろう.どんな価値基準に基づいているのか,前提無しに議論はできない. たとえば生態学では,その生物集団の子孫の存続にとって価値の高い
年齢とそうでない年齢がある.だからといって人間を含めた生物の貴賎を年齢によって判断できるとは言えない.
・開発にしろ外来種移入にしろ,何かすれば悪影響を与えるように見える.よいことはないのか?
 人間は自然環境に寄生している.細かいことを除けば,全体としては負荷をかけていると思う.人がいたほうがよい自然要素を探すことは簡単だが,あまり意味があるとは思えない.寄生を持続可能にすることが,後世の人々に自然の恵みを残すことができるだろうということだ.

・企業のかたがたに注意してもらいたいこと
 社会を支える責任と,自然を持続可能性に対する責任を感じていただきたい.学者は象牙の塔にこもって役に立たないことをやる職業だが,私から見て,社会を引っ掻き回して金儲けだけして去っていく企業や産業がよくある.特に,地方や途上国を補助金付けにして自給自足経済を壊してしまうと,麻薬と同じで,永久に自然を壊し続けるようになる. あと,昔乱獲し続けた捕鯨産業が捕鯨できなくなるとあっさりとスポーツチームの名前から鯨を消し,撤退するようなことは止めてほしい. 時代が変われば守るべき基準も変わる.今の基準で昔を律しても仕方がない.けれども,過去の所業を見据えて継続性のあるビジネスを進めてほしい.それには長期展望が必要だ.夢を語れない企業はつまらない.


11.14 宗谷岬風力発電

松田裕之です. 

 猛禽類研究者などから風発に批判があることは,その後 ○○を訪問したとき
もうかがいました.衝突の死亡個体数にもよりますが,直ちに希少猛禽類に多大な影
響を及ぼすとは思いません.むしろ,風発自身の費用対効果,CO2排出削減効果(ある
いは化石燃料枯渇遅延効果)に期待し,より合理的な火力発電量の制御ができるよう
期待しています.
 現時点では,風発の発電量が増えても,直ちにその分だけ火力発電量がへるとは思
いません.実際にはほとんど減っていないかもしれません.しかし,エネルギー源を
多様化し,うまくリスク管理を行えば,将来はそれなりに減らすことができる(しな
くてはいけない)と期待しています.失敗に終われば17年間運転して廃止することも
考えられますが,まずは試してみる価値が十分にあると思います.

 できましたら,北電など,風発の電気を購入する側の担当者も含めて議論を進める
ことができればよいと思っています.急ぎませんが,宜しくご検討ください.


11.9 オニヒトデ 順応的駆除計画

○○さん,皆さん

 昨日今日と石垣で,オニヒトデ駆除ならびに石西礁湖自然再生マスタープランの議
論をしてきました.○○さんという人が石垣に張り付いてオニヒトデの
大量のデータを持っており,たいへん参考になりました.
 下記のオニヒトデ駆除計画は,屋久島などの鹿管理にも参考になるかもしれません.

 オニヒトデ専門家の方針
・低密度のときは広域定点調査し,最も高密度な場所に駆除圧を集中し,できるだけ
たくさんのオニヒトデを駆除し,個体数増加を防ぐ(総個体数抑制戦術)
・高密度になると増加率が駆除率をはるかにしのぎ,個体数を減らすことができない
ので,低密度で保全したい場所に駆除圧を集中し,その場所の珊瑚を守る.(重点対
策海域防衛戦術=これは慶良間島ですでにやられている)
・1980年代の大発生のときは高密度域で10万個体以上駆除したが,焼け石に水だった.
今度の大発生では取る数はずっと少なくなるだろう.
・駆除はだいたい20cm以上の成熟個体で,未成熟個体は発見率も低い.10cmから20cm
になるのに,およそ1年かかる.したがって,1年経てば昨年駆除をまぬかれた個体
が成熟する.
・地形や珊瑚の種類により,大発生時期にも生き延びる珊瑚もいる.
・温帯域では最低水温次第で自然に減少することもあるが,石西礁湖では増え続ける.
大昔は大発生は石西礁湖全体には及ばず,リーフごとの局所大発生ですんでいたかも
しれないが,現在では珊瑚の「食いつくし」がおきるまで増え続け,餌がなくなると
減る.その後の珊瑚の回復も,以前ほど順調ではなく,場所によっては回復しない.
・どの程度の密度で方針を転換し,転換後 重点対策海域をどのように選ぶか,明確
な基準がほしい

 松田の意見
・上記を踏まえ,自然増加率,個体数,駆除率などの基礎情報から方針を立てる
・自然増加率は200%/年(3倍)程度で,高密度になると受精率が上がってさらに増加
率が高くなるだろう.昨年の駆除数は4400個体,生息数が6600個体数以上なら,これ
で増加を抑えられない.
・各地点の目撃数および駆除をした高密度域では体長20cm以上(約2歳以上)の個体
数がわかる.目撃数の頻度分布と調査面積,発見率(およそ1/5),石西礁湖の浅海域
面積から,およその個体数を算定する(たぶん過小評価).それがたとえば1万個体以
上なら,重点対策海域防衛戦術に転換したほうがよいだろう.おそらく,すでにその
時期に来ている.
・幼生は大量に存在し,広く分散する.高密度になれば親個体の移動も激しくなるだ
ろう.したがって,移入も考えて重点対策海域を守らねばならない.本来なら貴重な
サンゴ礁が豊富に残っている場所を守るべきだが,どこを選んでも守ることができる
わけではなく,移入や幼生着床の少ないところを選ぶ必要がある.「守りたいところ」
より「守りやすいところ」を選ぶことを考える.
・とはいえ,どこが守りやすいかは不確実である.そこで,3年ほど集中駆除し,駆
除数が増えている場所は,さらにオニヒトデが大発生したときに守ることができない
だろう.3年程度で対策海域の見直しを行う.また,年に1度駆除すればよいところ,
毎週駆除が必要なところなど,駆除努力の分配が必要.とりあえずいくつかの対策海
域を設け,3年後にさらに海域を絞り込むなどの措置を講じればよいだろう.

 鹿でも,似たようなやり方が有効かもしれません.全体を抑えられないなら,局所
防衛しか手がない.起伏の激しい屋久島なら,移動がある程度抑えられ,有効かもし
れません.


11.7 ジェンダーに関するメモ

ジェンダーと生態学

有性生殖の進化的意義
両親の遺伝子を組み替えて子どもを作る
(3個体以上の親はいない)
性別が多種類あるX,Y,Zのどれか二つで子どもを作る生物はいる
雌雄同体もいる (自殖可能なものも不和合もいる)

性差の起源
生物学的には 精子と卵子の大きさと数の違い これから,雄のギャンブル性や雌の保守性などが行動学的には説明される.

問題点
家族 夫婦 
これらは生物学的には定義しやすいが,人間には必ずしも当てはまらない.再定義が必要ではないか.たとえば
・なぜ人間は男性と女性しかいないと考えるか(あきらかに「中間」的な個人がいる)
・同性の夫婦を認めるとして,なぜ二人でなければいけないか?(繁殖集団としての意味はない)
・生物にもいる,一夫多妻,一妻多夫ではなぜいけないか?そもそも,夫婦(婚姻制度)は必要なのか?


11.6 Re: シンポジウム「野生生物資源の持続的利用と予防原則」 講演要旨案など
○○さま(よろしければ,「さん」付けで呼んでください)

 たいへんうまくいったと思っています.水産庁への「ジャブ」もよい感じでした.

 捕鯨については,すでにWWFJからは2002年4月号の会報で水産庁に球を投げたの
であり,あとは水産庁と捕鯨業界側の問題だと思っています.この球を受け止める
かどうかは,彼らの問題です.
 日本の環境団体は管理捕鯨が可能であることを認めているのであり,かつ,最近
のあらゆる環境問題は市民,専門家との合意を図って進めることが定着しています.
捕鯨が環境団体との合意の枠組みなしで管理されるとは考えられません.その枠組
みを作るのは,捕鯨を進める側の責任です.
 沿岸捕鯨は早く再開しないと捕鯨という生業と文化が滅んでしまう「絶滅寸前」
状態だと思います.南氷洋捕鯨の再開より早く,沿岸捕鯨の再開を政府が進めるよ
う心から願っていますが,政府にその気はないようです.私は,沿岸捕鯨が再開で
きない責任は政府にあると思っています.
 2002年秋のIWC特別会合で日本が米国などの先住民捕鯨を認めたとき,米国も日
本の沿岸捕鯨に賛成したのです.同じ決議案で合意するように強くIWCに求めれば,
再開できるはずなのに,日本政府はその努力をしていません.たいへん残念なこと
です.

 私が使った発表資料は,下記サイトに来襲水曜日におきます(リンクお断りです
が,ご自由にお使いください)
http://ecorisk.ynu.ac.jp/matsuda/2004/041104o.ppt


11.2 異分野交流フォーラム のお誘い

皆様
突然のお誘いお許しください
下記のような企画があります.生態学だけでなく,経済(学)のことも視野に入れて
研究されているかた,また経済学者にぜひ聞かせたい話題をお持ちのかたを,私の一
存で推薦させていただきました.ぜひご参加いただきたく,ご案内させていただきま
す.お返事お待ちしています.

***********************************************
お世話になっております。

さて、科学技術振興機構の「異分野研究者交流促進事業」という事業があるの
ですが、今年度のテーマで「生態学と経済学の融合」が採択されました。
生態学と経済学の研究者50名ほどが集まるフォーラムを開催し、研究者間の交
流を促進することが目的です。学術的な研究会というよりは、温泉につかりな
がら、お互いに自分の関心を語り合うというかんじのものです。

つきましては、以下の日程でフォーラムを開催する予定にしておりますが、ぜ
ひとも先生にご参加いただきたいと思っております。

 フォーラム開催日 12月18日(土)〜20日(月)
 開催場所 未定 関東〜関西のあいだにある温泉を検討中
 報告者数 経済学・生態学の研究者10名程度
 参加者数 50名程度を予定
 旅費・宿泊費・食費・懇親会費は事務局で支出

このメールの下側にフォーラムの趣旨書がありますのでご参考にしていただける
と幸いです。

なお、この異分野交流事業の詳細については以下をご参照ください。

異分野研究者交流促進事業
http://www.jst.go.jp/ibunya/ml/index-j.html

お手数ですが、ご検討よろしくお願いします。
---------------------------------------------------------
フォーラムテーマ 生態学と経済学の融合:人間活動と生態系のより包括的な把握をめざして
コーディネーター 早稲田大学政治経済学部 栗山浩一

フォーラムの目的と趣旨
生態学(エコロジー)と経済学(エコノミー)とは、ともにギリシャ語のオイコス(家)に語源を持つ学問であり、システムの活動全体を扱うという点では共通点を持っている。生態学は、「自然の経済」を理解する試みであり、ある地域、または地球全体において、エネルギーと物質の流れがどのように起こり、そのインプットとアウトプットとの間でどのように生物の生産活動が行われているかを研究する。経済学は、人間の経済活動を支配している諸原理を理解する試みであり、需要と供給のインプットとアウトプットが、人々のどのような選択によって決まるかなどを研究する。
 同じ言葉を語源に持つこれらの2つの学問は、しかし、まったく異なる分野として専門的に研究され、発展してきた。それは、学問の発展の歴史と流れの中では当然のことであった。
 ところが、近年、一方で地球環境問題が人類の緊急課題となり、人間の行う経済活動の結果、生態系が壊されていくことは、生態学にとっても大きな挑戦となってきた。経済学でも、人間の活動の内部にのみ分析をとどめることなく、人間を取り巻く環境全体の中で経済活動を考え、分析する新しい枠組みの必要性が感じられている。その結果、生態学部は人間活動を含めた保全生態学や、生物多様性保護の問題が新たな分野として台頭してきており、経済学部は、環境経済学、生態学的経済学などの新しい分野が出現している。
 本フォーラムでは、生態学者と経済学者が議論をかわすことにより、人間活動と生態系とのより包括的な把握を基盤とする、新しいエコロジーの創出が可能かどうかを議論したい。

参加予定分野
生態学的経済学、環境経済学、生態学等の研究者

実行委員
 早稲田大学社会科学部    赤尾健一
 早稲田大学政治経済学部   栗山浩一
 早稲田大学政治経済学部   長谷川眞理子
 横浜国立大学環境情報研究院 松田裕之


10.21 2005年日本数理生物学会年会 実行委員会のお誘い

突然のメールをお許しください(BCCにて発信しています)

たびたび台風が来襲しますが,季節は秋になり,皆様にはいかがおすごしでしょうか.

 日本数理生物学会の2004年の年会が9月下旬に広島大学で開催され,2005年の年会
を横浜国立大学で開催する旨,総会で決定されました.
 つきましては大会実行委員会を結成したいと思います.横浜国立大学の会員だけで
は人数が足りません.突然のお願いではありますが,もしご協力いただけましたら,
なにとぞ委員会にご参集いただきますよう,お願い申し上げます.もしご迷惑でした
ら,お許しください.
 特にお願いしたいことは,企画シンポジウムのテーマならびに大会開催の方法です.
ニュースレターならびに下記サイトに案内されたとおり,広島大会ではいくつかの企
画があり,遠隔地にもかかわらず,当日の非会員の参加がかなり多かったと聞いてい
ます.従いまして,さまざまなかたのご意見を伺いながら進めることが,多くの方に
魅力ある大会を開くために必要なことだと思います.
 そこで,横浜,川崎在住または職場のある方にこのメールを差し上げる次第です.
下記のように第1回の実行委員会を開催しますので,ご協力いただける方は,なにと
ぞお返事いただきますよう,お願い申し上げます.

第1回2005年日本数理生物学会年会 実行委員会
日時  10月25日(月)10時-11時30分 
場所 横浜国立大学 環境情報4号館212室 (下記交通案内参照)
議題 1.実行委員会の結成について
2.年会の開催日程・場所について
3.年会の参加費・講演要旨集について
4.企画について
交通案内 http://ecorisk.ynu.ac.jp/matsuda/access.html


10.20 CITES附属書掲載基準改訂の審議結果
皆様

 CITES締約国会議での掲載基準改正の決定については,我々の委員会の見解がほぼ
全面的に認められてと理解します.金子さん,石井さん,水産庁始め,CITESに関係
する皆様の粘り強い努力に感謝します.
 早速,CITES専門書のサイトに何らかのコメント(改訂された掲載基準と可能なら
ばその顛末の簡単な説明)を掲載します.顛末については,適切なものがありました
ら送ってください.
 まだハワイですので,HP更新は来週になります.また,索引も遅れていますが,準
備を進めていますので,もうしばらくお待ちください.

|関連文書は下記からダウンロードしてください。
|http://www.cites.org/eng/cop/13/docs/E13-57.pdf


10.19 至急:熊森協会へのドングリ輸送中止の要望に関する提案

日本熊森協会 御中

 海外出張中ですが,貴協会が奥山へのどんぐり輸送を実施されていることを知り、メー
ルにて意見を申し上げます.
 すでに米国などでは,鳥を含めた野生動物への餌付けは,国立公園に限らず厳に禁止さ
れています.餌をまくという行為を行う貴協会の教育活動は,これに全く逆行するもので
す.一言で言えば,誤った行為を教えているということになります.
 しかも,その相手は目的とするツキノワグマではなく,ネズミなどが摂食することは,
貴協会の顧問の方も含め,すでに多くのかたが貴協会に指摘されていることと聞いていま
す.
 野生鳥獣に餌を与えることがよいことだという教育は,結果的にクマが人を避けなくな
り,結果として捕殺されるクマも増えることでしょう.

 貴協会の行為がそれに参加する人々に誤った認識をもたらし,森林生態系を撹乱し,は
ては駆除対象となるクマを増やしかねないことは,すでに多くの専門家が指摘されている
ことと存じます.それを承知でどんぐり輸送を実施されるというのは,たいへん残念です.
 どうか,ツキノワグマや森林生態系を破壊するのではなく,それらを保全するために活
動されることを希望します.


10.16 エゾシカ管理の問題点とは

○○の皆さん
ハワイ滞在中の松田です(ようやくこちらのネット環境を理解しました)
 いま,金子勝「粉飾国家」(講談社現代新書)を持参しています.不良債権と年金でいかに政府が甘い見通しにすがり,問題を先送りにし続けてきたか,その体質は官民問わず日本に染みついていることがよくわかります.皆さんにも薦めます.
 不良債権の総額不明で,年金では出生率の甘い見通しにすがる体質と,総個体数不明,自然増加率不明のもとでのエゾシカ管理は,条件としてはよく似ています.しかし,我々は1998年に緊急減少措置を講じたときから失敗するリスク評価を行い,不確実性を考慮し,鳥獣保護法改正に先んじて東アジア?で初めて順応的管理を野生生物管理に適用しました.スコットランドの管理不能状態を尻目に,少なくとも一時的には個体数をはっきり減らし,あと一歩で目標達成まで迫りました.その結果,総個体数が当初の推定の倍程度いたことが明らかになりました.これは道庁の理解の賜物です.不良債権や年金に見習わせるべき説明責任と,当事者能力と,危機管理能力があったと私は思います.常識的には,国家財政より,野生生物のほうがずっと不確実性が高く,管理も難しいはずです. シカもサルもの,国有林に逃げ込んで○○○の庇護の下に再び増加に転じましたが,国有林の中で休日でも捕獲すれば減らすことができるでしょう.この問題の重要性を道庁も道議会も○○当局も認識し,今年2月末までの狩猟に○○も強くは反対しませんでした.この問題に関する限り,「粉飾国家」の片棒を担ぐものは○○だけです.

10.17書簡
○○様へ お返事感謝.

 たまたま大江健三郎のノーベル文学賞直後の彼の講演(京大日文研)に居合わせたら,「ひかるのCDはよい.眠れます.それでも眠れない方は,私の小説をお読みください」といってました.この冗談はとてもよかったです.
 エゾシカ管理では,それが如実です.敵はシカではなく,○○庁(の組合)だった.「常識に反し」自然よりも人のほうが厄介だというのは,残念な真実です.これを具体的事実とともに社会の共通認識にすることが,たいせつだと思っています.

| とはいえ、たしかに、みなが無謬主義でなく可謬主義を前提にして(これまで科学者も、公害や環境問題でとんでもない間違いをいくつも繰り返してきましたので)、科学者として意見を闘わすことが大事です。そうすれば、失敗しても、どこでどう間違ったかも後になって検証可能になりますから。
 はい.これこそ順応的管理です.
|しかし、この国は、そういう意思決定の仕方がとても苦手なんですよね。みな責任回避的です
 中西準子さんの周囲もそうでしょうが,私の周囲の役人も,必ずしも責任回避的ではありません.私の描いた「絵に描いたもち」を実行する北海道はたいしたものです.責任はすべて我々科学者にあります.エゾシカ管理に成功すれば,不良債権も年金も,やればできるはずなのに,ということになるかもしれません.
 管理とは,自然の管理でなく,結局は人の管理であるとは,漁業の世界でも昔から言われたことです.

|原爆が落とされるまで、間違いを認めることがないんです。なので、いったん間違いが始まると、なかなか軌道修正が効きません。
 読売新聞は,プロ野球での「億万長者のスト」宣伝をすぐにやめたではないですか.イラク戦争の間違いは改めなくても(米国の歴史的凋落の一歩と思っています),軌道修正が可能な部分もあります.

10.19書簡
○○さん,皆さん

 まだハワイで,返信が1日遅れています.

|松田さんが言われるように、今年度、捕獲目標(メス3万頭)に達せず
|道東で減らせないようでは、「現計画の失敗」と何が問題で失敗したの
|か「課題の明示」をすべきだと私も考えます。
 たとえ今期(2月延長の効果で)3万頭が達成できるとしても,毎年猛禽の邪魔をするのは考え物です.1年だけと,2年連続では,猛禽への長期的影響がずいぶん違うでしょう(こちらも根拠が必要ですが).また,シカが慣れてくれば,(今期取れたとしても)来年も同じように取れるとは限りません.できれば,2月末までの延長は1年だけにしたかったです.

 ただ,捕獲効率が落ちている可能性があります(数が増えているのに,捕獲数が増えないのですから)捕獲数と個体数指数の比の年変動から,それを実証できないでしょうか?その原因が国有林にあることを科学的に示すのは,どうすればよいか?
 シカの行動は変わります.相手の反応を予期しないではシカ戦争はできません(イラク戦争も).今はその段階で,次の手を打たなかった(打てなかった)ことが最大の敗因です(その意味では,上記のどれかが必要でした).雌捕獲数が自然増加数より上回らないと,問題は解決しない.

|新たに計画を立てようにも、どこか突破できないと、スコットランドの
|ように白旗をかかげるだけ、に終わりそうで恐ろしい。
 目的の中に はっきり生態系保全と書いていなかったかもしれませんが,農業被害軽減のために,数を減らせない以上,柵を張るしかありません(釧路大会で揚妻先生は柵を張るほうが効果的といっていました.真偽はともかく,これを引用しましょう).その場合,自然植生を柵で守ることは(希少種のごく一部の生息地以外は)不可能なので,林業被害と自然植生の保護は放棄することになります.前田一歩園では餌やりしかないかもしれない.
 ただ,失敗宣言はよいとしても,方針転換は,正月だけでも空けるなら,もう少し待ちましょう.2年後でも,国有林で取れる可能性があるうちは,こちらからあきらめる必要はない.この辺をどう表現するか,もう少し考えてみたい.

 失敗するなら,方針転換はやむをえないでしょう.できないことは,ふたをするより,あきらめると明言することが大事です.それが世論の喚起につながるかもしれません.捕獲に費やす予算を柵にシフトさせればよいでしょう.
 ただ,有効利用は増やすべきです.将来のために.
 これ以上,北風を強めても(捕獲圧を今の態勢のまま強めようとしても),効果がないと思っています.むしろ,可猟区を閉じたほうが来年取れるかもしれない.駆除の重点地区(保障する地域)を輪番制にするようなことはできませんか?


9.7 アダプティヴ・マメジメントは何でもあり?

自然共生型海岸づくり研究会編著(2003)「自然共生型海岸づくりの進め方」24ページには,以下のようにアダプティヴ・マネジメント(順応的な管理手法)が説明されている.

3.5 アダプティブ・マネジメント
 自然共生型海岸づくりには、モニタリング等により整備の影響や再生の効果を監視しつつ、不都合が生じた場合には見直しを行うアダプティブ・マネジメント(順応的な管理手法)を取り入れることが有効である。
(1)アダプティブ・マネジメントの有効性
 生態系の保全を試みる際には、生態系が複雑であり、かつ不確実性も大きいことか ら、当初想定した通りの結果が得られない場合も多い。このため、講じた施策の有効性や影響をモニタリングしつつ、必要に応じて、逐次、新たな施策を試行していく管理手 法のことを、アダプティブ・マネジメントという。
 海岸における生物の生育・生息環境に関わる知見についても、海水や底質、光の入射 などが場所によって大きく異なることなどから、その特性を類型化・定式化することが 困難であることも少なくない。したがって、各々の海岸特性に適応して生息している生 物を対象としたモニタリングを実施しながら時間をかけて施工し、悪影響や不都合が生 じた場合は、施工方法や設計内容を見直すことで、整備効果を高めることが期待される。
 また、これらの取り組みを推進することにより、基礎的な情報収集の一環として、現状 で不確実性が高いとされている事項についての確実性が高まることが期待される。

 これでは,失敗した(不都合が生じた)ときにそれをつくろえばなんでもできることになる.この表現は好ましくない.順応的管理(adaptive management)とは,不確実性の範囲を予想し,状態変化に応じて方策を変え(その変え方を事前に決めておく),失敗するリスクを減らす管理手法のことである.また,不都合が生じた場合には事前の仮定に問題があったのだから,それを見直す責任(accountability)を負う.上記の説明では,accountabilityについての言及がない.このような理解で順応的管理が行われているとすれば,気をつけないといけないだろう.


7.21 テレビ取材について

先ほど,ある東京外のテレビ局報道番組から国際捕鯨委員会IWCについて取材申し込みがあった.何でも,ある環境団体が私を推薦してくださったと言う(光栄だ).でも,テレビ局の人は当然私が反捕鯨だと思ったみたいで,私が4.25放映のNHK討論番組のサイトを電話中に見せながらしかじかと説明した.それで,納得したようなので,取材を受けてもよいと言いかけた.
 ところが,取材に来るのは東京の人だというので,事情を知らない人が来てもうまく行かないので(ちゃんと経緯を伝言するから大丈夫と向こうは言っていたが),取材に来る人に改めて電話で事前打合せをするよう希望した.しばらくして,東京にわかるスタッフがいないので今回は無しと言うことなった.このようなケースはかなり多い.質問事項をあらかじめ成文にして確認しておけばほとんど問題ないが,それをやらないと,代理で取材する側も困るだろうし,どのように収録されるかわからない.
 私は「報道関係の方へ」で示した方針を守っているので,最近,報道に関して対応を失敗して悔やんだことはあまりないが,今回は危なかったかもしれない.やはり,番組作成担当者が事前に趣旨を説明した上で,質問事項を事前に明文化するかまたは担当者自身による取材を鉄則にしたい.


6.12 遺伝子操作農作物の安全性と日本の農業政策について(6.15加筆)

 今まで私が個人的に農業分野の遺伝子操作(GM)作物の専門家と議論したことを顧みた.
・意図すれば,GMでアレルゲン反応を引き起こす「食品」や,「遺伝子浸透」を起こして生態系を撹乱する「農作物」を作ることは技術的に可能である.
・しかし,現在申請されているものに,そのようなリスクがあるとはほとんど想定できない.認可制度の下でGM作物を管理すればよい.
・ただし,全く影響がないとは限らない.日本のカルタヘナ法施行後はまだ認可していない近縁の在来種がいるGM作物を認めれば,国立環境研報告にあるGMダイズからツルマメのように,遺伝子移行の可能性があるかもしれない.しかし,それがすぐに非GM栽培種に比べて深刻な生態系撹乱に陥るとはいえない.
・以前にはスターリンクのように食品に適さない(ただしアレルゲン反応は否定的な)ものがずさんな管理でコーンスターチなどに混入した.その後認可・管理体制が強化されたが,より小さなハザードが生じるリスクがないとはいえない.それが起きないように委員会で申請を十分検査している.そのリスクが従来の品種改良種より高いとも言えないだろう.農薬使用を減らすことを考えれば,むしろ食品としても生態系への影響も安全だともいえる.
・こういうときの反対派の論理の一つは,「自然を人間が支配するという思想そのものが間違い」ということだ.実際に,想定するリスクは完全ではない.たとえばBSEでは,2年前と比べて危険部位が増えた(以前から「過剰な」安全対策をしていたから体制は変わらないが,管理ミスで発生する微々たるリスクの評価は少し変わるでしょう).そのようなリスク評価の修正がないとはいえないかもしれない.しかし,それも含めた十分な管理体制をしいていると思う.牛肉の場合は,自然を支配しようと思っているわけではなく,利用しようと思っているだけだろう.「GM=自然を支配」というのは感覚的に世論に共感するかもしれないが,リスクの大きさを科学的に議論しても,GMだけ特別にはならない.これは生命倫理・環境倫理の問題で,生態学の問題ではない
・私が最後まで問題にしたのは,GMを導入して日本の農業がどうなるのか,その長期展望があるのかということだ.これは環境問題でなく,農業問題である文科省サイトで議論されているようだが,GM専門家もその点が不十分であると認め,しかも真剣に憂慮しているようであった.カルタヘナ法制定・施行の機会に,それをもう少し議論して,ゆっくり考えるべきだったと思う.生態影響や人体影響だけでなく,日本の農業をどうするかと言う視点が重要である.今のカルタヘナ法を巡る議論は,技術論だけに終始して,農業・環境政策の長期展望のなかに位置づけられているようには見えない.このような新法下での認可基準を決める際の議論は,数少ない歴史的なチャンスであった.リスクが低いからとるに足らぬと言うのはその通りだろうが,低いリスクでも政策決定の理由として国際的に使われている.現在のGM認可は,たとえてみれば,井伊直弼の開国論のようなものだ.たしかに攘夷は情緒的非合理的非現実的だが,井伊直弼に百年の計を任せてもうまくいかなかっただろう.
・たとえば,あるGM専門家は,北米の人たちもポテトや小麦ではかなり強い拒否感を示すので、短期的に見たら、「お米やダイズの国産オール Non-GM宣言」は日本農業を守る上では有効な戦略の1つと認めている.しかし、多くの穀物(トウモロコシ、ダイズ、油糧ナタネなど)を輸入に依存している現状も考えなければならない.EUはNon-GM宣言しても、EU加盟国全体では、なんとか食糧自給できるが、日本は余程、(食)生活レベルを下げない限り、国外からの輸入なしではやっていけないと指摘している。つまり,単にリスクだけの問題ではない.リスク(あるいは安全性)の問題にしてしまったために,大事なことを見失ったと思う.


5.4 Vancouver 世界水産学会議
 日本の水産学会とは雰囲気がまるで違い,自然保護団体の学会と見まがうばかりだった.ほとんどネクタイをしていない(ポスター会場兼立食で),すべてのセッションが「漁業と(生態系)保全の調和」を掲げているのは驚きだ.日本の水産学会が利用加工を含めた多様な分野を抱えているのとは大違いである.分野が分野だけに,日本からの出席者は数名程度で,session leaderは私一人だった.挨拶や基調講演のときは4分科会場ぶち抜きの大会場で,4つの銀幕に同時上映される.
 5/5の朝のAmandaVincentの基調講演は印象的だった(彼女も現在UBCにいる).彼女がフィリピンのサンゴ礁の保全と漁民の共存を図る活動を続けていることを説明した.地道な保護活動に基づく見解であることがよくわかった.会場から利用と保全の共存に対する質問が出たが,両立が必要だと断言していた.日本のCITES関係者らが彼女を高く評価していた意味が,ようやく少しわかった
 RayHilborn(ワシントン大,UBC出身)の順応的管理のセッションは印象的だった.RayHilbornは各地の漁業管理に積極的に貢献していることが,多くのポスター発表に共著者となっていることでうかがわれた.会議中にUBCの順応的管理の提唱者CarlWaltersの姿が見えないため,「Where Is Carl?」などのスライドを多用して聴衆を楽しませた.なぜか私より狭い会場におしこまれ,場外に聴衆があふれていた.これは当然予想されることだ.これは主催者の失敗だ.彼が順応的管理の代表例として,真っ先にIWCの改訂管理方式を揚げ,最前列にいたDougButterworthを大きな写真入で評価したのは驚いた.いまや世界中で推奨される順応的管理の代表例なのに,どうして捕鯨が再開できないのだろうか.日本の態度にも問題があるのかもしれない.先日4.25のNHK討論番組をみた私の友人の多くは,捕鯨に反対ではないが,水産庁の態度を批判していた.
 UBC(Univ. Britisch Columbia)は順応的管理(CrawfordHollingとCarlWalters),Ecopath(生態系モデルVillyChristensen),生態学的足跡(EFP)の発祥の地である.これらをテーマにしたセッションがあり,さすがUBCと感じさせるが,データベースの専門家DanielPaulyの基調講演はRansomMyersの上位捕食者9割減少説をそのまま語るような悲観的な内容だった.ポスター発表ではRayHilbornを共著者に加えた現場の発表がたくさんあった.すばらしいことである.EFPのセッションは提唱者Wackernegel博士が関与せず,EFPを全く語らない講演がほとんどで,期待はずれ.DanielPaulyに聞いたら,Wakernegel教授とはほとんど交流がないという.
 この会議で私に分科会座長として与えられたテーマは「魚をもっと獲ることができるか」だった.中国人のZhou博士がこの点で基調報告したが,彼は「獲る漁業」を減らし,「育てる漁業」を増やすことができると言う答えで,私の見解とは逆だった.私以外の誰も,世界の漁獲量を増やすことができるとは考えていなかったようである.しかし,今回意を強くした.誰も語らないなら,真剣に語らなくてはいけない.20年後までに皆を納得させてみせる.私は以下の主張をした.さて,どれだけ受け入れられるだろうか?

  1. 漁獲量は持続的に増産可能である.そのためには小型浮魚類など,栄養段階の低い資源を利用すべきである
  2. 小型浮魚類は自然変動する.毎年,季節ごとに利用する魚が違うような市場と需要を作り上げるべきである
  3. 小型浮魚類を魚粉にするのではなく,直接食用資源として利用すべきである.
  4. そのための加工技術を開発すべきである
  5. 生態系が不確実,非定常,複雑であることを考慮しない最大持続収穫量(MSY)理論と決別すべきである
  6. 順応的管理を行うべきだが,漁獲対象種だけでなく,生態系全体を監視しながら管理すべきである
  7. そのとき優占している魚種を集中して獲るべきである.
  8. 混獲を避ける選択性の高い漁具を開発すべきである
  9. 小型浮魚類といえども,低水準期の漁獲圧は乱獲を招き,特に未成魚を保護すべきである
  10. 洋上でも陸上でも,投棄を減らすべきである(残飯も減らすべきである)
  11. 生物資源だけでなく,漁業も保全すべきである
  1. We can get more fish if eat lower trophic level bioresources;
  2. Establish food market of temporally fluctuating fishes at lower trophic levels;
  3. We can eat more fish, not use as fish meal;
  4. Develope technology for effective use of lower trophic levels;
  5. Say goodbye to MSY reference points;
  6. Monitor not only the target species but also the "entire" ecosystems;
  7. Switch a target fish for sp. replacement;
  8. Improve technology for selective fishing;
  9. Conserve immatures;
  10. Reduce discards before and after landings (our dishes);
  11. Conserve both fishes and fisheries;

 最高気温が15-18度(WaterFront駅にて)くらいなのに,会場内(前夜祭の風景)は強い冷房を効かせている.日本では,業界よりの学会でも1億2千万円もかけてHyattホテルで開催するとは限らない.ポスター会場でランチを出してくれるのはよいが,水産物が皆無,膨大な残飯が出そうな雰囲気だ(余りは再利用されると期待する).投棄はいけないといいながら,言うこととやることが違うような気がする.アメリカ・カナダの人々は,まず自分の環境負荷が高いことを減らせばよいのに,他の行動を起こすことを考えるように見える.クーラーを控えたり,大きな家に住む代わりに小さな家(ウサギ小屋)に住むことは,欧米でも簡単である.
 海外の環境団体に勤める日本人も何人か来ていた.光栄なことに,私のHPをみて,私のことを知っているようである.
 次回は2008年に日本で開催されることになった.かなり様子が変わることだろう.


4.25 NHK BS Debate Hour 「どう守る 海から消える魚」

 2時間弱の討論番組だったが,収録は3時間半にも及んだ.録画取りの日に会場にいらした方はご存知だと思うが,放映された発言以外に多くの議論がカットされている(時間も,有限な資源である).前半の「明日もマグロは食べられるか」および島嶼国問題などは議論がうまくまとまり,私としては大成功だと思ったが,NHKとしてはもっと対立の場面をとりたかったのだろう.

 テロップで私がWWF自然保護委員と愛知万博環境影響評価委員を「務めている」と出ていたが,愛知万博委員は2002年春に辞任している.愛知万博環境影響評価は環境影響評価法の見本とすることには完全に失敗した.しかし,愛知万博は日本の環境運動の画期的転換をもたらしたといえる.今回の捕鯨問題での議論で,「ミンククジラは絶滅危惧種ではない」「管理がきちんとできるか疑わしい」ということならば,「日本の環境団体を含めて合意形成を行い,捕鯨を管理すればよい」と私が主張したのは,愛知万博の経験があるからだ.2000年4月4日に日本自然保護協会・日本野鳥の会・WWFジャパンの環境3団体と経済産業省・博覧会協会・愛知県が万博を開催し,跡地の住宅事業などを取り下げることで合意した(6者合意).あのとき,環境団体は万博開催を阻むことができただろうが,合意形成に加わり,その責任をとる実績を残した.同時に,事業者側もきわめて厳しい会場問題の制約の中で愛知万博の成功を目指している.2000年に田中康夫氏が「全く新しいPublic Involvementの実験」と形容した通りである.愛知万博が来年開催できるのは,この6者合意の賜物である.

 私が示した鯨類の資源量のグラフは,SeaWorldのウェブサイトのデータに,過去のミンククジラの資源量のみ,故笠松不二男著「クジラの生態」を加えたものである.

 マグロが9割減ったと言う議論は,外国と日本の研究者が対立したように紹介されているが,外国(反捕鯨論者)も含めて,マグロ資源学者は皆,9割減少説に反対している(Hamption et al. 2003, マグロ問題参照).だからといって,過去のマグロ漁業が持続可能とも,現在の日本のマグロの消費が適切ともいえないことは,放映で述べたとおりである.

 会場で私が述べてカットされた重要なことが4つある.(4月30日加筆.NHKのサイトにCについては説明されている.削除した部分をHPで補うNHKの姿勢は評価できる.Bについては,グリーンピースジャパンは反対し続けると返答していたが,WWFジャパンは「いかにして持続的に捕っていくかということを真剣に考えているのです。そういう意味では、日本の生産者の方や水産庁の方と、ほとんど目標が同じではないかと思います。これからは、環境NGOと漁業サイドが対立していくのではなくて、お互いに協力し、いかに建設的に同じ目標に向かって進んでいくかといった姿勢が必要ではないかと思います。」と述べている)
@自分にとってクジラが必要ではないから捕鯨再開にこだわらないと言う意見があった.たいへん残念である.伝統的に沿岸捕鯨を続けてきた人が,絶滅の恐れもないクジラを獲りつづけることを禁じられたことを,なぜかわいそうだと思わないのだろうか魚だけでなく,伝統的な漁業も絶滅寸前であり,そちらも守るべきである.自分のことだけ考えていたら,環境を守ることはできない.相手の立場のことを考えることは,何より重要なことである. 
A欧米の環境系の大学院生には,最近,菜食主義者が大幅に増えている.半分くらいいる大学も多いようだ.鯨がかわいそうと言うなら,家畜も同じと言うことに気づいたのだろう.私がさまざまな講義で学生に聞く限り,日本で菜食主義者と答えた学生はまだいない.欧米の採食主義の流行が,30年後まで続くとは限らない.彼らの感覚も,また変わるだろうと述べた.これは捕鯨だけの問題ではない.クジラを獲らなければ,食べなければ環境にやさしいと言うのは間違いである.米国人の環境負荷は,日本人の倍,途上国の10倍にも達する.以上の発言が全部削除されたのは,時間の制約とはいえ,残念.
B「国内環境団体と連携する」という自説に雁屋氏が欧米人は説得できないと反論したところまで放映されたが,私は「雁屋氏の漫画(美味しんぼ「激闘!鯨合戦」)の中では見事に説得している.漫画の世界だけではなくて,現実でも説得してほしい」と述べた.樹木を原告に裁判を起こす「自然の権利」運動の提唱者,Christopher Stone教授も国際条約の専門家の立場から,捕鯨に理解を示し(Stone 2001a),予防原則の野放図な適用に疑念を述べている(Stone 2001b).2002年4月の会報で,WWFジャパンは捕鯨に関する対話宣言を出し,世界中の反捕鯨団体と報道機関から非難されながらWWF世界本部などとの対話を進めている.カナダトロント大学のMrosovsky教授も持続的利用に理解を示し,マグロを絶滅危惧種としたIUCNの判定基準に「IUCNの信用は絶滅寸前である」とNature誌上で意見を述べた(Mrosovsky 1997).WWFでも,たしかに米国・豪州支部などの態度は頑ななようだが,欧州諸国は,けっして対話・説得が不可能とはいえない.雁屋氏の漫画にあるとおり,米国は自国先住民の捕鯨を認めている.欧州が変われば,米豪もいつまでも科学的に理不尽な態度をとり続けることはできないだろう.国内環境団体の参加(public involvement)による管理捕鯨は,決して不可能なことではなく,現時点で最も現実的な捕鯨再開の針路である.
C私が過去の乱獲に対する反省が必要と述べたことに対し,「海の幸に感謝する会」の方が「それは論理的におかしい.今の若い世代が数十年前の過ちに謝罪する必要はない」と述べたところまで放映された.これに対し,私は「まさに戦争と同じ.謝り続けているドイツのほうがよほど信用されている」と答えた.過去より未来を建設的に語ろうと言うのは,「謝る」側の論理ではない.放映されたとおり,後者がこれを語ると,いつまでも本気で謝っていないと思われることだろう.

Hampton J et al. (2004)Effect of longlining on pelagic fish stocks - tuna scientists reject conclusions of Nature article http://www.spc.int/OceanFish/Docs/Research/Myers_comments.ht (I saw it in March 2004).
Mrosovsky N (1997) IUCN's credibility is critically endangered. Nature 389:436.

Stone CD(2001a) Summing Up: Whaling and Its Critics, In “Towards a sustainable whaling regime” (Ed. Robert L. Friedheim), University of Washington Press, Seattle and London, pp269-291.


Stone CD (2001b) Is There a Precautionary Principle? Environmental Law Reporter 31: 10790-10799.

世界の一人当たり環境負荷(EFPについてはWWF2002参照)


4.16(4/14付投書) [mat_model][00162] 環境影響評価書は,なぜあんなに分厚いのか?

数理生態モデル勉強会の皆さん

1.愛知万博環境影響評価書のCD-ROMについて
2.環境影響評価書は,なぜあんなに分厚いのか?
3.『保全生態学研究』編集委員長資料:「生データ」の掲載について
4.生態リスク評価・管理 指南書 づくり

1.愛知万博環境影響評価書のCD-ROMについて
 今年(今日から)私は環境リスクマネジメントの講義を始めます.来年前期(愛知
万博開催中)は,環境影響評価学を教えます.そこで愛知万博環境影響評価書のCD-
ROMを受講生に配布して,講義に活用するつもりです.
 これは計画大幅変更後の『修正評価書』ではなく,2000年3月に認められた『評価書』です.

2.環境影響評価書は,なぜあんなに分厚いのか?
 以下「生データ」の掲載について」は,私が日本生態学会『保全生態学研究』編
集委員長として編集委員に通知したものです.環境影響評価にはCD-ROM版のようなデ
ータベースは重要ですが,評価の結論に結びつかないデータも多数あり,はっきりい
って膨大な紙の無駄,労力の無駄,環境負荷です.愛知万博の場合,環境団体は膨大
な資料を全部複写してみなが持っている状態でした.
 その点,CD-ROMにしたのはたいへんよかった.評価書と同時に出ればなおよかった
が,出たのは1年以上経ってからで,複写の軽減にはなりませんでした.

3.『保全生態学研究』編集委員長資料:「生データ」の掲載について
 編集委員の校閲意見を拝見していて,原著または実践報告に生データまたはそれに
近いものの掲載を必要と考えられる方と,結果を導出するのに必要なデータのみを示
すべきと考えられる方がいるようです.私は後者であり,それは論文を書く上で「常
識」だと思っています.前者はデータベースとしては重要ですが,論文や実践報告で
は,かえって議論が散漫になります.環境影響評価報告書などと論文は違うと思って
います.実証研究だけではないという意味は,調べたデータをすべて載せるというこ
とではありません.実際にある理念や仮説が採用されて実施された事業や運動の検証
を行うことは,その一部または全部を否定する場合にも重要であり,科学的評価の結
論に必要なデータのみを載せるべきです.
 なお,保全誌のHP上でのみ掲載する図表などもすでに(9巻1号より)設けるつも
りです.著者には,論文のpdfファイルとともに提供できます.今のところ,編集
長意見として後者の方針を校閲意見に加えることがありますが,他の考え方もあるか
もしれません.ご意見をお待ちしています.

4.生態リスク評価・管理 指南書 づくり
 国大は生物・生態環境リスクマネジメント研究拠点として,2002年より文科省21世
紀COE拠点になっています.http://bio-eco.eis.ynu.ac.jp/jpn/
 私は昨年末に着任したのですが,今年度からメンバーに加わり,生態リスクの理念
を検討する作業部会責任者になります.これは私の個人見解ですが,この作業の手始
めに「生態リスク評価・管理 指南書」を作るつもりです.
 たとえば大阪大学文部科学省ミレニアムプロジェクト『環境リスク診断,評価およ
びリスク対応型の意思決定支援システム』のサイト
http://risk.env.eng.osaka-u.ac.jp/risk/index.htmlには,adaptive managementが
載っていません.おそらく,adaptive management, population viability analysis,
public involvement, risk controlが全部載っているサイトは世界的にも非常に少
ないでしょう(誰か検索してみてください).
 これを作るのは国大のCOE拠点の仕事ですが,成果をまとめる前に,皆さんにもお
知恵をお借りすると思います.よろしくお願いします

横浜国立大学 環境情報研究院 松田裕之


Subject: [ron.144] 米科学雑誌に論文掲載禁止国の制定 
ronの皆様

 すでにご存知の方もいらっしゃるでしょうが,以下のような話が舞い込んで来ました.
チェーンメール特有のデマかと思いましたが,私が研究上最も信頼する米国人教授の一
人も"As far as I can tell this is true although it has not yet been enforced."
といっていました.
 個人の思想でその人の科学的成果を差別すべきではないと私は考えていますが,居住
国で論文投稿する権利を決めるというのは,それよりはるかに度を越した話です.これ
はどこか途上国の独裁政権の話ではなく,膨大な世界一流の科学雑誌を抱えた米国の話
です.
 科学とスポーツと文化・芸術は,国家間の政治対立を超えて対話と友好を育むもので
あり,政治によってその交流の機会を奪うというのは,近代国家の最低限の良識を失う
行為だと思います.この法律が施行されるとすれば,たいへん残念な話です.
 この情報を私にもたらした方は「もし関心がおありでしたら請願書への署名HPもチェ
ックしてみて下さい」といっていましたし,上記の教授も昨日署名したといっていまし
た.

> Under a new US law, US-based scientific journals are forbidden to review papers
> submitted by authors residing in countries that are placed on a special list
>by the US government. The law also forbids scientific collaboration between US
> citizens and citizens of the listed countries. This list currently includes
> Cuba, Iran, Sudan and Libya. Editors who publish papers from these countries
> could face a large fine and up to 10 years in prison. For further information,
>
> see:
>
> http://stlq.info/archives/001293.html
> http://www.biomedcentral.com/news/20040302/04
>
> A petition demanding a repeal of this legislation is being circulated among
> academics throughout the world. It can be viewed and signed at the following
> link:
>
> http://www.petitiononline.com/PWC/
>
横浜国立大学 環境情報研究院 松田裕之


3月12日国際捕鯨委員会科学委員会議長などへの電子書簡(現在まで,返事はない)

Subject: US scientific publication ban

Dear Drs Demaster, Zeh, Donovan, Cooke (IWC/SC), Bracket, Cooney, Mace (IUCN/
SSC), R.Axelrod, C.Stone, D.Checkley

A friend of mine transfered the email shown below. Although this is definitely
incredible, another friend of mine wrote "as far as I can tell this is true
although it has not yet been enforced."

If this is true, I definitely believe to start disagreement movement as soon as
possible. This law must not be enforced.

I believe, IWC/SC and IUCN/SSC may consider some response against this new law.
We must secure academic rights of our members, including Cuban and other
countries.
In addition, we must support any American editors who review any papers from
these countries.

Best regards,

MATSUDA, Hiroyuki, DSc.

> Under a new US law, US-based scientific journals are forbidden to review papers
> submitted by authors residing in countries that are placed on a special list
>by the US government. The law also forbids scientific collaboration between US
> citizens and citizens of the listed countries. This list currently includes
> Cuba, Iran, Sudan and Libya. Editors who publish papers from these countries
> could face a large fine and up to 10 years in prison. For further information,
>
> see:
>
> http://stlq.info/archives/001293.html
> http://www.biomedcentral.com/news/20040302/04
>
> A petition demanding a repeal of this legislation is being circulated among
> academics throughout the world. It can be viewed and signed at the following
> link:
>
> http://www.petitiononline.com/PWC/


[jeconet:7908] Re:二重投稿と学際的論文
高橋様、皆様
横浜国大の松田裕之です

高橋さん[jeconet:7905]曰く
|自然科学の場合、仮説があり、実験なり観察でそれを実証し、新発見ないし新知見を得
|られるのでしょう(ごめんなさいいい加減な科学論で。。。)。
|まあそれで、同じ新知見を二重投稿してはいけないというのはよくわかります。
 私は数理生態学者で、自分でデータを取るわけではありません。数理モデルが新しけれ
ば、あるいは新たな解析手法や結果を提示すれば、それは新知見です。その場合、大事
なのはアイデアです。同じアイデアを数理モデルをつかった場合、新知見だとしても、もと
を引用すべきでしょう。学会などで議論しただけ、あるいは第3者を通じて得たアイデア、さ
らに独立に思いついたものなどが区別しにくいことはよくあります。それでも、わかる範囲
で「出典」を明記すべきです。
 政治学者アクセルロッドの著書「つきあい方の科学」を訳すとき、引用方法に自然科学と
差があるとは全く感じませんでした。

|執筆のたびに行政や国会議員の議論も深度化しており、国際情勢も変化しているのです
|が、厳密に言えば二重投稿と言えなくはないでしょう。
 どの部分が新しいかをきちんと明らかにすれば、そして新しい部分が掲載に値するなら、
それでよいはずです。
 自身が学会発表した後で論文にするとき、前者は活字ではないので、前者を引用するこ
とは(私は)ありません。また、原著論文の内容を紹介するレヴュー記事を書くことがあ
りますが、このときは原著を引用します。これは業績として二重に数えるわけではありませ
ん(査読論文の原著とそれ以外は自然科学では明確に分けて評価されます)。

 むしろ、自然科学と社会科学の差というよりは、日本の出版業界の問題と、評価基準が
理系と(日本の)文系で差があるためではないでしょうか?訳本なら原著にある引用文献
一覧がそのまま訳出されるようですが、日本語の書き下ろしで、学術論文ほど詳しい引
用が載っていないことがあります(引用の仕方が文系と理系で違うかもしれませんが、それ
は大きな問題ではありません)。ということは、上記の意味できちんと引用されていない可
能性があります。これは、日本で、自然科学の普及書を書くときにも生じる問題です。
 もう一つ、(日本の?)文科系では、書き下ろしの著書を業績として高く評価することわけ
ですから、上記の日本の出版業界の引用軽視の慣習が、「二重投稿」問題を感じさせるこ
とがあるのでしょう。日本の文科系では訳本(欧米文化の紹介)も高く評価されていたようで
すが、この場合は、引用であることは明白ですから、二重投稿には当たらないでしょう。

|生態学会誌をまだ読んでいないのですが、生態学会ではどう考えているのでしょうか。
 以上、生態学会としての意見ではありません。私個人の見解です。

|社会科学的なものは「意見」であり、「原著論文」とは認められないということでしょうか?
 自然科学にも意見はあります。原著もあります。社会科学にも両方あるでしょう。ただし、
評価基準が違うということでしょう。

|なお、法学業界から見ると自然科学論文の共著は異様ですね。
|実験や観察に携わった人にもクレジットは必要ですが、書いてる人が著者でしょう、と
|思ってしまいます。。。
 共著者の数の歴史的変遷や分野比較をしても「業績」になるでしょう。確かめてはいませ
んが、同じ分野でも(同じ雑誌でも)、共著者の数が増える傾向にあるかもしれません。これ
はひとつにはビッグサイエンス化していることかもしれませんが、単に、業績数偏重の評価
基準のゆがみの可能性もあります。
 理系でも、分野によって評価基準には差があります。
 いずれにしても、書いたことに責任を持てる範囲の人、その人を除いてはこの論文ができ
なかったという人間だけを集めることが共著者になることが原則だと私は思います。

 なお、CanJ.FishAq.Sciという雑誌では投稿規程として引用文件数に制限があります。数
重もの論文のアイデアや成果を用いた論文は投稿できないことになりますが、これは逆
に、被引用件数という評価基準から不要な引用が増えてしまっていることの対策かもしれ
ません。評価基準の数値化は(絶滅危惧種判定基準でもそうですが)客観的かもしれませ
んが、さまざまな弊害も常に生じさせるものです。